ジャニーズ事務所の供給するあまり奥行のない健全な男の子が「かっこいい」の標準である日本でも、本田恭章の居場所のなかった昔と違い、いろんなタイプの俳優が需要として成立してきたもんだと、ARATAの台頭を見て思います。
遅ればせながら、春に放送された「チェイス」を(まとめて)観ました。主演である江口洋介の、唐沢寿明でも、いやむしろ役所広司のほうがいいかとに思える換えのきく役柄や演技と違い、ARATAの存在感は冴えざえとして際立ったものでした。
「チェイス」での彼は、顔でしか演技のできないキムタクや鶴太郎とは違い、頭の小ささや身体の繊細さを活かす透徹した様子で、豊川悦司の若い頃とも違う、どうしようもなく追い込まれた神経質な異常者のストイックな美意識を、自意識を感じさせない「自然」な態度で演じていました。
カメラも自然と引いたのか、ARATAの姿をテレビでありながらミディアムショットでその美しいフォルムを捉えようとしていたような気がします。ゴッドファーザーパート2でのデニーロ、あるいは若い頃のスティングの声のようなその優雅で繊細なルックスが、今後どんな作品を選び、また演出家のイマジネーションを刺激するのか、とても楽しみです。
作品自体は、珍しく予定調和のない、そしていい加減な奇跡の起こらない展開と結末で好感はもてたのですが、演出意図の解からないものも多く、恢復する父と娘の組と、焦点の定まらない母と息子の組のコントラストはいいとしても、果たして私の解釈と作者の意図や狙いはあっちょるのかね、と不安になって、クリントイースウッドの映画のように解説はできそうにありません。
この作品「チェイス」はARATAを見てよいと思えればそれでよいのです。
遅ればせながら、春に放送された「チェイス」を(まとめて)観ました。主演である江口洋介の、唐沢寿明でも、いやむしろ役所広司のほうがいいかとに思える換えのきく役柄や演技と違い、ARATAの存在感は冴えざえとして際立ったものでした。
「チェイス」での彼は、顔でしか演技のできないキムタクや鶴太郎とは違い、頭の小ささや身体の繊細さを活かす透徹した様子で、豊川悦司の若い頃とも違う、どうしようもなく追い込まれた神経質な異常者のストイックな美意識を、自意識を感じさせない「自然」な態度で演じていました。
カメラも自然と引いたのか、ARATAの姿をテレビでありながらミディアムショットでその美しいフォルムを捉えようとしていたような気がします。ゴッドファーザーパート2でのデニーロ、あるいは若い頃のスティングの声のようなその優雅で繊細なルックスが、今後どんな作品を選び、また演出家のイマジネーションを刺激するのか、とても楽しみです。
作品自体は、珍しく予定調和のない、そしていい加減な奇跡の起こらない展開と結末で好感はもてたのですが、演出意図の解からないものも多く、恢復する父と娘の組と、焦点の定まらない母と息子の組のコントラストはいいとしても、果たして私の解釈と作者の意図や狙いはあっちょるのかね、と不安になって、クリントイースウッドの映画のように解説はできそうにありません。
この作品「チェイス」はARATAを見てよいと思えればそれでよいのです。