長電話

~自費出版のススメ~

スターウォーズ 悪徳の栄え

2010-07-29 | アート
スターウォーズがNHKでストーリーを追った順番で放送され、映像テクノロジーの進化の歴史を実感させられるその並びを堪能しました。

創造力に技術が伴わなかったともいえなくもない初期の作品から、CGで時間さえかければどんな映像も違和感なく実現できるようになったエピソード3までのグラデーションは撮影処理技術の進歩による役者の表現方法の変化も含め、映像のクロニクル(年代記)といえます。

ただ、アーサー王になぞらえた「物語」としては、基本的にご都合主義の「活劇」映画、その安易な展開にケチをつけてもしょうがないのでいちいちつっこみませんが、シスを演じる役者にカリスマがないことと彼の最期にあまり工夫と時間を割かないことによって「代々語り継がれる作品」としては少々不満が残るところとなってしまっています。(もしかしてシスはまた復活するのかも)

第一作がヒットし、シリーズ化が決定した時点で、寅さん状態となり、普遍性に縛られる十字架を背負うことになったことにより同じ微妙な善悪を扱う「ツインピークス」のような自由度は狭まってしまった、ということでしょうか。サド侯爵の小説「悪徳の栄え」のジュスティーヌのごとく善が雷(シスの手から出る光線)に打たれて死んでしまうような展開はそもそも不可能な話でしょうが、ジェダイの倫理を自由の抑圧と捉えるシスの発想は間違っているともいいきれません。

ちょいワル親父のハンソロが反乱軍の将軍となり一匹狼の魅力を捨て、「過剰」であることをやめてしまい反乱軍に協調し溶け込んでいく様もまた、無頼であることを青春の一時期の過渡的態度と決め付けてしまっているようで、それも残念な扱いでありました。力による悪のはびこる時代の方が有機的ではないじゃろか、とも思えるからです。

それから全作品を通してですが殺陣シーン、特にエピソード4~6があまりにゆるくちゃんばらごっこに見えて酷すぎるのも笑えました。このあたりは日本映画に一日も二日も長がありますかね。

ジェダイとは「時代劇」のジダイから採ったものだそうなので(オビワンは三船敏郎が脚本の前提だったそうな)、あるいは退廃的な小説など読まずに、新渡戸稲造の「武士道」などをよく読みこむことによってはじめて、この作品をより深く理解できるかもしれません。

イージーオイルの終焉

2010-07-27 | 政治
いまだ完全収束したともいえず、経済・環境への影響が計りしれず賠償額の見通しもたたない「メキシコ湾原油流出事故」発生から8か月。英国際石油資本(メジャー)BP社はこれに懲りずに、今度はメキシコ湾より深い北アフリカ・リビア沖の1700メートルの深海で油井開発に着手するとのことです。

BP社はこの石油利権を得るために、1988年に270人の犠牲者を出した「米パンナム機爆破テロ」の犯人で終身刑を受け英国で服役していたリビア人の釈放(昨年8月、末期がんを理由に恩赦)を収監されていたスコットランド当局に働きかけ「取引」に使ったのではないかとの疑惑が出ていて、着任したばかりのキャメロン首相も弁明に追われ火消しに躍起となっています。

リスクやコストがかかっても需要があり、まだ採算が合うわけですから、大資本が動くのは仕方のないことですが、金銭的な賠償など意味をなさないほどの影響がある原子力発電所事故なみの大惨事をもたらすことの分かった危険な採掘方法をとり続けることの是非が、政治的な誘引によって左右されることもまた恐ろしいことです。

「ジャイアンツ」でのジェームス・ディーンがテキサスで石油を掘り当てた時代のような、イージーオイルといわれる地上の安全で簡単に採掘できる油井はピークアウトし、中東など豊富な地域のものは国有化され、メジャーの石油部門の行き場がなくなったこと、アメリカの脱中東依存政策や中国の資源囲い込みなども重なり、ここ2~3年で海底油田開発は飛躍的に増えたそうです。(すでに世界に6000もの施設があります)

こうなると採掘や精製にコストのかかる石油の値段が上がることによって新エネルギーへの転換が促されることを祈るしかないのかもしれません。

ディアハンター 三つの純愛

2010-07-22 | アート
ワールドカップが終わって何もすることがなくなったので、スターウォーズの連続放送を見たり、期間中に録ったまま見てなかった映画をみたりしてしのいでおります。「ディアハンター」もそんなこんなで久し振りに見ることになりました。

戦争映画って印象がありましたが戦闘シーンは少なく、有名なロシアンルーレットのシーンも再び堪能はさせられましたが、今回感じたのはリンダことメリル・ストリープを軸にした「恋愛映画」という側面の強さでした。

