長電話

~自費出版のススメ~

復活する人々

2013-02-11 | アート
自分の記憶、記憶に自身が裏切られることは、誰しもあるでしょうが、年月を隔てて培った記憶が、他人によって検証される行為としては、少年時代の「同窓会」が有効であることは、言うまでもありません。

同窓会とはそういう残酷な側面があり、自分の記憶、海馬への自信が揺らぐものです。

松田優作風に言うと「残念だったね」で終わるような失望、他愛のないことが、分刻みで繰り返され、その記憶のいちいちが「承認」を得ず、用意していた謝罪や感謝が中空を舞うのです。

神が宿るはずのディテールは共有できないし、美が宿るはずの乱調も現れないとすれば、同窓会の現場という実態が、「懐かしいね」と、言うのもげんなりするようなタイプの人間にはそもそも相応しくない、ということで、撤退の2文字しかないとすれば・・・

となります。


安倍総理の記憶、その中の悔恨に属する感情が、どれほど強いものかと感じるのは、党派を超えて感じる「少年性」の一種なのかもしれません。