長電話

~自費出版のススメ~

罰ゲームとしての3位決定戦

2011-01-28 | スポーツ
真夏にやる甲子園のピッチャーにかかる負担も大変なもんだと思っていましたが、冬にやる高校サッカーも、さらにサディスティックなスケジュールを組んでおり、さすが日露戦争を「根性」だけで乗り切った日本は非科学的、戦術がないという意味で独特な国だと感心していたのですが、アジアカップの韓国の実力を確実に反映されないよう仕組まれた過酷なスケジュールをみていると、これは政治であり、スポーツではないなと、アジアカップの価値への疑念と、彼らの境遇への深い同情を禁じえませんでした。

そのうえ、アジアカップをずっと軽視していた珍しく韓国が力を入れ、さらにあのパクチソンの代表引退という、韓国国民とサッカーファンにとって記念すべき大会だったのです。それなのにこの尊敬も配慮も欠いたこの運営、この仕打ち。あんまりです。

朝日新聞によると、カタールという国のチームは、帰化選手が異常に多いところをみて分かるように、サッカーは労働という認識で、ナショナルチームの選手は傭兵であってプロ野球でいえば巨人や阪神のように、モチベーションは金と人気、名誉(優勝)であり、地元やチームへの愛情は自動的で二の次だそうです。

そんな代表チームを構成するカタールがまともな神経とフェアな精神をもって大会を運営しているとはとても思えません。

よってあれだけ疲れていた韓国に日本が(それもPKで)勝ったところで、自慢にもならないし、自信をもつべきではないでしょう。

常々電通的のしきる日本のあきんどサッカーの運営・スケジュールを非難してきましたが、それ以上にひどい非人道的で拝金的なサッカーがあることを思い知り、アジアカップ、ワールドカップ予選は、もう中東を排除し、まともな審判とスケジュールで開催してほしいと、望むところです。

アンドロイドは電気毛布の夢をみるか

2011-01-27 | アート
昨年末から私の周囲の機器が次々と壊れています。

まず10年連れ添った自転車のサスペンションが外れ、プリンターが給紙できなくなり、続いて自宅のプリンタも悲鳴をあげながら職場放棄、Macが言うことを聞かなくなり、あげくにノートPCのバックライトが限界なのか画面表示を拒んでいます。

今は使わなくなったテレビのS端子に繋げてぼんやりしたブラウン管に映った画面を見ながら作業中というわけです。

以前、某宗教団体の方に「あなたのオーラは黒い、周りに影響を及ぼす」と言われたことを思い出し、機械たちもついに感染したのかなどと思いながら、対策に追われております。

こういうトラブルは私の場合冬に集中しており、私の僕(しもべ)たちもご多分にもれず寒さに弱いのでということなのでしょう。

タバコは吸うわ、酒はこぼすわ、息は臭いは、の悪環境の中、彼等のストレスも相当なものだったと気の毒に思いながらも、スペックの古い連中だけにそろそろ野生的な自然治癒力でも身につけてくれないものかと淡い期待を抱いていたのですが、、そうはイカの問屋がおろしませんでしたね。

アーメン

ベルルスコーニの憂鬱

2011-01-23 | メディア
イタリアの首相、ベルルスコーニが少女買春疑惑で追い詰められているそうです。

彼は大富豪であり、名門ACミランのオーナーであり、建設・流通、そしてメディアを持つ、世論をコントロールできる立場にもある先進国には珍しい独裁国家的政治家です。

フランスやイギリス、ドイツなど長期政権が多いヨーロッパにあって、イタリアは日本と同じく政権が安定しない国と言われてきましたが、そんななか、ベルルスコーニはのべ8年の就任期間をほこり、官僚や外交官とも良好な関係を保ちながら、経済を再生させ、治安に関してもそれなりに挑戦を続けてきました。

女性スキャンダルは数知れず、失言も日本のようにマスコミによる扇動による誤解に基づくものではない確信犯的で質(タチ)の悪い冗談の類が多く、批判されても懲りずに悪癖を繰り返す態度と、政治さえしっかりやってくれれば、と意に介さない国民の姿勢を、私は常々羨ましく思っておりました。

ただ今回ばかりは(売春の年齢制限にひっかかる)違法な件ということですし、訴追逃れのための法案を成立させたものの、裁判所に違憲と判断されたり、イタリア検察の意地になった首相への挑戦もしつこく、さすがのピンク首相も逃げ延びきれないと噂されています。

