長電話

~自費出版のススメ~

奇跡と幻滅のあいだ~ブリキの太鼓のスヽメ

2012-08-28 | アート
久しぶりに「ブリキの太鼓」を見た。

「旅芸人の記録」「木靴の樹」「ブリキの太鼓」は、雑誌で薦められるままに見たけれど、高校生だった当事の私には長くて退屈な映画シリーズとして、まず記憶されている(同時期の公開である「ファニーとアレクサンドル」はさすがに敬遠した)。

私が一時期ドラマーだったことや、声でモノを破壊するという能力描写をその映画を観たというギタリストのH氏の、サイキックなシーンをいかにも愉快そうに話す様子が忘れられないこともあり、その後繰り返し見ることになったその3本の映画の中でも「ブリキの太鼓」は特に印象深い。

戦争を含め、大人たちが引き起こす悲喜劇の狂言回しであるオスカルは、その中立性とシニカルさにおいてスヌーピーとともに、私に強く影響を与えたキャラクターのひとつだ。

どのシーンも絵画のように考えられたアングルで畳み掛ける。映像と脈絡のどっちにもうちひしがれる映画なんて、そうそう出会えない。

こういった、あらゆるこの世の現象を一旦引き受けて、心の中で咀嚼、反芻し、もう一度自らのセンスとスタイルで再生してみる、という行為が作家という連中の、義務ではないにしろ営為だ。

現在、東アジアで行われている愚かな政治状況を引き起こしている民族の政治家たちも、是非この映画を観て、我に返ってほしいものだ。そして知識と経験が増える度にこの映画をものさしとして智恵をつけるため、どんな立場の人も繰り返しみるべきだ。

この映画に登場する、主人公オスカルより印象的な、サーカス団の団長の小人の優雅な振る舞いや発音を、誰しもが見習うべきである。

ブリキの太鼓の舞台であるポーランドであっても、かつての日本であっても、そのときの空気に逆らうのは難しい。パワハラで弱いものいじめをしていた私なんか、全体主義の時代に生まれていれば、またたくまに体制に沿い従ったであろうことは想像に難くない。

私のような迂闊で意志薄弱な人間にとって肝要なのは、組織から離れること。群れないことだ。そのこころがけが、なによりも安全弁として機能する。

そして生粋の愛国主義者より、左翼から転向した連中のリージョナルな屈託を信じよう。

傘がない

2012-08-24 | アート
ノンポリを「ノンポリシー」の略だと勘違いする日本人が多いのは、決して氷室京介のせいだけではありません。

「宴の席で政治の話など無粋」というのは、日本の政治が「ムラ」によって成立しており、その近代的正当性の薄い構造を衆目のなかで暴き立てる行為が、生臭いとして忌避されてきたという歴史故であり、ある意味地元の有力者がしきってきたのが政治であり、中央政府などというものはそもそもアテにするようなものではないという、日本型部族社会の名残でもあるからだと考えられます。

しかし有力者だけが情報を握り、利害調整を請け負ってきたイニシエのカタチは去って久しく、法の外から共同体を支援してきた侠客たちは「暴力団」と呼ばれ排除され、中間集団が担ってきた自治が失われるのと比例して民主主義がはびこり、平等を配給された日本の景色は平準化されていきました。

井上陽水の名曲とされる「傘がない」は、70年代学生運動華やかりし頃のアラ20の心情を唄ったものなので、小学生だった私が「当事者」として聴き、さもありなんと思った記憶はありません。

ただ、「いかなくちゃ、君に逢いにいかなくちゃ、傘がない」と続き、最後は泣いてしまうその唄は、たかが「雨傘」だけに固執しているのではなく、「傘」はいいわけで他に理由があったんじゃねえか、と子供心にいぶかったのも確かです。つっこみたくなる不自然さがそこにあったわけですな。

しかし、子供は暗喩など理解できません。
大人風にいえば、「傘」とは何のシンボルなんでしょうか。

おおむね同時期にヒットした森進一の名曲「おふくろさん」には「世の中の傘になれよと おしえてくれた あなたの真実」とあり、母へのラブソングの中にある「傘」が非常に政治的な意味合いにも捉えられます。

また、「君に逢いに」の「君」を男性と想定してみると、「君」が学生運動に熱心な人で、デモに誘われてるのだけれど、傘、つまり「政治的動機」を持ち得ないという心情の話なのか、と考えることも簡単です。

