長電話

~自費出版のススメ~

眠い試合で、本当に寝てしまったパラグアイ戦

2010-06-30 | スポーツ
堅守速攻タイプのチーム同士の対戦とはこうも貧乏くさくつまらないものか、と思わされたのが、オランダ×スロバキア戦、そして昨夜の日本×パラグアイ戦です。途中で寝てしまった私は、自国チームへの愛情のなさを露呈し、国家としての日本への帰属意識の薄さを確認した次第な夜となりました。

こんな戦術を前提に選手を選んだわけではなかったのでしょう、守備とリスクを冒さない攻撃の連携も悪く、交代要員も同じポジションに同じタイプしかいないのでリズムを変えることもできず、、慎重なパラグアイを攻めきることができませんでした。またおかしな誤審でもないかぎり、試合は面白くなることは考えられず、ついつい船を漕いでしまいました。

なんだか、日本の工夫や結果、短期間で導きだした成果に対してそれまでの経緯との因果関係がよく分からない私は、これから始まる監督選考や新しいチーム作りに興味がうまくもてなくなってしまうかもしれません。

点けっぱなしのテレビから、残念な試合結果を報じるアナウンサーの声に起こされ目覚めると時間は午前3時20分。決勝トーナメント第1戦の大一番「スペイン×ポルトガル」戦が見られるじゃあーりませんか。ポンコツ車の間抜けなレースの後にF1の試合を見せられるようなこの展開にすっかりやられた私は眠ることができなくなり、ボールがピンボールのようにめまぐるしく動く楽しいイベリア半島サッカーを堪能することになります。

試合はほとんどファールをとらないジャッジもあって、退屈せず、やはりスポーツは美学がないとつまわらんわなあー、などとほざきながら、終始上機嫌で観戦。とても満足な内容で日本戦のよい口直しになりました。

日本がPKを勝ち抜いたとしたら当たるはずだったこのスペイン。遠藤と長友が累積イエローで出場停止のチーム状態ではおそらくぼこぼこにされたでしょうね。惜敗のイメージで大会を去り、「ついてなかったね」とねぎらわれる方がマスコミとしてはやりやすいかもしれませんが、本気でやってくる世界とのギャップを感じられる経験ができなかったことに選手達は悔しい思いをしていることでしょう。それを考えると結果は気の毒だし、残念ですね。

また、準々決勝で初めて負けてもいいやという気分に監督がなって試合を諦めれば、森本や内田に経験を積ませることができたかもしれないわけです。

ま、日本は負けましたが大会はいよいよ佳境に入り、もうへなちょこちーむが絡んだ試合もありません。みなさん体調管理に気を配りながら、「サッカー」を楽しみましょう。。

神々の黄昏~ファーディナントのいない6月

2010-06-28 | スポーツ
南米やイベリア半島ならポゼッションサッカー、かつてのセリエ、イタリアならカテナチオ。プレミアなら縦の速攻と、スタイルはそれぞれ個性・文化が国民性の反映としてサッカーに現われます。

しかしその中で、イングランド、フランス、ドイツ、そして現代のイタリアはそのどれも局面に応じた試合を展開でき、それ故に戦術に特化された特徴がなく、総合力としてそれは「魂」とか「プライド」という意識に説明を求められることが多くなります。

しかし、当然のことながら、戦術に左右されないということは、メインアクターのコンディションであったり世代交代の時期であったり、と出来不出来が選手個々人に委ねられ、同じ監督でも強かったり弱かったりしてしまうのです。

イングランドvsドイツはそういう意味で「総合力」の勝負であり、偏った戦術のない強豪同士のタレントを活かしたピュアなサッカーが見られると、とても楽しみにしていました。

ところが結果は大笑いの「誤審」騒動。私は誤審直後にイングランドの勝利を確信し、応援モードに入り、勝利の女神の微笑裁定を期待しましたが、勢いのある若手を擁するドイツがあっさり勝利。イングランドはファーディナントのいないディフェンスと、ながらくタレントを見出せないキーパーという弱点そのままに、カウンターというドイツらしからぬ展開で点を重ねられ、誤審を言い訳にできないほどの完敗を喫してしまいました。

