長電話

~自費出版のススメ~

絶対安全原発

2012-09-20 | 政治
民主党の原発政策が右往左往しています。

原発推進にはっきり舵をきることを公約とする総裁候補を戴く自民党に対して、次期衆院選挙で勝てないまでも、議席の減少を最小限に食い止めることが党としては最重要事項であるのにもかかわらず、民主党は国民に人気の高い「原発ゼロ」へのスタンスを明確にできず、また、総選挙の争点とすることも避けています。

党の理念として「必要」であり、選挙で負けないための「突破口」であるはずなのに、です。

政治家は落選すればただの人、と言われるように、政治家を「理想なき政治屋」と捉え、落選中の仲間のために早期選挙を臆面もなく望んでいた自民の古賀誠っていう、ある意味愚かな政治屋の「本音発言」を待つまでもなく、政党や派閥を束ねる「リーダー」たちですらその立ち位置は「そんな程度」であり、ひどくいやしいものです。

しかしだからこそ、それなのにという民主党の、選挙に有効なはずの「原発ゼロ」政策からの忌避が解せません。選挙に勝てば主張の正当性が担保されるというのに、それが出来ない不思議。政党は選挙にて数を確保することが至上命題のはず、それを返上しても実現したい政策とはなんなのでしょう。

米国の意向や経済界のプレッシャーは、そりゃあるでしょう。しかし選挙にさえ勝てば、ある程度のフリーハンドは得られるはず。さらに「原発ゼロ」を口にさせすればある程度の票が集まるという現状のなか、選挙権のないアメリカや、金の亡者的発想しかない経済団体の意向に、それでもつき従うという動機。民主党という政党が失われても守らなければいけない、あるいはバランスを取らねばならないという状況とはなんなのでしょう。

従来の原発政策とそれに伴って整備されてきた政治システムを嫌悪し、しかし同時に迂闊で安易に原発反対を唱える連中にも違和感を覚える私のような、政治構造に深く失望している連中にとって、こと原発政策に関してはポピュリズムに期待しておりました。

しかし、どうやらそれも叶わないようです。

細野さんという、覚えにくい名前

2012-09-08 | メディア
サッカー日本代表の本田もそうなんですが、「は」行の人の名前は忘れやすい。長期政権だった元首相は「小泉」、マンUの香川は「香川」って顔をしているのですが、本田の顔や髪の色は思い出せても、名前がでてこないことがあります。

「は」行の人たちはイメージが名前に寄り添わないのです。自分も「は」行の人だからでしょうか、齢50に至ろうとしているのに、いまだにしっくりきてないくらいです。

細野晴臣の場合、「ホソノサン」という語尾があがるサンまで含めて記号になってるので業界的には問題ありません。そのせいかもしれませんしれませんが、細野といえば晴臣と、なんとなくフルネームを要求されますが、そうなります。

もちろん、ありふれた名前は匿名性が高くなるのは仕方ないことです。しかしそれは、村上といえば、龍なのか春樹なのかっていう話でもないのです。とにかく「は」行は覚えづらい。

さて、民主党のホソノさんは、恐ろしく卑しい感じの若手議員に推されて、代表選出馬を促され、逡巡はしていたのですが、結局不出馬をきめました。

彼はなぜ出馬しなかったのかというと、それは出馬したら勝ってしまうからです。総理ってのは横綱みたいなもので、やったら上がりになってしまう恐れはありますから、大関のまんましばらく過ごしたいってこともあるのでしょう。

政治家のもっとも重要な仕事は選挙に勝つこと、という転倒した状況を変えない限りこういったくだらない世界は続きます。細野総理大臣は卑しい連中に担がれたシンボルにはなり、票の動きに多少の影響は与えるかもしれません。しかし政策的支持の受け皿になるような準備をしてはいないでしょうし、してたらむしろおかしい。

政治家の野心が、政策の実現ではなく、立場の保全にあることが「細野擁立」を招いたことは、誰もが理解するところです。民主党、ひいては政党というものは、商業的営為に過ぎないオワコンであり、間接民主制の限界、つまり1億の人口を抱える国の中央集権政治の実質的終焉を意識させられるところです。

優しくダンディな大人、あぜ道のピルロ

2012-09-07 | スポーツ
他人と違うタイミングで笑う一人暮らしの人は、皺が少ない。肌は荒れてる人はいるかもしれませんが、ツボにはまらないと笑わないし、そんな人のツボなんてそうそう現実ではありませんので、顔面の皮膚が保存され、老けるのが遅いのです。

顔面の皮膚を使うって意味では、よく泣く人もまずいのですが、日常的に泣く人はめったにいませんので、勘定に入れなくてもよいでしょう。ここはひとつ、笑うことについて考えてみたいと思います。

今となっては、ジミーペイジは太ってもしょうがないな、とは思うのですが、ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)だけは太ってほしくなかった、というような渋好みの連中にぴったんこ、嵌ることをお勧めするのは、セリエAユベントスのピルロです。

オリンピックをはじめ、今年の夏のさまざまなスポーツイベントのなかで、もっとも輝いていた男はスペイン代表のイニエスタ(ユーロ2012)です。MVPも獲得したしたし、アシストもゴールもそれほど記録として数字には残ってはいないのですが、起点、ゲームメイカーとして最高のプレイを披露してくれました。

されども、イニエスタは10代でこそ天使ようなルックスで、いまも悪魔のようなプレイをする選手ですが、いまやほとんど三宅裕司であり、プレーにセンスはあれど、そこにダンディズムが芽生えるのはこれから。社会的にはまだまだ若造です。

しかし、かつて、ローマの王子トッティのできそこないみたいなプレーヤーであったピルロ。あのちょっとふにゃっとしたルックスは頼りなく見えたし、スター性もなくプレーも仲間に信頼を寄せられるようなものではありませんでした。

知的でシニカルなアーティストの存在とは常にそういったものかもしれませんが、猫が急に飛び出してきて、あわててハンドルを切って、車ぶつけちゃうみたいなファンタジスタだということを、しかし、私たちは後で気づくことになるわけです。

そういった、笑わないくせに、妙に優しく、チップインキックを決めるピルロが世界最高の大人であり、男と思い、今のキャリアを見て、まるでルネサンスのラファエロに思いをはせるように、あこがれるのは、私だけではないでしょう。

ちらっと笑うこと、精神的にソリッドであること。皺がないほどクールなこと。これらが、川の底からこんにちは、とどんな状況であれ言える、あぜ道のダンディだといえます。