ヴィルモス・スィグモンドのカメラは、序盤で美しいニックことクリストファー・ウォーケンとの勢いのある恋愛を、中盤でタフで紳士なマイケルことデニーロとの抑制と葛藤に満ちた関係を。そして最後は癌による死亡宣告に製作者側が出演に反対したにも関わらずスタッフの支持により遺作としてフイルムにその存在を留めた、メリルの実生活の婚約者であったジョン・カザール(スタン)とのツーショットの多用によって見えてくる現実の恋愛を描き、見守ります。

主人公達は極端な触れ合いを避け、言葉ではなく常に目線の交錯によって関係を確認するという高校生か猫のようにピュアでジェントルな態度を望み自分を律し、その先にある幸福な結末を導き出すことに失敗し続けます。

マイケルにとって、ニックをアメリカに連れ戻すことは同時にリンダを失うことになります。遠くから彼女を見守るスタイルを選択することしかできないタイプにありがちなバランサーとしての自覚がそうさせたのでしょうか。マイケルの人物設定は、「戦争の狂気」だの「友情物語」といった巷間いわれる評価だけにとどまらない、この作品に奥行きを与えています。

当時ベトナムの後ろ盾だったソ連の、ロシア正教会が仕切る小さな共同体での物語という設定もまた、何にかたよることなく世界をジャッジしようという「グラントリノ」の主人公のようなアメリカ本来の保守の姿勢がキャラクターを育てたのかもしれません。

初めて見たときは前半の長すぎる結婚式とそれに続くどんちゃん騒ぎに辟易したものですが、アメリカの片田舎の若者の日常を描ききり、戦場との非日常と強いコントラストを作るために、どうしても必要な時間だったのでしょう。今ならしっかり納得できます。

音のない夏の風景

2010-07-19 | アート
山下達郎や大瀧詠一のジャケットはクーラーの効いた閉め切った部屋(スタジオ)から窓越しに景色を見ているようで、夏の風景を切り取ったものではありますが動的ではなく、音楽と切り離して見ると、暑中お見舞いの葉書のごとく記憶の拠り所にはなりますが、あまり現実感はありません。

そのことは彼等の尊敬するブライアン・ウィルソンが夏の詩人でありながら、一切外出せず、最高の砂山(音楽)を部屋の中で造形しながら狂っていったこととも通じます。

真夏の恋愛はこれから、という当事者からしてみると、スタティックに過ぎ、現場感覚に薄いと思われるかもしれませんが、私にとっての夏はこういったタイプのアーティストの苦労によってかもし出されたイメージで定着しております。

暑くまぶしい日差しに緑が映え、夏らしい風景と体感が一致して、自転車で移動していると大量の汗をかく夏は夏なんですが、せみの北上が間に合わず、まだ音がありません。

北朝鮮の核実験が失敗していて、放射能の流出によってものすごい環境の変化が起こったせいで、せみは絶滅したんじゃなかろうか、とかありもしない状況を想像しながらそのあるべき音のないジャケットのような風景を見ていると、やはり夏にはもの足りないなとは思ってしまいます。

ディベート好きな政治家達へ

2010-07-15 | 政治
最高裁の判決が反映されないまま強行された今回の参議院議員選挙は、鳥取と神奈川の1票の格差5倍をはじめ違憲状態が解消する努力すらみられないまま、またもや得票率と議席配分がかみ合わないこととなり、ルールとはいえ、納得のいかないものとなってしまいました。

ただ不当とはいえ、この結果は、国会の本来の役割である「議論をする」ことを機能させる方に作用するかもしれず、そうなるのであったなら必ずしも悪い結果とはいえません。それにそんなことをいったら、先般の衆議院選挙だとて得票率と獲得議席数は比例してはいないのですから。

2大政党体制というのは本来「党議拘束」にはなじまないものであり、拘束がある限り、選挙の結果がすべてになり、あとは自動的に党派的行動をするのみで、議論はなおざりになり、法案成立は日程次第となってしまいます。つまり今の日本の国会のようになってしまうわけです。

上杉隆氏の言うとおり、ほとんどの国の国会は「ねじれ」状態を経験しており、それを議論によって克服する歴史でもって、成長してきました。かつての日本や後進国のように、今の日本は議会の外部に軍や王室の圧力があるような、議会を育てられない環境の国とは違うのです。

菅氏や枝野氏は、選挙は下手だし、総理や幹事長としての力は未知数ですが、論客としてならすこの状況にぴったりの人材なのですから、今こそその技術を説得力として活かしてほしいものです。

勝利の奴隷達の末路

2010-07-14 | スポーツ
あのブラジルに、サイドを広く使い攻め手が3人しかいない敵を中心に寄せ、潰すという蟻地獄のごとき見事な戦術で勝ち残ったオランダでしたが、決勝ではその栄光と評判を地に落とすほどに乱暴なサッカーを展開し、その上罰当たりのように負けてしまうという彼等にとっては最悪の結果を導いてしまいました。

日本戦でもこれほど酷い印象はなかったことを考えると、準決勝でドイツとともにカードのないクリーンなサッカーをしたスペインに対しては、こういうサッカーをやらざるを得ないと最初からそのつもりでかかってきたと思われます。