スペインvsスイスに象徴される「華麗なパスサッカー」対「堅守速攻」が要約されたテーマである今大会。その力関係の外で戦う伝統の一戦でしたが、このマッチアップの興を削いでしまった誤審以上に、まとまりのないイングランドの守備陣にはがっかりさせられました。

G8からG20へシフトしていく国際社会のように、勢力図はいまや塗り替えられ、日本や韓国がゲリラ的に勝利する昨今(言いすぎか?)。16強で6か国しか残らず、その6か国がいずれも対戦し、8強には3か国しか残らない運命の欧州勢の没落は、外国人がメインの構成をするチームが勝ちがちなリーグの状況を見ても明らかだったように、資本主義とナショナリズムのせめぎあいが露呈しており、WCで結果を残すには真面目に対策を考えていかねばならない事態に至っています。

勝てば官軍

2010-06-25 | スポーツ
このようなめでたい状況になったのですが、「岡田」ジャパンをそのネーミングからして嫌悪してきた立場としては、日本のグループリーグ突破を素直に喜べず、盛り上がるサポーターやマスコミを横目に複雑な心情で週末をやり過ごしております。

正直、いきあたりばったりの岡田監督によって代表はめちゃめちゃにされ、1勝もできない惨めな成績で成田で卵をぶつけられ、日本サッカー協会に鉄槌を下しすべてをリセットする、というのが最善のシナリオだと思っていました。

カメルーンは予想外に弱く、デンマークは老いている上に戦術に失敗し、オランダも堅実に勝ち点をとりにきたこともあって、いろいろな幸運が重なった結果とはいえ、岡田監督のプレッシングサッカーからの撤退、監督と対立することなく戦術の変更を促した選手の自覚と一体感がチームに素晴らしい成果をもたらしました。

チームの成長というのはこのようないきさつですらありえるという意味でいえば今回の代表の活躍から得られる「万事塞翁が馬」という「セラヴィ」な結論は、選手のチョイスや指導センスにチームの解散後の避けられない代表の戦力ダウンに対しては生きた教訓を残すことはできないかもしれません。

ただ、オシムから「日本サッカーの日本化」というテーマを与えられ、守備の文化のない日本に堅守という、韓国とは違うスタイルを解として苦し紛れながらも提示した監督以下日本代表のスピリッツは今後引き継がれていくでしょう。

一つ勝てばそれだけ経験が増えるのですから、決勝トーナメントでのこれからの貴重な時間を大切にしてほしいものです。

寅さんだってやくざ

2010-06-24 | アート
愚かで自己顕示欲の強いジャーナリスト立花隆によって追い詰められた田中角栄のときと同じく、関係者の多くは知っていて、普通にやってきたことが、ある日突然あかるみに出て駄目出しされ、犯罪者のような扱いを受けることになった、という構図が今回の角界野球賭博騒動にも当てはまります。これも品格ブームの一貫なのでしょうか。

相撲はもう近代以前からある芸能で、興行(地方巡業)は顔役である地元の有力者である政治家、やくざや土建屋さんが仕切り、彼等は赤字覚悟でタニマチとして振る舞い箔をつけ、名士としての地位とプライドを継続します。

今回の騒動にでてくるキーワード「暴力団関係者との関わり」が、罪を問う権利としてマスコミがふりかざす根拠なのですが、「暴力団」なる曖昧な表現から反社会的と思われますが、侠客とか任侠と言い方を換えれば納得がいくでしょうか。阪神淡路大震災のときに政府なんかより先に被災地に駆けつけ、炊き出しをしたのは山口組の面々なのです。

「警察対組織暴力」など笠原さんの脚本の映画を見ても分かるように、1945年の終戦の時、無政府状態でさらに朝鮮の人達が一気に解放され権利を主張しはじめた時代に、警察の代わりに治安の維持に腐心してきたのが彼等「やくざ」なのです。昔はよくいた「近所に必ずいる馬鹿」を犯罪を起こす前に電話番なんかで使ってやるのも「やくざ」なのです。

