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長電話

~自費出版のススメ~

統一球は統一球である

2013-06-14 | スポーツ
第3回WBCでの「フィット感」の無さで、そのために導入された(ミズノに)統一球だったはずなのに、WBC球に改めて慣れなければいけないような選手や解説者のもの言いから、既にその怪しさは指摘されていたのですが、そのWBCをはさんで、「統一」をめぐるジャッジの不偏不党性がゆらいでおります。

ゆらいではおりますが、新しい統一球の無断導入に、「権力」はもとより、その「権威」すら疑わしいNPBコミッショナーが、政治家もどきの謝罪もどきを表明しても、記者もどきの連中の餌の種や、我こそが倫理的な正義漢だと思いこんでいる国民もどきの酒の肴にしかならず、噂の消費期限の七十五日までの時間稼ぎに過ぎず、「だからこうするのだ」という実効性のある声はどの業界からも聞こえてこないというおなじみの光景が展開されており、通常営業といえば、まあそうです。

対戦するチームの攻守で違うボールを使う試合もあるという噂もありますし、そもそも球場の広さもマチマチな野球の世界。球が飛ぼうが飛ぶまいが、どうでもいいじゃないか、とも思います。

今シーズンが始まって以来燻っていた話ではありますが、疑惑もなにも去年より1.5倍に増えているホームランを見れば、明らかに今年のボールは飛ぶのです。背景にどんな陰謀があったとしても、飛ぶのです。

NPBはおかしな任意団体、それは所与のものということと同様、統一球の変更は単なる事実で、プロならずとも、みなさんそれは知っていたはずです。そしてこれから起こる責任問題も予想がついてるのでしょう。

対ブルガリア親善試合に想う

2013-06-01 | スポーツ
地位も名誉も既に手に入れた選手たちにはアピールの必要はなく、その低い意味合いを知ってしまったチームとしても、なにがなんでも勝つという意識は現在の親善試合にはもうない。

ましてや泥臭さが身上の本田や岡崎を欠いている。洗練されたシステムのなかで「機能」することに才能を見出す選手によるスマートで体温の低い、覇気のない試合になっても仕方がないことだ。

日本のサッカー選手達のマーケットは急激に広がり、いつ、どこに向けて自分を高めていけばいいのかと、大リーグに渡った野球選手たちがWBCに興味を失ったように、試合の価値と自分の立ち位置を計りにかけながらプレイに参加しているように見える。

これは日本に限ったことではなく、生活の殆どを共に過ごすクラブチームへの帰属意識が強くなり、祖国のために戦うという意識は減少、サッカービジネスの中心地のヨーロッパから離れたブラジルやアルゼンチンでは、チーム編成に向けたベスト布陣も日頃からは組めない状況が定着し、ワールドカップでの地位の低下を招いた。

Jリーグが発足して20年、地域への草の根活動が、野球へのみ供給されていた人材をサッカーに仕向けるよう流れを変えた成果と、グローバル化による愛国心の希薄化という、まったくタイプの違う要因が連動され導かれた結果が、親善試合の盛り下がりというのも面白い。

大新聞の記者なら「皮肉な結果」などと書くのだろうが、これが自然というものだろう。

優しくダンディな大人、あぜ道のピルロ

2012-09-07 | スポーツ
他人と違うタイミングで笑う一人暮らしの人は、皺が少ない。肌は荒れてる人はいるかもしれませんが、ツボにはまらないと笑わないし、そんな人のツボなんてそうそう現実ではありませんので、顔面の皮膚が保存され、老けるのが遅いのです。

顔面の皮膚を使うって意味では、よく泣く人もまずいのですが、日常的に泣く人はめったにいませんので、勘定に入れなくてもよいでしょう。ここはひとつ、笑うことについて考えてみたいと思います。

今となっては、ジミーペイジは太ってもしょうがないな、とは思うのですが、ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)だけは太ってほしくなかった、というような渋好みの連中にぴったんこ、嵌ることをお勧めするのは、セリエAユベントスのピルロです。

オリンピックをはじめ、今年の夏のさまざまなスポーツイベントのなかで、もっとも輝いていた男はスペイン代表のイニエスタ(ユーロ2012)です。MVPも獲得したしたし、アシストもゴールもそれほど記録として数字には残ってはいないのですが、起点、ゲームメイカーとして最高のプレイを披露してくれました。