自殺する若者、テレビではアホなコメンテーター、と今も昔も変わらない話をさくっと挿入するこの曲がいまだ普遍であるという、井上陽水の過不足のないコラージュのセンスといったところでしょうか。

彼女、またどこかへいってしまう

2012-08-22 | アート
選んだ大学での選んだサークルでの印象的な面々ならまだしも、不可避・自動的な、自覚なき選択の高校時代の同窓生の顔を概ね忘れていたとしても、責められるような筋合などないといってもよいでしょう、と誰かに同意を求めたい位、30年振りで顔をあわせる同窓会というものは「あんた誰?」の連続でした。

同窓会なんて、社会的にある程度成功してる連中しか参加「できない」わけですから、その影のない表情を見ていれば、境遇を推し量ることは簡単です。私はそういったステイタスを無視し、ルックスの変化、発言の保守化などに興味を絞り、ふさわしいとはとても思えない、同窓会の参加を決めました。

驚くのは、女性たちの変わらなさ。

それでも幾人かの男性はその麗しさをキープしていましたが、多くの男たちは醜いというほどではないにしろ、おしなべて恰幅を確保し、金親子よろしく儒教的貫禄を身につけているのに比べ、女性のその変わらなさには驚かされました。

「変わらないねえ」は歯の浮くような褒め言葉なはずなのに、実際変わっていない彼女たちの体型には「おべんちゃら」が必要がなく、ただ事実を言ってるだけなのに「いやあねえ」と返す彼女たちに、「いやホントだよ」といえない歯がゆさを催しました。

手や首に多少の「老い」は散見されましたが、、デブはデブに、やせっぽちはやせっぽちに、ちびはちびに、鳥は鳥に、変わりない連続した生活を務めている結果としての体型維持には、少々感動です。

それはこの日に合わせてダイエットした、などというレベルではなく、その存在と印象が体型に寄り添っているからこその感動なのでしょうか。いまだあきらめていない現役感からくる感動なのでしょうか。

私は、いじめをしたという自覚のある何人かに謝罪を済ませ、私を最後まで嫌わなかった女性の何人かに謝意を示したあと、きょとんとする対象を尻目に、2次会に行く連中を見送りました。

一番綺麗だった、同じ部にいただけでほとんど会話すら交わさなかった娘に、「覚えてる?」と聞いて「ええ」と応じられ、その意外さにびびって「じゃあまた」と言う自分もどうかとは思いましたが、同窓会におけるビエイビアなんて誰しもそういったものでしょう。

領土という実存~極東における政治的成功とは

2012-08-21 | 政治
帰省の折、同窓会に参加したとき、その会の趣旨の一つに母校への募金があるということもあり、現役の校長が挨拶にきました。

同窓生も年齢からいってそれぞれ責任ある立場にあり、その責任ある立場とは「校長」なんていう仰ぎみる立場も含まれ、かつて畏れおおかった、かの「校長」という職業につく連中も、自分と年齢のそうそう違わぬ連中が務める事態に、私も失笑をまぬがれませんでした。

かつて映画の世界には、「プログムラムピクチャー」という、分かりやすくいうと構造の同じスタイル、「時代劇全般」「男はつらいよシリーズ」のような「○○組」による仕切りで安く上げ、伝承という「営為」によりその「スキルと経験」を保存するという知恵がありました。

小津といい、溝口といい、黒澤といい、評価されている稀有な作家により彩どられた日本映画は、そのすべてがよいのではなく、小津、溝口、黒澤等という個人がいたに過ぎない、決して日本映画全般が優れているわけではないと、浮世絵に憧れたかつての印象派の作家のようなゴダールは言いました。

しかし、かくいうゴダールも分かっているでしょう。そこには集団(世代)と、個人(時代を超越した存在)との葛藤とでもいうべきものが横たわっているおり、映画とは個々の作品ではなく、そのジャンル全般が鍛えられ、名作と呼ばれる作品は「代表」に過ぎないということを。

世代論はあまり意味がない、というのはゴダール好きの「坂本龍一」の持論。つまりすべては背景に関係なく、個人がすべてを切り拓くものという見識です。これを「保存」「伝統」の観点から考え、世代論的な立場からいうと、「その他大勢的才能」しかなくとも、そのスタイルという左翼組合的、あるいは右翼利権派閥的なルールのなかで、個人をアテにせずなんとか伝統を維持しようという発想、文化を包括的に捉えるつましい努力となるわけです。