日本人の強引に「自分」達と同じ市民感覚というわけのわからない基準目線ですべてを捉えマスコミを使って伝統を壊すという習慣はいい加減にしてほしいものです。山下達郎の「ヘイレポーター」でも聞いて自らを振り返るべきです。

思えば異形な人達の無差別級の戦いという異常な芸能スポーツ。どこか変で非常識でなきゃおかしいのですよ。生活費もかからない彼等の金銭感覚やよってくる有象無象の連中に対する無防備さ。誰でもやっている賭博をめぐる単なるトラブルとして片付けてもらって、相撲ファンを安心させてほしいんですけど、まあ駄目でしょうな。

サッカーは難しいスポーツ

2010-06-21 | スポーツ
ヨーロッパの強豪は決勝トーナメントにコンディションを合わせるのが体に染み付いているのか、軒並みちぐはぐな試合を演じ、日本がグループリーグ突破を伺うなど番狂わせの多い大会となっている今回のワールドカップ。

18回を重ねるこの大会で優勝しているのはアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、イタリア、フランス、西ドイツ、そしてイングランドと6ヵ国1地方しかない常任理事国状態でした。

しかし、流出により核保有国が増えNPT体制が揺れている世界の力関係同様、戦術・フォーメーションという知的な武器が小国にもほぼ浸透したことにより、(ブラジルを除く)サッカー大国の優位が崩れはじめていると捉えれば、今大会の1次リーグの波乱にも納得がいきます。

思えば8年前のWCでの韓国のベスト4、6年前のユーロでのギリシャが優勝が、天才のいない国の戦い方の見本となったのかもしれません。どちらもその国にフィットした戦術を採用し、人もボールも動くハードワークによって結果を残しました。

かつてのイタリアやスペイン、ポルトガルなら多少の誤審があったところで弱小国など個々の突破により殲滅する力を持っていましたが、そうはならない戦術の力を見せ付けられたのです。

ギリシャや韓国というスターのいない見慣れないチームが勝っていくと、なんとなく人は不快になるし、敗因を誤審や買収疑惑に求めたりしていた大国の陰で小国は戦術に勝機を見出すことを学んでいったのかもしれません。

大会前にNHKで昔のワールドカップ名勝負なるものを放送していたのですが、今の複雑なサッカーを見慣れた私達の目には当時のスタープレイヤーのテクニックに頼った展開にも(多少オーバーに言えば)「中学生のなかにとても上手な子がいる」程度にしか映らなくなっていました。

野球のピッチングの組み立ても相当な駆け引きですが、それ以上に難しい頭を使うスポーツになってしまったサッカーを1試合、これがあーなってこーなって、そーなるからすごいんだ、などと追いかけているとかなり頭がもたれるようになりました。

祝250セーブ 岩瀬仁紀の発するアルファ波

2010-06-19 | スポーツ
日本×カメルーン戦で最も輝いていたウィングの松井は、今所属チームがありません。また、その才能は未知数ながら注目を浴びる本田もロシアという地味な場所にいて、よりレベルの高いリーグへの移籍を望んでいます。この2名によるゴールの演出はワールドカップの国際見本市的な側面を思い出させられ、モチベーションの高い選手こそが活躍するという、サッカーはメンタルが重要なスポーツなんだと改めて感じ入ります。

野球は接触プレイがほとんどなく、対戦も小さなボールを巡って敵とある程度距離を保って戦うスポーツなので純粋に才能や調子がむき出しになることになります。ことさらに「チームのため」を説く人間が多いのも、サッカーほどには連携の必要のない野球にとっては、それが精神論に過ぎないことを知っているからこそなのかもしれません。まさに江夏のいう「野球はひとりでも勝てる」のです。

極端に比較してみると、下手でも気持ちと試合にフィットしたフォーメーションがあれば一発勝負なら勝てる可能性のあるサッカーと、実力が試合にしっかり反映される野球ということでしょうか。

得点数とアシスト数以外ほとんど数値化することのできないサッカーとは違い、大リーグで活躍する選手の所属チームの勝ち負けは報じず、個人の成績ばかりを取り上げるメディアを見ていても分かるように、個人記録は野球において重要でチーム成績以上に興味をかきたてるものなのです。

