長電話

~自費出版のススメ~

醜い世相の反映としてのスカイツリー

2012-06-08 | 政治
まともな美意識があれば、東京スカイツリーが「みっともない」というのは分かるはずです。長すぎる太い尖塔と、裾野のないデザインは、墜落して地面に突き刺さった失敗したロケットかミサイルにしか見えず、造るに至った地デジ利権の醜いいきさつの反映を象徴しているという意味では納得はするものの、とりかえしのつかないシンボルを作ってしまった東京、ひいては日本という、落下する惨めな国を悪趣味に彩どっているようで、笑えるし、さっそく負の世界遺産に推薦するべきです。

村上春樹は東京タワーをみっともないと言いましたが、エッフェル塔だって最初は芸術家には非難の対象になったことを考えると、まだ許せるデザインです。なによりも日本の高度成長の象徴であり、まだいろんなことが曖昧だった時期に、有能な日本の技術者やアーティストがベストを尽くした感があったし、そこには野心も含め希望があり、その意味あいを考え合わせると、エッフェル塔も東京タワーも人間の重要な属性のひとつである「シンボル」に託すという機能を果たしてきたと言えます。

芸術家と国士を気取る(スカイツリーを容認した)石原都知事の見識が、ほとんど「田母神」氏と変わらず、尖閣を買い取るなどと言う割には、「ふくいち」事故によって失った国土については一切触れないことも含め、「現状分析」と「作戦立案」がバラバラ、あるいは「作戦立案」が「現状分析」に影響を与えすぎる現状に、同じ「石原」でも莞爾とは違い、下らない名誉にこだわる連中につきあうのはホントにつかれるなあ、とつくづく思います。

高熱にうなされていると、あの経済宗教シンボルとしてのタワーが私を苛みます。

永遠の中村敦夫

2012-06-06 | アート
さりげなく「時事問題」や、前からそう思ってたんだけど誰も言ってなかったようなネタを滑り込ますのが上手なのは、「リーガルハイ」と「コドモ警察」です。

あんまり可愛くない女の子がボーカルのバンド、ってネタはコドモ警察、ポップスの大物作曲家が、戸田奈津子の下訳のごとく、多くの印税の発生しない部下に創作の依頼をし、名義は「すまた」だの「なっとうや」だのの名義で作品を世に出すという慣習を暴露したのはリーガルハイ。

折から、20年振りに連絡のあった知り合いから、軽井沢のサナトリウムでの同僚がそれらの大物からの創作依頼の仕事をしていたとかで、おかげで鬱になった、との情報があり、いくらネタがないからって、テレビも自爆しはじめたのかと大笑いしておる次第です。

デザインなどという仕事をし続けていると、それがアートではなく編集というスキルと経験を「前提」にしたものだということが分かってきます。

「コドモ警察」は、大人が子供になることによって生じる不具合を「前提」にしています。まったくのゼロから世界を象徴させ再構成するのがアートなら、「コドモ警察」は編集という限定された発想によって作られた傑作といえるでしょう。

「鈴木先生」ほどではないにしろ、「チャンス」の続編としての「家族のうた」も含め、今クールは豊作です。視聴率の低い番組ほど面白いという現象もまた、自らの疎外感を正当化できるってもんです。