されども、イニエスタは10代でこそ天使ようなルックスで、いまも悪魔のようなプレイをする選手ですが、いまやほとんど三宅裕司であり、プレーにセンスはあれど、そこにダンディズムが芽生えるのはこれから。社会的にはまだまだ若造です。

しかし、かつて、ローマの王子トッティのできそこないみたいなプレーヤーであったピルロ。あのちょっとふにゃっとしたルックスは頼りなく見えたし、スター性もなくプレーも仲間に信頼を寄せられるようなものではありませんでした。

知的でシニカルなアーティストの存在とは常にそういったものかもしれませんが、猫が急に飛び出してきて、あわててハンドルを切って、車ぶつけちゃうみたいなファンタジスタだということを、しかし、私たちは後で気づくことになるわけです。

そういった、笑わないくせに、妙に優しく、チップインキックを決めるピルロが世界最高の大人であり、男と思い、今のキャリアを見て、まるでルネサンスのラファエロに思いをはせるように、あこがれるのは、私だけではないでしょう。

ちらっと笑うこと、精神的にソリッドであること。皺がないほどクールなこと。これらが、川の底からこんにちは、とどんな状況であれ言える、あぜ道のダンディだといえます。

前田智徳に栄光を

2011-07-01 | スポーツ
毎年パ・リーグのチームが優勝する交流戦。今年もパ・リーグの、特に投手の強さが目立ちました。飛ばないボール、広い球場、緩いスケジュールによるローテーションの余裕、(節電の勅命を受けた審判団の陰謀とも言われる)外角に甘い投手よりのジャッジなどをその原因とするのが通説です。

よって短時間ロースコアの締まった試合が増え、パ・リーグのベスト10に入る投手の防御率のほとんどが1点代という異常事態を招き、セ・リーグのチームはパ・リーグ的ディフェンスを持つ中日以外は残念な結果となりました。これだけこの傾向が定着してしまうと、もうトレンドといってよく、セ・リーグ各チームのこれからの交流戦対策が急がれるところです。

セ・リーグは長らく小さな球場(東ド、旧広島市民、横スタ、神宮)での派手な打ち合いがよしとされ、人気のベテランの守備力もそれほど気にならず、交流戦以外ではその閉じられた世界に安住してきました。

それが、WBCやオリンピック、選手の大リーグ移籍の増加というグローバリズムの嵐のなか、なにやっとんじゃという、巨人人気にすがるセ・リーグ野球の限界が露呈してきたということでしょう。

広い球場は、守備力を促すとともに、細かいミスが致命的になるので選手に緊張を強い、意識も変わるのでしょうか、盗塁という機動力の反映そのものである作戦を見てみると、パ・リーグ193、セ・リーグ129と、倍近くの記録が残っており、ホームランによる空中戦時代の終焉と、環境の変化による野球への取組みの前提の違いを顕著に表わすところとなっています。

中日はかつての阪急や森時代の西武野球のダンディズムを継承し成功しました。阪神はチームカラーとして機動力は似合わないので、次は球場を広くした広島が環境に適応し躍進する番です。個性は揃いはじめていますので、来年黒田が戻ってきたりすると、ひょっとして優勝戦線に絡む活躍が見られるかもしれません。思い入れのできる最後のプロ野球選手、前田智徳に花道を用意するという意味でも、ぜひ頑張ってほしいのです、広島カープには。

すべての監督は消耗品である

2011-06-12 | スポーツ
日本のプロ野球のいわゆる「助っ人外国人」の2年目は、おおむね残念な結果に終わる印象があります。最近では、今季の阪神のマートン(序盤はダメでしたが現在は復調しております)、去年の巨人のゴンザレスが代表格でしょうか。安定した成績を残す巨人のラミレスや、横浜、中日で4番をはったウッズなど記憶に残る選手は例外と言えます。

いくら成績が悪くても、契約時の約束があるのか、過去の成績への期待から覚醒待ちしているのか、それらの外国人を抱えたチームの監督は順位が下がっても「助っ人」を使い続け、取り返しのつかない状況に陥っても、あまり手を打とうとしないようにみられます。

