長電話

~自費出版のススメ~

すべての発言はポジショントークである

2013-05-26 | 政治
これほどまでに、世間が引くとは思わなかった橋下さんの発言。抜粋、誇張され報道されたことを差し引いた上で、興論として評価すべきか、それとも売春や公営ギャンブルというグレーゾーンについては曖昧な態度をとり続けるのが政治家という職業のビヘイビアとしてその資格のなきものとして否定すべきか。やっかいな話ではあります。

靖国参拝における私人か公人かの問題をはじめ、A級戦犯合祀によって国際問題化してしまった英霊への追悼もままなならぬこの国ですが、日本が戦争に負けていなかったら、それはそれで天皇史観が続くことになり、今日のように明治初期における朝的となった会津や庄内、新撰組の筋を通した奮戦振りや、蘇我氏や足利尊氏の再評価もなかったものと思えば、痛し痒しではあります。

島津氏と毛利氏の徳川家への関が原以来の怨念が明治維新を成し遂げたなどという発想も当然流通せず、歴史観への政府の圧力が今のように自由なものではなかったと考えると、そこに矜持が発想を限定するという、民主主義を輸入するしかなかった東アジアの現実が意識されます。

「ならぬことはならぬ」、東アジア各国のそれぞれの主張はつまり理屈抜きに、そう教わった歴史観を妄信することです。ひょっとして間違っているかもしれないと思っていても言えず、なによりも「立場」を大事にすることが優先させます。

おそらく韓国に生まれていれば韓国の歴史観に、中国に生まれていれば中国の歴史観に従う人たちが、国境を越えて愛国を弄び、かつての日本の右翼左翼のように呼応しあい、これからも朝からラーメンを食べるがごとく盛り上がっていくのでしょう。

結構なことです。

そのうち、日本には戦前女性に選挙権がなかったことが非難されはじめるのかもしれません。