キャリア12年、ストッパーに回って7年で達成した岩瀬の250セーブという大記録が、ワールドカップの喧騒のなか、交流戦の消化試合という形で達成されました。あの藤川ですら140セーブであることを考えると、その記録達成の早さに驚きます。

岩瀬の、怪我をしない強靭な体とケア、常に責任のある立場での登板を求められる抑えという役割を果たす持続する気持ちの強さからは、ひとときのモチベーションとは違う、宗教的な静けさが伝わってきます。

地味なチーム、地味なカード、地味な時期での記録でしたので、サッカーに酔う国民にこの記録を大きく報じたりすると、きっとテレビ局に苦情がきたりするのでしょう。ただ日本人で3人目。少しはとりあげて労をねぎらってほしいものです。

世界が腰を抜かした幸運なサッカー

2010-06-15 | スポーツ
前評判の悪さではどっこいだったカメルーンと日本のグループリーグ初戦は、両チーム決め手を欠き、どちらに転んでもおかしくない試合となり、1度しか試したことのない本田をワントップで使った日本がどういうわけか勝ってしまいました。

不景気なイタリアやスペインで選手への結果に対する報奨金の額が問題になっているように、最近はどの国も自発的なナショナリズムというモチベーションに端から期待せず、傭兵のごとく結果に対する報酬を求める選手に対応した措置(報奨金制度)をとっている国も多くなりました。

また、監督は選手以上に「雇われ」感が強くサッカーには「結果」が求められることになり、当然試合は内容はいいからとにかく「勝ちゃあいい」という意識の下、どの国もポゼッションを捨て、確実性の高いカウンターサッカーを取り入れることになって迎えたのが今大会です。

サッカーにおいて「勝つ為には手段を選ぼうじゃないか」というのは「金持ち喧嘩せず」のできる一部の国だけなので、遅きに失したとはいえ、こと(サッカー)後進国の日本という話であれば、堅守(速攻?)である今の戦い方は間違ってはいません。短時間でよくここまで修正したものだとさえ言えるでしょう。

ポルトガルやスペインなどのパスサッカーは、相撲でいえば、琴欧州が安美錦の引き技にあっさり負けたりするように、堅い(ずるい)戦術に破れたりすることが多く、これからは重要な大会になるほど、私の好きな「優雅で感傷的」なサッカーは追いやられ、「堅実で官僚的」な戦術が、タレントのいないチームには必須となるのでしょうか。

ワールドカップを軸に4年間試行錯誤を続けたのに、結局そのときに調子にいい選手、必要な戦術を採り、それが機能するというのであれば、毎年開催すればよいのでは? と思ってはしまいます。

ブブゼラの発するメッセージ

2010-06-12 | スポーツ
南アフリカ×メキシコ戦が終わり、ようやく静かに、故に音量を上げて見ることができるな、と思っていましたら、次試合のフランス×ウルグアイ戦も「ちっとも変わらねえじゃねえか」とがっかりしてしまう、観客席からのリズムもメロディーもなくただ単調に流れ続ける「ブブゼラ」による抗議ともいやがらせとも見まがう音の洪水に辟易しました。

あの鬱陶しい日本の野球のメリハリのない応援の方がまだ救いがあると思えるほど邪魔。試合を見ず、続けることが目的なのか、試合が終わってもそれに気づいていないように必死に吹き続ける有様は、いったい何をしに来たのか、それで楽しいのかと疑うほどで、その生産性のない姿勢に腹が立ちます。

その国の歴史や文化だからしょうがないというには「ブブゼラによる応援」の歴史は浅く、このようなスタイルを取り始めたのも2001年にプラスチック製のものがスポーツメーカーによって作られ普及してからなのだということですので、そうそう尊重する必要もないのではと思います。(つまり反アパルトヘイトの象徴なんていう政治的、歴史的な意味はない)

