まともな美意識があれば、東京スカイツリーが「みっともない」というのは分かるはずです。長すぎる太い尖塔と、裾野のないデザインは、墜落して地面に突き刺さった失敗したロケットかミサイルにしか見えず、造るに至った地デジ利権の醜いいきさつの反映を象徴しているという意味では納得はするものの、とりかえしのつかないシンボルを作ってしまった東京、ひいては日本という、落下する惨めな国を悪趣味に彩どっているようで、笑えるし、さっそく負の世界遺産に推薦するべきです。
村上春樹は東京タワーをみっともないと言いましたが、エッフェル塔だって最初は芸術家には非難の対象になったことを考えると、まだ許せるデザインです。なによりも日本の高度成長の象徴であり、まだいろんなことが曖昧だった時期に、有能な日本の技術者やアーティストがベストを尽くした感があったし、そこには野心も含め希望があり、その意味あいを考え合わせると、エッフェル塔も東京タワーも人間の重要な属性のひとつである「シンボル」に託すという機能を果たしてきたと言えます。
芸術家と国士を気取る(スカイツリーを容認した)石原都知事の見識が、ほとんど「田母神」氏と変わらず、尖閣を買い取るなどと言う割には、「ふくいち」事故によって失った国土については一切触れないことも含め、「現状分析」と「作戦立案」がバラバラ、あるいは「作戦立案」が「現状分析」に影響を与えすぎる現状に、同じ「石原」でも莞爾とは違い、下らない名誉にこだわる連中につきあうのはホントにつかれるなあ、とつくづく思います。
高熱にうなされていると、あの経済宗教シンボルとしてのタワーが私を苛みます。
村上春樹は東京タワーをみっともないと言いましたが、エッフェル塔だって最初は芸術家には非難の対象になったことを考えると、まだ許せるデザインです。なによりも日本の高度成長の象徴であり、まだいろんなことが曖昧だった時期に、有能な日本の技術者やアーティストがベストを尽くした感があったし、そこには野心も含め希望があり、その意味あいを考え合わせると、エッフェル塔も東京タワーも人間の重要な属性のひとつである「シンボル」に託すという機能を果たしてきたと言えます。
芸術家と国士を気取る(スカイツリーを容認した)石原都知事の見識が、ほとんど「田母神」氏と変わらず、尖閣を買い取るなどと言う割には、「ふくいち」事故によって失った国土については一切触れないことも含め、「現状分析」と「作戦立案」がバラバラ、あるいは「作戦立案」が「現状分析」に影響を与えすぎる現状に、同じ「石原」でも莞爾とは違い、下らない名誉にこだわる連中につきあうのはホントにつかれるなあ、とつくづく思います。
高熱にうなされていると、あの経済宗教シンボルとしてのタワーが私を苛みます。