同窓会というのは、まさに世代的属性を確認させられる場であり、おおむね部外者であり疎外された人間にとっては、帰属意識を無理強いさせられる世界ではあります。

経済的な勝ち負けが人生の「勝ち組」「負け組」を仕分けするものなら、経済的要素の強い映画や音楽の世界の伝統は、利益を生み出さない「負け組」とされる現在、アートと経済的な成功の背景に横たわっている「伝統的スキル」との葛藤を、現在領土問題でもめる日本の現状に置き換えてみると、同世代の政治家たちがいかに、その「伝統的スキル」を引き継いでこなかったが、よく分かります。

この文章が、同窓会、映画的伝統、政治とからめようとしてて完全に失敗しているように、世界はあまりに稚拙で、具体的すぎるようです。抽象化レベルを高めなければ、理解も許容も、また正しい反発もできないでしょう。

日本の政治家だけだと思ったら、世界的に政治家の劣化が進んでいるように、個人に頼ってもだめだし、伝統だけにおもねっても駄目だし、局面としてかもしれませんが、世界は曲り角に立っているようです。


苦役バス

2012-08-19 | アート
帰省のため、旅費を安くあげようと深夜高速バスなるものを利用してみたところ、出発した瞬間に後悔させられ、二度と乗るまいと誓わざるをえない、そして旅行とすら呼べない、地獄のような苦役を味わいました。

案内にはSAでの3時間毎の休憩をいれた道中17時間とあったので、たまった本をたっぷり持ち込み、時間の元をとるぞとはりきっておりましたが、出発し高速に入った途端「消灯」。まだ夜の9時。目の前にあった私の時間が奪われ、途方もなく長い退屈な時間が横たわります。

さらにカーテンが閉められ、景色を見る権利すら奪われます。自分がどこにいるか判断する材料もないのです。分かるのは時間の経過だけで、まったくの護送される囚人気分を、これでもかと与えられ続けられました。

運営会社による席の割り振りは、年齢と性別によるもので、似たタイプが並ぶことにより、一見友人、お仲間風なのですが、実際は全くの他人同士、当然、道中ひとっことも口を開くことはありません。長い時間をかけて旅費を浮かす貧乏で礼儀も愛想もない、旅行だっつうのに、酒も食事もとらない草食若者(弱者?)たちの群れ。そんななかに私は放り込まれていたのです。

気づくのがおそかった。

辛かったのは5時くらいに空が白み始めても、おそらく早くには寝られなかった連中が明け方にようやく寝付くことができたのか、みなさん泥のようになっており、待ちに待った夜明けなのに、カーテンを開けることができなかったことです。

暗室のような車内で目を凝らして本を読みながら、眠いやつにはアイマスクと耳栓配れよ、などとむかついておりましたら、小倉に到着。大半の乗客が降りたので、眠ってる人がいないのを確かめ、空いてる席に移動、誰にも断らずカーテンを開けました。

疲れました。

バス会社は、この条件に、時計とSAなしを加えたスタイルを導入し、気が狂わなかったらただにする、なんてツアーを考えてみるのも一興かもしれません。

いじめという執着

2012-08-18 | メディア
芸能人の「子供時代のいじめ」に関するコメントの多くは、「私もいじめにあった」、ではあります。

芸能人の応援的コメントは、イメージをマネジメントされた立場から仕方がないとしても、励ましや啓蒙のためになされる子に伝える親や先生、友人のカミングアウトもまた、「被害者」からの共感によって慰撫、心情の回復を狙うことが多い気がします。

よく、いじめた方は忘れるけど、いじめられた方は一生その記憶を留めているといわれますが、ホントにそんな自覚や常識をもった連中が、解決に当たってよいものなのかと、疑問に思うことがあります。

私は「いじめる側」をよくやりましたが、私に「いじめたられた側」の人たちやその行為をよく覚えています。私にとっての「いじめ」は恋愛と同じ「執着」であり、コドモの世界のヒエラルキーを利用したパワハラでした。

見てみぬフリの付和雷同どもも「いじめへの加担」に含めれば、概ねわれわれは「いじめる側」に属していると思うし、いじめられる側のサディステックな感情を誘発する卑屈で被害者然とした佇まいまでをも考慮にいれると、「いじめ」は組織がある限り続き、終わらないものだとは思います。