試合もあのメキシコやウルグアイもカウンターサッカーを追求するという(そういやブラジルやオランダも)、どのチームも勝ちにこだわりはじめ、嫌な予感がします。

優勝の本命は硬くブラジルに、対抗でイングランド、大穴はアルゼンチンといったところでしょうか。個人的にはポゼッションサッカーを優雅に進めるスペインに初の栄冠をつかんでもらいたいのですが、ブブゼラという「魔笛」は、世界の趨勢は単調な堅守速攻という、間違ってはいないけれど、誤ったメッセージを伝えているようです。

印象派から写実派へ

2010-06-07 | 政治
ぼんやりとした「日の出」の勢いが受け入れられず、最後は日の丸を掲げることもできず没した民主党政権の2日目は、前日とのコントラストのきつい、随分現実的な太陽が昇ってきたもんだな、てなところでしょうか。

ワイドショーのコメンテーターになるに十分な資質を備えていながら、金には目をくれず政治家という危険な職業に就く志の高い人達の中でも、今回の政権のメインアクターである枝野氏と菅氏、仙石氏は、鳩山氏とは違う、理想主義と現実主義の折り合いに骨を折ってきた挫折を知る政治家であり、文化人・知識人といわれる連中とも十分に会話、議論のできる日本の政治家には珍しい、そして頼もしい本物のインテリです。

ただ、かつてアメリカのゴア副大統領が「インテリの高慢が鼻につく」という理由で国民に拒まれたように、選挙の顔としての枝野氏の幹事長起用は、日本の民度を考えるとゴア氏同様に忌避されたりしないものかと少々心配ではあります。。空中戦における選挙の顔は菅氏であり、蓮氏なので、杞憂だとは思いますが、地方の古い古い体質の老人方に、清新な幹事長の理詰めの発想が、既得権益者の「被説得力」がどのように作用するかがまだまだ未知数ではあります。

偶然が重なり、政権交代を成しえた時の党首がたまたま鳩山氏だったので、鳩山政権ということになりましたが、民主党にとっては貫禄、実績からいって菅氏はエース。勝負なのです。あとは小沢という田中角栄没後の最大の財産をどう処遇、活用するかが民主党政権というものが本物か、あるいは「政界再編」への暫定なのかが決まるでしょう。

「不幸の最小化」という複雑な概念を唱えながら、官僚の分断統治を匂わせる「最初から財務省を敵に回しはしないよ」と言った、したたかな菅氏を中心とした新トロイカ体制のハンドリングが機能するよう祈るとともに、予定される参議院選挙と重なる7月11日のワールドカップ決勝のテレビ画面にL字に選挙速報が流れ、ゲームに集中できないことになることを避けることも考慮し、サッカーファンをてなづけるという意味でも、是非国会延長をし、政権を安定させてほしいものです。

総理は1年毎に変わりますが、WCは4年に1回。その重要度は天と地ほど開きがあるのです。麻雀や将棋や囲碁と勝負事の好きな菅氏なら分かってくれるでしょうことを期待しています。

ネット社会における北風と盧風、戦争と平和

2010-06-04 | 政治
アメリカの原油流出事故とともに、トップ記事でもおかしくないのに、意外と報道量が少ないのが2日に行われた韓国の統一地方選挙の結果です。南北危機時には必ず保守系の票が伸びるし、事前の世論調査でも与党ハンナラ党有利の情勢が、いっきに野党民主党がまきかえしにでて大波乱、実質的に与党の敗北となりました。

地方選とはいえ、争点は例の「哨戒艦爆破事件」。世界では「キタが悪いに決まっている」というムードの中、野党民主党は李明博大統領のキタに対する強硬姿勢がこの事件を招いたと主張。漢方薬のようにじわじわと効くと信じる太陽政策支持を明確にしており、キタと事を構えるかどうかというこの時期に、紛争の最前線で日本人には信じられないやんわりした主張を繰り返し、そして勝利したことはメッセージであり、現大統領があくまで「経済」的理由で選ばれたことを示し、自殺した前盧大統領や故金大中元大統領の執念が国民、特にツイッター選挙を展開した若い世代にすっかり浸透しているといえます。

