アルジェリアのガス施設で起こされた今回の人質事件。「人命尊重」という欺瞞を蹴散らして解決・収束を図った同国政府の乱暴な手法に対して、国際社会の非難は思ったよりは少ない。無念ではあろうが仕方のない側面も大きいからだ。
舞台となったガス施設はアルジェリアの全ガス輸出の約2割を賄っており、誘拐犯グループが施設を爆破するようなことがあれば、同国内外に大変な影響を及ぼすと言われていたし、また、人質と共に脱出を計った犯人グループは海外からアルジェリア政府にではなく、国際社会に取引を持ちかけるだろうと推測されていた。
中国がチベットに拘るのが、人民を養わなければいけないという政府の責任としてその水源の確保の必要がある、という理由とよく似ている。
その段階をすべて読み込んだ上なのか、大変な犠牲は出したが、アルジェリア政府はその芽のすべてを摘み、犯人グループを殲滅、早い事件の収束をみた。
遠因としては、かねてより指摘されていた、欧米の誉めそやす北アフリカの民主化(特にリビアの)によって、他国から過剰に供給された余剰武器の拡散が引き起こした事件。
それは、アフリカには義理のないアメリカの関与の少ないかつての植民地からの報復への心配をはじめ、今後も関わっていかなくてはいけない「民主主義」や「人権」という最近作られた概念によって縛られた欧州の計り知れない憂鬱を想起させる。
気の毒な話だけれど、前世紀までの彼ら白人のやってきたことに比べるとその復讐は、「ささやかなもの」と私は考える。土地や人間を大規模に蹂躙しその歴史を正当化し、いい加減な概念で中東及びアフリカを仕切ってきた連中の罪を、今贖っているのだと。
翻って極東の状況を鑑みると、中国や韓国の反日政策・反日デモなどは、非常に紳士的で手続きを踏んだものだと思え、たかだか小さな岩礁のような島を巡って争う我々アジアの人達の穏当さに感謝したくなる。
その争いのソフトさは、欧米に比べれば苛烈とは言いきれない日本人の植民地政策の穏当さに由来するものかもしれない。
宗教や思想がその風土に基づいたものであるということを柱にして考えると、それはつまり、あらゆる不幸な事象は「気の毒なこと」としか言えない。あるいは、日本も島国らしい穏当であるが故に外交下手であることを、むしろ誇らしく思った方がよいのかもしれないと思うこともある。
舞台となったガス施設はアルジェリアの全ガス輸出の約2割を賄っており、誘拐犯グループが施設を爆破するようなことがあれば、同国内外に大変な影響を及ぼすと言われていたし、また、人質と共に脱出を計った犯人グループは海外からアルジェリア政府にではなく、国際社会に取引を持ちかけるだろうと推測されていた。
中国がチベットに拘るのが、人民を養わなければいけないという政府の責任としてその水源の確保の必要がある、という理由とよく似ている。
その段階をすべて読み込んだ上なのか、大変な犠牲は出したが、アルジェリア政府はその芽のすべてを摘み、犯人グループを殲滅、早い事件の収束をみた。
遠因としては、かねてより指摘されていた、欧米の誉めそやす北アフリカの民主化(特にリビアの)によって、他国から過剰に供給された余剰武器の拡散が引き起こした事件。
それは、アフリカには義理のないアメリカの関与の少ないかつての植民地からの報復への心配をはじめ、今後も関わっていかなくてはいけない「民主主義」や「人権」という最近作られた概念によって縛られた欧州の計り知れない憂鬱を想起させる。
気の毒な話だけれど、前世紀までの彼ら白人のやってきたことに比べるとその復讐は、「ささやかなもの」と私は考える。土地や人間を大規模に蹂躙しその歴史を正当化し、いい加減な概念で中東及びアフリカを仕切ってきた連中の罪を、今贖っているのだと。
翻って極東の状況を鑑みると、中国や韓国の反日政策・反日デモなどは、非常に紳士的で手続きを踏んだものだと思え、たかだか小さな岩礁のような島を巡って争う我々アジアの人達の穏当さに感謝したくなる。
その争いのソフトさは、欧米に比べれば苛烈とは言いきれない日本人の植民地政策の穏当さに由来するものかもしれない。
宗教や思想がその風土に基づいたものであるということを柱にして考えると、それはつまり、あらゆる不幸な事象は「気の毒なこと」としか言えない。あるいは、日本も島国らしい穏当であるが故に外交下手であることを、むしろ誇らしく思った方がよいのかもしれないと思うこともある。