球団フロントの意向もあるだろうし、来てくれるお客さんに印象としてのベスト布陣をみせなくてはいけないし、「勝つ」という目的のみをテーマに試合ができない監督の気苦労は分かりますが、そういったチームに限って先発投手を我慢強く使い、勝星をつけてあげるとか、中継ぎ投手はイニングをまたがないといった、一試合のなかでの選手への配慮が足りなかったりするのは、納得のいかないところです。

監督の契約は短いものですから、短兵急に結果を出さなくてはならないし、結果を出しても、単年度で判断するようなフロントであれば、クビとなります。それに楽天の野村監督や、かつては西武の森監督のように、偉大なキャリアと能力があってもクビになるわけですから、理不尽な立場ではあります。

監督の采配で勝てる試合など年に数試合、と野村(元楽天)監督は言っていました。そうすると、監督の仕事は試合が始まる前に終えていなければいけない、ということになります。サッカーと違い、選手と同じユニフォームを着て、いかにも試合に参加しているように見えますが、野球の監督の試合における裁量なんて本当は僅かなものなかもしれません。

「男」に向かない職業

2011-05-20 | スポーツ
亀田兄弟は本当に強いのか、安倍元総理は政治家としての才覚はあるのか、など、答えとしてあっさり「それほど強くない、それほど才覚はない」として、まず魅力を覚えず、話題の対象にもしない、という大人の態度をもって接したいことの一つに「星野仙一は野球人としてどうか」というものがあります。

野球好きにとって彼の印象は「巨人キラーとして現役時代に中日のエースとして活躍した華も実もある燃える男」、「監督としてカリスマ性はあるが、実際は故島野コーチが補佐しなければ力を発揮できない人」、「現役引退後は、巨人の堀内同様、政治的な振る舞いにより立場を手に入れる人」、「強引な引き抜きにより中日OB会を追放された人」、そして「北京五輪で親友の馬鹿と一緒にゲームメイカーとしてもゲームコメンテーターとしても失敗した人」、などで定着しています。

北京五輪後、球界においても世間においても、星野氏の評価は決定的に落ち込み、既に彼が嫌いだった人の溜飲は下がりっぱなしだったのですが、ここにきて「イーグルス」の監督という火中の栗を拾うような仕事に就き、持ち前の政治力を発揮し、とんちんかんながら、チームづくりを人選で進めようとしていました。

震災から得られるモチベーションと共に、開幕からチームは投手、ベテラン山崎の活躍や、相手チームの遠慮もあってか、しばらく勝ち越しを続けていましたが、そんなテンションがシーズン通して続くわけもなく、負けが込むとプレッシャーがマイナスに作用してか、成績は下降し、エースの岩隅、大リーグ帰りの岩村の離脱もあり、星野氏の機嫌も悪くなる一方です。

全選手から信頼され慕われていたチームの核「渡辺」を契約後に、松井稼獲得の余波から放出、という暴挙を仕組んだ首謀者が監督。田淵という誰が見ても知性を感じない人を打撃コーチに据え、打線が低迷すると、田淵以外の野手関連コーチの全員更迭という意味の分からない人事を強行する監督。ひょっとして「楽天」というチームは既に崩壊しているのかもしれません。(どれもオーナーが犯人だという説もありますが)

求心力のある人物としていつも期待される「男」星野仙一氏の、その破壊力が今の野球界ではいつも悪い方に作用するとすれば、そろそろ時代遅れの政治業界にでも転進され、好きなだけ権力を笠にきていただくのが懸命、かつ彼にとっての幸福かと思われます。

それにイーグルスは、「楽天」じゃなくても、震災がなくても、強くなくても愛されるチーム。そんなに気負わなくてもいいような気もします。

いつも通り

2011-05-14 | スポーツ
一般には、特別な場所であることを意識してか、大相撲「技量審査場所」と呼ばれている大相撲「夏場所」。本場所というのは常に「技量審査場所」であるのですから、この呼び方はおかしいし、匿名性が高すぎます。

相撲には興行という側面があるとは言え、基本は神事、そして競技です。(第三者のギャンブルのためにやったわけではない)八百長は悪いことで、社会的影響が大きいというのであれば、興行を控えるだけで、神事、競技は続けるべきだったと思う私のような相撲ファンにとって、春場所の中止は納得のいかないものでしたし、夏場所の呼称も普通に「夏場所」あるいは「五月場所」と呼ぶべきだと思います。大相撲の本場所が1年の生活や季節感にリズムを与えるものでもあるからです。