チュニジアの「ジャスミン革命」もウィクリークスから始まったフェイスブックやツイッターというソーシャルネットワークによる初に革命の事例と言われていますし、オバマ米大統領もまたそういった新しいメディアを使ってのしてきた政治家です。ベルルスコーニのように、新聞やテレビ、物的流通にさえ影響を力行使できるのであれば安泰というボスキャラ的時代は終わろうとしているのかもしれません。

デジタル社会は価値相対化を招き、人間力を低下させ、松下政経塾的に政治家を小粒にさせると思ってきましたが、オバマさんやアサンジ氏の登場で、ある種の理想主義を現実化するための模索のプロセスで、その思考回路と手段が合致することが分かってきました。

中国の首脳も、日本の首相も、ドイツの首相も非常にストイックな印象で、イギリスの首相に至ってはまるでロボットのようです。ひょっとすると陽気で享楽的な人間味のあるトップというのは、途上国を除けばベルルスコーニは最後の政治家になるかもしれません。

残念なことです。

アジアの核心

2011-01-12 | スポーツ
準備不足、体調が整わなくてもアジアカップのグループリーグ程度はクリアできるほどに日本は強くなってきたということでしょうか。遠藤のミスのせいで、カバーの遅れた吉田のなかばオウンゴールで44分を0-1で過ごしたものの、スカウティングで得た「ファーになるとボールウォッチャーになる」ヨルダンへの読みも当たり、日本は渋く勝ち点1をモノにしました。

ワールドカップの強豪チームが「ピークをもってくる試合」を設定するように、日本代表も徐々にピッチをあげていくよう指導されたとは思えませんが、新生チームということもあり、有能な監督に率いられ、ランキングの印象よりずっと実力のあった相手に、この程度の調整で負けないというのはとても大きなことで、代表は「ドーハの悲劇」時代から南アフリカ大会での躍進までの歴史を経て、次のステージ・レベルに入ったといえるのではないでしょうか。

今までにない得点の匂いのするオフェンス、心配するほどでもないディフェンス陣に、交代やシフトの変更も的確だった新監督の手腕、そして、夏には南米の大会への参加と日程も充実しており、なにかとツッコミ処の多かった岡田監督時代とはうって変わり、しばらくはサッカーを不満なく楽しく見られる時期が続きそうです。

読売記者にツイッター禁止令

2011-01-11 | メディア
先日のテレビ朝日の「朝ナマ」で、ツイッターが双方向になっておらず普通に使えず、また使わず、ネットメディアに早くから慣れ親しんできた出演者に不評で、番組中に改善を求め、スタッフをディスるような事態となっておりました。

私は長年チャットをやっていたこともあり、表現するにはあまりに短く限定された文章機能に魅力を覚えておらず、ニコニコ動画の画面にでてくる素人のそれも匿名のヤジのようなツッコミをテレビでリアルタイムに流すのは、インフラはすぐに整ったとしても、管理しきれず危険ではなかろうかとは思っていましたが、どうなんでしょう。

また、特に「朝ナマ」では、スタジオに巨大な掲示板に視聴者の意見を手で書き込んでいくという慎重極まりないスタイルをとっていましたから、次回からいきなりガラっと変えたりするとスタッフに対応しきれない不測の事態も起きることでしょう。

ただ、いまやナマ放送ではないことの多いこの長寿番組、テレビでのツイッターの実験場になるのも、活性化やOSの古い柔軟性に欠けた記者クラブ的ジャーナリストの淘汰も進んだりすると面白くなるかもしれません。

ツイッターは発信側の意識、意見内容にスポットが当たってきましたが、情報源としても有効だと分かってきたということです。

さて、このように老舗の番組も変化を求められるメディア環境の大変革が進む中、読売新聞の記者に、迂闊な情報漏洩を恐れたのか「ツイッター禁止」の通達が出され、なんと記者たちはそれに粛々と従うという「事件」が起こっているそうです。

ジャーナリストという肩書きを捨て、サラリーマンである読売の社員として生きることを選んだ彼等は、大昔から、情報を「報道」するのではなく、「調整」することを旨としていましたので、そんな半ば視力や聴力を奪われる制裁のような事態にも「冷静」に対応できたのでしょう。

戦争があっても政府の通達を楯に現地には行かず、派遣切りを非難しながら、フリージャーナリストばかりを臨時雇用し、さもしく情報を買い、民主党の小沢氏の言っていた「核は持ってないといっていたイラクを攻め、持っているという北には対話を求める」日米英韓をはじめとする有志連合側の可笑しさにも気付かない、そもそも役に立たず、個性のない、彼等がいつも揶揄している官僚とそっくりな連中ですから、さもありなん、といったところです。