今回のWCは、ガーナ×ウルグアイのスアレスの「必死」のハンドといい、日本やオランダ、ブラジルの伝統的な戦術の変更といい、「勝つためには手段を選ぼうじゃないか」という意識は薄れ(日本の場合は情状酌量ですが)、すでにレベルとしてはワールドカップを凌ぐ欧州チャンピオンリーグではまず見られない「結果がすべて」というスローガンの下、無理を押さざるを得ないプラグマティックな現代サッカーの難しさが露わになり、また席巻した大会といえます。

オランダがロッペンのゴールで90分で決着をつけていれば、また「それがサッカーだ」とシニカルに笑うこともできたのでしょうけれどそうはならず、そしてスペインだけが魅惑の(オクト)パスサッカーの牙城を最後まで諦めずに、美学に基づいた正義のサッカーで守りきったことによって、この悪い流れをくい止めることができました。

思い出す言葉は「悪の栄えたためしはない」

ハゲとタコの大会と言われた今大会ですが、MVPは金髪ふさふさのフォルランが獲得し、ここでも美しいサッカーへの回帰を望む勢力のカウンターが決まりました。

お山の女将 富士山に行く

2010-07-11 | スポーツ
参議院選挙の比例部分は利権を巡る戦いという側面が強く、よるべなき1個人として臨むには少々結果との因果関係に無力感を抱かざるを得ず、行くは行くでしょうけれど、お笑い系、泡沫系にという自虐的で、まるで自分に投票するような投票行動になる恐れもあります。

ただ、7月11日は、ワールドカップの終わる日であり、プロ野球ペナントレースも前半が終わりオールスター休みに入る日であり、中継されない大相撲名古屋場所の初日でもある、というエポックな日付であるからして、結果は何かドラスティックなことが起こる序章になるかもしれません。

私が民主党に期待したものは、100人単位で内閣に入ると言われた「政治主導法案」でした。それはよい意味での族議員を増やし、マクロではなくミクロな政策を吟味し、官僚を組織的に論駁し、議論の積み上げによって、「あれもこれもあるから仕方が無い保守」から脱却することでした。すべてはここから始まるはずだったのです。

しかし、いまだ政治主導のコストもリスクもつまびらかにならず、本来政治主導と関係のない「普天間」と「政治とカネ」の問題に振り回された政権は、ご存知のように首相と与党幹事長というツートップの失脚という醜い形で党の勢いをそいでしまいました。

民主党候補の某やわら氏は、11日の選挙当日に周囲の反対を押し切って、選挙直前に富士登山を強行、日本の象徴たる山への登頂を極めることにより日本を把握することに努めたそうです。

パンピーである私などにとってはまず分からない、計り知れないアホか天才かというレベルの彼女の行動、そしてそんな抑えのきかない候補者を比例で擁立する党のセンス。やわらちゃんは毎日他候補の応援に全国をとび回り、ようやく自分のための活動ができたといいますから、非難するようなものではないとは思いますが、その行動の是非は議論のあるところでしょう。(一般論で逃げる)

「消費税」という早晩率を上げざるを得ない制度の話より、この登山の是非を争点にして投票に臨むのもよいかもしれません。

「時間芸術」としてのサッカー

2010-07-07 | スポーツ
優勝候補の筆頭に掲げたブラジル、イングランドは既に破れ、3連敗確実とした日本代表はグループリーグ突破と、予想をことごとくはずしてしまいましたが、常にアグレッシブなスペインと、バラックのいない若いドイツの健闘のおかげで、いまだ今大会への私の関心は継続しております。

フランス大会あたりからのニワカファンであった私にも、ウルグアイ×ガーナや、オランダ×ウルグアイ戦など、比較的B級だと思われたカードも面白く見ることができるようになり、ルールや時間の使い方について考えさせられたりして、誤審も含め様々な要素に彩られたサッカーというスポーツがインプロビゼーションによる「時間芸術」だということがわかってきました。

スペインに代表されるサンバのようなパスサッカー、プログレッシブロックのような堅守速攻サッカー、ペンタトニックスケールしか弾けないイングランド、コードではなくモードが支配するドイツ、サンバではなくタンゴであったアルゼンチンの踊るサッカーなど、同じ競技でありながら、異種格闘技戦のごとき趣きがあります。

サッカーをアートとして考えるからこそ、自然とファンタジスタと呼ばれやすい中盤の選手にスポットがあたり、話題となり、ストライカーより評価されたりしますが、今大会は堅いサッカーが全盛ということもあり、決定力をもつFWばかりが人気でした。

しかしリズムにアクセントをつけ、ゲームにグルーヴを与えるのは、やはり全盛期の中村俊輔のような選手で、そういう意味でいえば、三宅裕司に似ているしハゲ頭ですが、私はスペイン代表のMFイニエスタが最高のアーティストであり、(日本マスコミ的には)もっともっと評価されるべき対象だと思います。