私の師匠でもある茶飲友達であるN氏は、「相撲を中止した途端、地震が起こった」とうそぶいていました。地を鎮めるという祈りや、霊能者による暴れ龍を押さえ込むという行為は実際に行われていますし、大相撲にそれほどの影響力があるとは思えませんが、堤防もいいけど、神社建てるのも大事では? と思う私のようなものにとっては、少々N氏の意見にうなずく気もないではありません。

ネットで中継される国技館は、煌々と観客席まで蛍光灯の下にあった普段の光景と違い、土俵のみが明るく、プロレスかボクシングかのようで、力士が館内に現われるときはスポットライトでもあてんのかよ、という風情で確かに非常時が強調されています。

がしかし、横綱は磐石、大関陣は前半で既に取りこぼしがあり、星取の具合は「いつも通り」。我らが安美錦は、2勝4敗と相変わらずとぼけたスタートです。

安美錦に関しては「八百長」に絡んでいなかったことで一安心だったので、今場所の成績などどうでもいいのですが、あの怪しい風貌ですから危ないなあと思っていたのも確かです。ひょっとしてあの怪しさは、八百長を頼まれると金もらって承諾したくせに、頼まれた通りの相撲を取ってくれない種類の信用のなさで、八百長を超越してるのではないのでしょうか。豊真将のような危うい生真面目さによる拒否、あるいは高見盛や稀勢の里のように、そもそも八百長という概念がない連中とも根本的に違う、大人の味わいでなのです。

プロ野球にしろ相撲にしろ、毎日きっちり見るほど熱中するわけではありませんが、震災からはじまった非日常から日常(いつも通り)に戻る縁(よすが)としても、やっぱり機能しています。

ノイジー・サイクリング・ブギ

2011-04-15 | スポーツ
原発は相変わらず危機的状況から脱していないし、桜は散るし、被災者の展望は開けてないのに政治家は政局にいそしんでいるようだし、発情猫は庭でうるさいし、・・・と、大小にかかわらず問題を並列にしてみるたところでせんないことですが、これが今の私の「終わりなき」日常です。

震災によって変わったことのひとつに、自転車通勤の増加があります。あの震災の夜に自転車屋に駆け込んだ長距離通勤の方々をはじめ、地震による度重なる交通網の麻痺に懲りたのか、ベトナム通勤風景とまでは言わないまでも、朝の車道は自転車であふれており、信号が変わったときに走り出す連中に混じっていると「バイシクルレース」に参加したようで楽しく、思わずクイーンのあの唄を口ずさんだりしてしまいます。

ただ、こういった連中は震災前にもいたのですが、無灯火、逆走などマナーを知らない方も多く、単純にエコや健康の観点からだけで、自転車人口の増加を喜ぶわけにもいきません。また、闇雲な節電で暗くなった都会の夜のサイクリングは危険と隣り合わせでもあります。

そして、友人のG女史が「殺意」をまで口にしたその最たる行為が、車道を走っているのに、横断歩道を赤で横切るヤカラです。

欧米だと自転車は車道を走るのが常識で、歩道を走ろうものなら、知らないおじさん達からの袋叩きを覚悟せねばならないそうです。

しかし日本では法規が最近変わったとはいえ、自転車は車道ルールが基本ではありますが、自転車道が整備されてないせいもあり、車道を走っても歩道を走っても迷惑な存在に陥っており、立場はアイマイで、自転車愛好家としても肩身の狭い思いが続いております。

多くは歩道と車道の信号の指示の都合のいいところをつまみ食いして進行の判断材料としているので、止まる必要がないという彼等の油断した解釈もわからなくはないのです。私も、かなり気をつけてはいるのですが、進路に遠慮する歩行者にはっとさせれることは多々あります。

確信犯でなくとも、ついつい犯してしまう罪。

自転車「制度」(蓮見風)を理解しながらも、自転車乗りの立場は内的にも外的にも中途半端なのです。ヘルメット着用義務など法規制がこれ以上強まる前に、連帯してわれわれ愛好家は歩道での「歩行者優先」と車道での「自動車なみの罰則へ覚悟」をもって運転しなければいけないのです。