支持率20%からの反転攻勢

2011-01-08 | 政治
先日、政治に対する関心が薄れるだろうと記したばかりですが、ネットの番組「ビデオニュース・ドットコム」に出演していた菅さんを見ていて、社民党の保坂さんや、民主党の枝野さん、自民の河野太郎ちゃん、新日の田中康夫ちゃんなどと共にシンパシーを感じていた政治家としてのイメージを、それほど損なわない様子に、政治がどう変わるのであれ、面白い人であることには違いないことは確認でき、淡くはありますが、やはりこの政権の行く末は見届けたいなという気持ちになってきました。

無機的なぶら下がりでの質問や、権威的な記者クラブ連中を相手にしているのと違い、昔なじみでもある神保氏と宮台氏による手応えのあるやりとりに、なんと総理のタイトな日程を変え、大幅に収録時間の延長を容認、議論に興の乗る姿は、決して自民党時代の総理には見られなかったものです。

この放送で得た情報ではないのですが、かつての同士、田中秀征に「これでもう見限った」とまで言われるなど、評判の悪かったAPECの胡錦濤との会談での「メモに目を落とし、たどたどしく発言」事件でのメモには、実は「何も書いていなかった」そうです。あの日は体調が最悪だったらしく、メモ用紙はライナスの毛布のような役割だったのでしょう。番組ではそのような錯誤行為すら招いてしまう、総理の効率的でない激務と情報の出し入れのむつかしさなども話の俎上にのぼっていました。

言いたいことがあるときは、相手の話は「相槌」しか必要なく、話の流れを乱さないようにこころがけることがインタビュアーの理性の基本ですが、この番組は取材ではなく座談であることから、より菅さんの、総理としては少々カリスマ性に欠けていることも含め、ある意味素朴なその等身大の姿勢をあぶりだすことに成功しており、見所の多いものでした。

オバマ米大統領の不人気も峠を超え、支持率は戻ってきています。参院の権利の不当な巨大化(クローズアップ)により、衆院が事実上固定任期になった現在、実績を主張するばかりではない、謙虚で誠実な総理による政権・与党を含めた2年間の政治の点検とマニュフェストの挫折をしっかり伝えることによる総括をすることで、菅政権の支持率は戻ってくるかもしれません。

政治家は政局ばかりにうつつをぬかし、政策はすべて選挙目当てで、常に官僚に敗北し続けるイメージが定着しています。それは大手マスコミのメディアコントロールのせいだけではないし、実際そういう側面はあったし、またそればかりだと困りますがあってしかるべきでしょう。

ただ、そういう時代は終わり、パラダイムはシフトしてしまったんだということは、しっかり意識している菅さんの認識だけは信頼に値いするものです。常に矢面にたってくれた仙石さんはいなくなるかもしれませんが、とにかく今は続けることで経験を積み、新しいタイプの総理像をつくっていってほしいものです。

Loveズッキュン

2011-01-04 | アート
昨年は日本の政治に対する興味が民主党政権への失望によって、かなり薄れてしまい、今春の統一地方選では、就活に行き詰まった若者が、狭き門の一流企業と違い競争率2倍未満の選挙区に魅力を「そのまんま」感じていると聞きますし、今年はさらに政治が果たす役割と自分の生活との関係が分かりにくくなり、またアテにすることを止めようという覚悟が一層促進される一年になるような気がします。

渋沢龍彦が、全仕事の唯一の汚点として挙げたのは「大阪万博批判」をしたことでした。あのような政治を巻き込んだ公共事業に「批判」とはいえ、関わったことをとても後悔していることを伺える、いかにも世界に対して超然としていたい彼らしいスタンスを欲する文章が残されています。

青島幸夫や野坂昭如、石原慎太郎など、時代的には傑作をものにしながらも結局はトータルな印象を残せないタレントとは根本的に違う、時代を超越した、クロニクル的な時間意識をもっていたいという意志の表れを、渋沢はその文章で示していました。

正月は年末の友人との会話でふと出た「やくしまるえつこ」にはまってしまい、年越しの瞬間に「相対性理論」の「Loveズッキュン」を聴き、1日の夜にNHK-FMで坂本龍一との対談がオンエアされるという偶然が重なり、うっかり充実した新年となってしまいました。(いつぞや、そのバンド名を揶揄した記憶はあるな)

渋沢や三島、寺山など、選挙的政治には無縁だった連中と同様、おそろしくプライベートな表現を繰り返す「やくしまるえつこ」。遊佐美森や谷山ひろこ、森高千里などが提供していた「作られ、上手にコントロールされた少女幻想」を超え、また早瀬優香子やカヒミカリィ、シャルロット・ゲンズブールにも通じるアナーキーな表現に感心です。