駆逐(戦争)による平和と、融和による懐柔(平和)とを選べといわれれば、当事者であれば私も懐柔を選ぶでしょう。「死ぬのは嫌だ、戦争反対」であり国の「ステゴマ」になるのは嫌だということです。でも他国(とはいえ隣国ですが)の話であり、キタの国民の窮状を考えれば、駆逐することによって人権問題を解決してほしいとも思ってしまいます。

沖縄の位置という理由から沖縄の米軍基地が重要なように、日本にとってキタの最前線に韓国があり防波堤になってしまっているのも、日本嫌いの韓国人にとっては皮肉なことです。

ネットという、当事者意識が薄れ、観念的にならざるをえない社会が、朝鮮半島では左にぶれ、日本では右にはぶれています。良し悪しを超えて考えるなら、キタという「野生」がそんなSF的な世界にどんな突破力を示すのかも興味深いところです。

市民活動家が総理就任へ

2010-06-02 | 政治
コンダクター型総理という、新しいリーダーのスタイルを模索した鳩山さんが、チューニングの狂った楽器で不協和音を奏でるオーケストラという党や官僚、マスコミをまとめきれずに、指揮権を放り出すことになりました。

このような結果になったのは個人的には、政権交代という「刷新」のチャンスにもかかわらず、総理に情報を上げず、机上で案を練り、機密費や記者クラブ開放問題に対しても鈍い反応をし続けた、バンマスである平野官房長官の政治センスの問題とは思いますが、そんな人を指名してしまった鳩山氏の、天野祐吉が指摘したように、アマチュアリズムというよりアマチュアだった本人の資質の問題が大きいのでしょう。

「アマチュアが総理になれる国」というのもまあ面白いものです。

鳩山氏はアマチュアらしく、次回の選挙には出ないそうですし、引き際としては(自民の狂ったように陽気な3馬鹿世襲総理とは違い)いままでにない潔い引き際の形を示し、民主党政権自体の崩壊は食い止めたように思います。

民主党は政権を獲得することによってまだ短期間とはいえ、与党としての経験を積むことができていますし、枝野氏や仙石氏など思わず期待してしまう人材もまだまだいます。噂される「海江田官房長官」や「細野幹事長」なんて派手な陣容で、さらにやわらちゃん公認取り消しなどをぶちあげて選挙に臨んだりすると意外とそこそこ勝ってしまうかもしれません。

ただ、外交的にはニューヨークタイムスが「日本の首相辞任」と、名前を挙げず肩書きだけで速報をうったように、海外では顔のない国の顔のないリーダーという日本のイメージの定着をさらに促す結果となっています。

「郵政法案」「新放送法」(いずれも原口マター)など、理想だけあってロジックのない政権の危うさが露わになった法案もあるだけに、参議院選挙で有権者が鳩山政権ではなく民主党をどう判断するかは見ものです。

それでも辺野古に基地はつくれない

2010-06-01 | 政治
沖縄の米軍基地問題は、世論の支持のない政権の外交交渉で足元を見透かされ、米ロードマップにも明記されているグアム移転の主張もせず、反米で国論を盛り上げることもできず、その虚言癖で取り返しがつかない位に信用を失っている総理によって、迷路にはまってしまいました。

原発やダム、空港などと違い、基地は強制退去などを国の権限ではできないことになっていることから、日米が合意したところで、現実的には辺野古基地は造れません。

そうすると、普天間維持はアメリカも嫌がっているので、「歓迎」しているグアムに移すことになってめでたく問題解決、なんてことになりゃしないか、てな説もあり、実際亀井大臣などは、このままでは基地などできないということを知っていながら辺野古移転の閣議決定に署名しています。政権離脱などせずとも、超法規的措置でもない限り、辺野古はないのです。

政治主導という美名のもと、言を左右する総理、協力しない閣僚や党(もちろん官僚も)のおかげで、危険な普天間からの海兵隊の撤退という基本線から離れ、社民党政権離脱、首相退陣騒ぎ(責任を取るタイミングを考えれば今はまずないと思う)などとすっかり国内政局というちっぽけなお話に収まってしまっている基地問題。今回は争点にもなりませんので、結局沖縄は中ぶらりんのまま、各党はくだらない思惑含みで参議院選挙に走りはじめました。