罰ゲームとしての3位決定戦

2011-01-28 | スポーツ
真夏にやる甲子園のピッチャーにかかる負担も大変なもんだと思っていましたが、冬にやる高校サッカーも、さらにサディスティックなスケジュールを組んでおり、さすが日露戦争を「根性」だけで乗り切った日本は非科学的、戦術がないという意味で独特な国だと感心していたのですが、アジアカップの韓国の実力を確実に反映されないよう仕組まれた過酷なスケジュールをみていると、これは政治であり、スポーツではないなと、アジアカップの価値への疑念と、彼らの境遇への深い同情を禁じえませんでした。

そのうえ、アジアカップをずっと軽視していた珍しく韓国が力を入れ、さらにあのパクチソンの代表引退という、韓国国民とサッカーファンにとって記念すべき大会だったのです。それなのにこの尊敬も配慮も欠いたこの運営、この仕打ち。あんまりです。

朝日新聞によると、カタールという国のチームは、帰化選手が異常に多いところをみて分かるように、サッカーは労働という認識で、ナショナルチームの選手は傭兵であってプロ野球でいえば巨人や阪神のように、モチベーションは金と人気、名誉(優勝)であり、地元やチームへの愛情は自動的で二の次だそうです。

そんな代表チームを構成するカタールがまともな神経とフェアな精神をもって大会を運営しているとはとても思えません。

よってあれだけ疲れていた韓国に日本が(それもPKで)勝ったところで、自慢にもならないし、自信をもつべきではないでしょう。

常々電通的のしきる日本のあきんどサッカーの運営・スケジュールを非難してきましたが、それ以上にひどい非人道的で拝金的なサッカーがあることを思い知り、アジアカップ、ワールドカップ予選は、もう中東を排除し、まともな審判とスケジュールで開催してほしいと、望むところです。

アジアの核心

2011-01-12 | スポーツ
準備不足、体調が整わなくてもアジアカップのグループリーグ程度はクリアできるほどに日本は強くなってきたということでしょうか。遠藤のミスのせいで、カバーの遅れた吉田のなかばオウンゴールで44分を0-1で過ごしたものの、スカウティングで得た「ファーになるとボールウォッチャーになる」ヨルダンへの読みも当たり、日本は渋く勝ち点1をモノにしました。

ワールドカップの強豪チームが「ピークをもってくる試合」を設定するように、日本代表も徐々にピッチをあげていくよう指導されたとは思えませんが、新生チームということもあり、有能な監督に率いられ、ランキングの印象よりずっと実力のあった相手に、この程度の調整で負けないというのはとても大きなことで、代表は「ドーハの悲劇」時代から南アフリカ大会での躍進までの歴史を経て、次のステージ・レベルに入ったといえるのではないでしょうか。

今までにない得点の匂いのするオフェンス、心配するほどでもないディフェンス陣に、交代やシフトの変更も的確だった新監督の手腕、そして、夏には南米の大会への参加と日程も充実しており、なにかとツッコミ処の多かった岡田監督時代とはうって変わり、しばらくはサッカーを不満なく楽しく見られる時期が続きそうです。

われ、いまだ木鶏たりえずとも

2010-11-15 | スポーツ
横綱白鵬は、九州場所2日目で稀勢の里と対戦し、初場所13日目の魁皇戦以来の敗北を喫し、連勝記録が63で止まりました。初日さえクリアすれば、終盤まで上位陣との取組みはないということで、勝った結果、7日目で達成される双葉山の69連勝の記録更新は間違いなしと言われていただけに、大いに驚いてしまいました。

会場に足を運ぶ相撲ファンにとっても、マスコミにとっても、もちろん私にとっても、プレッシャーのかかる6日目から中日にかけてが見所と考えており、今場所の焦点をそこに備えていたので、すっかり油断していました。

しかし、平日の月曜日という何も特別なことは起こらないはずの日常、他愛のない、週の始まりという以外、なにもない日に事件は起こったわけです。それは土俵を去る白鵬の背後に映るがらがらの観客席に、我々の呑気な姿勢がみてとれ、さらに『油断』を強調していました。

平幕とはいえ、稀勢の里や栃煌山、安美錦など「かつての」大関候補がひしめく関取の意地もありますし、また、どれだけ強かろうか「連勝」というものには、ノーヒットノーラン同様「偶然」というファクターがある以上、いつ負けてもおかしくはありません。「強い」から記録を達成できるというものでもないはずです。

中日やイチロー同様、白鵬は色気を感じない強さでひとり勝ちを演じ、朝青龍なきあとの相撲人気の低迷に一役買ってきました。白鵬さえいなければ戦国時代を演出できるのに、と臍を噛む向きにとっては、溜飲を下げる事態でもありましょう。

白鵬は破れた後、飄々と「ま、こんなもんでしょう」と言いました。悔しさももちろんあるでしょうが、それは双葉山の悲劇の匂いのする求道的シリアスさとは違う、現代っ子らしいそのセンスで、周囲の期待を置き去りにしながら「連勝」に対するこだわりの少なさを明かしています。

その態度は連勝は止まったとはいえ、白鵬は目指す木鶏とは違う「軽み」のある悟りの境地にいるのでは、と感じました。双葉山は連勝が止まった後3連敗し、大鵬は発熱で休場しています。

さて白鵬の連勝への反動はどう出るでしょう。あるいは明日からまた日常が始まるのでしょうか。

現実感のないゲーム

2010-11-08 | スポーツ
中日が日本シリーズでロッテに破れ、「完全な優勝」は今回も果たされず、プロ野球の今シーズンが終わりました。

「相手が強いかどうか判らない」と優勝を逃した落合監督は言いました

新人でいかにもB級の監督に率られた、ロッテの印象は相撲でいうと「平幕」。せいぜいが「小結」。優勝はラッキーな平幕優勝。私と落合監督の印象は変わりません。それは手応えとともに結果は「悔しい」ではなく「残念」。つまり問題は相手ではなく、中日にあったということです。

ま、それはさておき、

山岸涼子の「日出処の天子」で自分でも自分を救えない者が仕方なく見る幻視について「それが≪信じる≫ということなのか」と珍しく逡巡する(うろ覚え)というシーンがありました。

合理性だけを追求し、なんに対しても「愛情」をもたないという自覚がある人間にとって、敗北の事実を受け入れられないこういった感覚は、もしかして自分は「中日ファン」かと、あるいはそれなりに対象に愛情のもてる人間なのか、と疑い、これは感情的な現象だと思い、少々笑いました。


巨人帝国の皇太子にハンカチ王子を

2010-10-17 | スポーツ
巨人や阪神は金にあかして、他球団の主力選手を奪う汚い球団として、良識・良心さを旨とする野球ファンには嫌われてきました。しかし私には今般のCSでさえ地上波放送のない、斜陽である日本プロ野球へのてこ入れとして、この2チームにどんな手を使っても再興へのリーダーシップをとって欲しいという気持ちもあったります。

私は中日の野球ファンであり、中日球団ファンではありません。中日の野球は高校生レベルならまだしも、子供には理解できないダンディなもので、そのいぶし銀スタイルの勝利へのこだわりは、官僚的とさえ見え、(子供達に)退屈だと映っても仕方のないものです。

野球好きの子供には、YGのロゴの黒にオレンジのストライプの入った巨人の帽子が似合います。東京で、中日や広島の帽子をかぶっている子供を見かけると、妙に知的に大人びて見え、親の出身地のせいでそれは自然なことなんだろうとか、その原因を考えつつも、自らがマイノリティであることを自覚させられるこれからの厳しい立場に少々将来を心配させられたりします。

今の中日の(選手選考も含め)野球は地元ファンと玄人と、(私のような)玄人を自称するスノッブな野球ファンのものであり、決して全国的なポピュラリティを得られるようなシロモノではありません。巨人の坂本や広島の栗原のように愛嬌のあるスター選手は(今の)中日では自然淘汰(あるいは浄化)されてしまう土壌があります。

いわば、中日のプロ野球の人気面での貢献は端から期待できないのです。

今、不人気で視聴機会減少という負のスパイラルに陥っているプロ野球に必要なのは、強さではなく、人気です。

阪神はすでに人気球団であるから勝つためという方針のもとに補強をしていますからいいとして、巨人はそれに加えて人気を得るための補強をしなくてはいけません。そしてそれはつまり、おば様たちのアイドル、子供達のヒーローにふさわしいルックスをもった正義の使者、早大の斎藤佑樹くんを巨人に入れることではないでしょうか。

阪神の能見の女形のような美しさや、SBの和田の玄人好みのかっこよさではなく、少年漫画のパロディのようなルックスの、成績に関わりなく客やスポンサーを呼び込むことのできる営業的才能をもったハンカチ王子こそが巨人帝国の皇太子として今必要なのです。

今秋のドラフトは豊作だといわれています。プロ野球は興行であり、宣伝活動という側面も強くあるわけですから、江川や桑田を強奪したような手法を使ってでもという巨人の意気込みを見てみたいものです。

中日ファンとして、営業面は巨人に任せるから、安心して野球観戦のできる環境ができればそれでいいという、虫のいいお話でした。

マッチョで感情的なメジャーリーグ

2010-10-14 | スポーツ
阪神のマット・マートン(29)が来日1年目、また右打者でありながら、イチローの最多安打記録を16年振りに塗り替えました。試合数を根拠に参考記録と悪口をいう方もいることにはいますが、とにかくタイトルホルダーとして歴史に名を刻むこととなりました。

マートンは大リーグの名門「レッドソックス」にドラフト1位指名された逸材で、期待されながらも所属したチーム(カブス、ロッキーズ、アスレチックス)事情からレギュラーに定着できず、流れ流れて日本のチームに辿りついたそうです。

8年連続100打点・150安打という素晴らしい記録を達成した巨人のアレックス・ラミレスなど、本人のポテンシャルが開花するステージは、日本であったり韓国であったり、向き不向き、運不運によって左右されるものです。

「アメリカの3Aレベルの選手でも日本の一軍の試合では通用する」などという揶揄(事実?)をもってして日本プロ野球の低レベル批判をする向きもございますので、今後成績が安定して評価が定着し、再び大リーグに戻ることができるかどうかはまだ分かりませんが、彼が日本人ならばメジャー挑戦者候補になっていたのは間違いないでしょう。

日本でトップクラスの成績を残すラミレスやマートンでさえ通用しない大リーグならば、かつて長嶋巨人が強奪した各球団の強打者のように、それは野球の才能とは違う作用や要因が働いているということです。

今年は日本人のメジャー進出候補としてダルビッシュ、岩隈、中島、青木、和田、杉内など錚々たるメンバーが名乗りを上げていると言われています。

イチローというとんでもない「ものさし」のある中、どの程度活躍すれば成功、活躍しているという印象を与えられるかは分かりませんが、ステイタスとして渡米するのなら、成果が出なくても評判にこだわらず、さっさと帰ってきてほしいものです。

イチロー裁判 少年野球の愉悦

2010-09-27 | スポーツ
イチローが毎年記録してきた200本安打に関して、内野安打が多い、スランプがない「足」で稼いだ安打に意味はない、などと揶揄する向きも多いようです。

私は野球のシステムの中で一番美しいのは、ホームランの軌道ではなくダブルプレイの無駄のない流れるような動きだと思っているので、左で足の速さを印象付けられた併殺の少ないイチローの存在により内野手が慌てる様子を見るのが好きです。

ホームランや四球ですと、当然内野手は動きません。展開次第では試合進行や結果にダイナミズムがあったとしても、その時間帯のプレイ自体には躍動感はないのです。イチローが打つだけで、サッカーのゴール前の攻防のような緊張感が生まれるとすれば、現場にいる観戦者にとってはこれほどのカタルシスはないわけです。

イチロー自身がそのようなエンターテイメント性を前提にプレイしているとは思いませんが、面白い野球が見たいと思う野球ファンとしては、大味な大リーグの中で観客も含めた試合参加者の誰にも集中を強いる彼のスタイルは、薬によるパワーや球場の広さに関わることのないピュアな野球だといえるのではないでしょうか。

休日に散歩がてらあちこちの公園で行われている少年野球を見ている限り、打取った内野ゴロでの攻防が雌雄を決しますし、ライトゴロなどが頻繁なので、最後はディフェンシブなチームが勝つという傾向が見て取れます。

結局、どのレベルであれ、舞台であれ、スリリングであればそれでいい、なんてことを思う私のようなものにとってイチローの記録は、ついてくるものであり、記録事態は記憶の補完でしかないものです。