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今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

頭がよくてかわいく見える話しかた 杉山美奈子 2008年1月17日 講談社

2015-06-21 08:12:24 | 仕事
「頭がよくて仕事が
できそうな話しかた」と
「かわいいと思われる話しかた」
両方は無理・・・・・・?
でも大丈夫!
ちょっと悩みながら毎日がんばる
あなたを応援する本です!
前袖より。
・・・いやいやいや、自分でするためではないからね?
俺は男だよ!
ただ「計算」が存在するのなら、公式を知りたいなーとは思う訳デス。



はじめに


あなたの話しかたは
ヘタなのではありません。
ちょっとしたルールを知らないだけなのです。
はいはいくまくま



1 聞き上手で共感力アップのルール

「わかります・・・・・・」は共感力100%のことば


「(相手の)ことばには、ことばで返さなくては」と思いがちです。
 それは、はっきり言って誤解です。
ほうほう・・・

 相手の思いを理解して、相手が返してほしいとひそかに思っているリアクションをしたり、気持ちをどう満たしてあげるか、そちらのほうが重要課題です。
 だからグチや不満を聞くときは、うなずくだけでよいのです。
 もし何かことばを返すのなら、「わかります・・・・・・」で十分です。
 求められているのはアドバイスではなく共感なのです。
 かわいく見える女性は、そこをきちんとわきまえて「わかります・・・・・・」だけを言うのです。
つまりザラムの連中は女子力高かったのか。
イエス、ドンの言う通りです!

何の本だか、基本的に男はアドバイスしたがりが多いらしい。
そんで女は「そうなのよねー」で話が終わる。
俺は「仕事以外の話」でのアドバイス封印を意識している・・・つもりだけど、「仕事の話」が「そうなのよねー」で終わるとかーなりイラッとする。わかってるなら何か考えろよ
・・・ああ、いけない。諦めたんでした。諦めが悪いのは僕の悪い癖。



3 仕事美人に見える話しかたのルール

数字を使えば説得力を8割アップできます

「2点に絞ってお話させていただきます」
「3分ほどお時間をいただけますか?ご説明させていただきます」
 このようにいつも数字を使って話していれば、話をまとめる力もつきます。
おおー、こんな簡単なことで『8割アップ』するなんてスゴイナー。

「2点話す」とか「3分くれ」とか、そういう具体的な数字は説得力アップに重要だと思う。
だけど、こういう何の根拠も無い数字を出すのは「怪しさ」が8割アップじゃないです?



敬語はワンポイント主義で

 知っていますか?敬語を使いすぎると、肝腎の内容のインパクトが弱まってしまいます。敬語が続くときは、後半の部分を敬語にしましょう。
 敬語もバランス感覚が大事。2ヵ所つけられそうなところを1ヵ所に減らしてみる、ぐらいのつもりで、ちょうどいいのです。
敬語は「社会で必須」という空気があるのに、教育現場での優先順位が低いように思う。
英語より先じゃねぇ?
・・・たぶんビジネス書業界から圧力がかk


後輩「えーと、先程わたくしがおあずかりいたしました会議の資料につきまして」
 「少しわかりかねることがございましたので、ご相談させていただきたいのですがお時間よろしいでしょうか」
上司「そんなかしこまらなくていいから簡潔に頼む」
後輩「こ、これ難しい~」
上司「・・・」
傍で見る分にはカワイイのではないでしょうかっ!



4「叱りかた&ほめかた」後輩・部下へのルール

謝るにはことばの順序があります


 1 まず謝る
 2 事情を話す

 謝るときはこの順序を守らなければ、相手に失礼。1と2の順序が違うだけで、相手に与える印象が違います。約束に遅れたときでも、仕事のミスでも<言いわけ→おわび>はNGです。おわびが後手に回るとドンくさくも見えてしまいます。
「申しわけありません!」からすぐ事情説明に入るのがNGな人もいるよネ。
「助けてよ許してよてよてよ」は程々に。



6「にじみでるかわいさ」のルール

かわいく見える上級編「どうして~なの?」


「どうしてミスしたの?」よりも、
「ミスしないように気をつけようね」
 このほうが、相手の心に届きます。
原因をはっきりさせなきゃまたやらかすでしょうがっ!
「心に届くとか届かないとかはいい」
「原因を調べるんだ」

・・・思わず突っ込んだけど、『上級編』はこの後。
「どうして~なの」
「どうして~なんだろう」
 これは、自分のことを言うときならOKなのです。

「わたしったら、どうしてこんなこと言っちゃったんだろう」
「わたしったら、どうしていつも忘れっぽいの?」

 こんなふうに自分について言うときには使えます。
「わたしったらドジね!」的な台詞を多用するのって「赤毛のアン」だっけ?
あれこそ真のマシンガントークっスわ。

「どうしてこんなことしちゃったんだろう」と言いながら、相手に自分の弱いところも見せてしまう・・・・・・それが大人のかわいく見える話しかたです。
そういうのはプライベートだけにしてほしいと思うボクはモテませんねそうですね。
知ってるよぉっ!


先輩「あーあ」
 「もう疲れちゃったぁ」
 ハッ
 今の「疲れちゃったぁ」ってかわいくなかった?
 よし、今度みんなの前で言ってみよ~
 「フフフ・・・」
残業中の独り言・・・
もうやめて!とっくに先輩のライフは0よ!



「かわいい女性」という視点に(#^ω^)が無かったとは言えないけど、内容は男にも必要だと思える、納得かつわかりやすいものが多かった。
代引き料金無料セールの穴埋めで買ったにしては十分過ぎる本っス(何様だ)。

「あなたは悪くないのよー」は、ビジネス書の定型文として受け入れた方がいいな。
これは投げずに読んでよかった。

日本人の9割に英語はいらない 英語業界のカモになるな! 成毛眞 2011年9月15日 祥伝社

2015-06-06 11:12:50 | 仕事
マイクロソフト元社長が緊急提言!
「社内公用語化」
「小学校での義務化」
「TOEIC絶対視」・・・・・・
ちょっと待った!


英語ができても、バカはバカ。
帯より。
会社にウッカリ置き忘れたら、えらい事になりそうやわぁ・・・。



はじめに

 ご存知の方も多いと思うが、私は以前マイクロソフト日本法人の取締役を務めていた。入社した当時は、外資系の企業自体、日本ではまだ珍しかった時代である。さぞかし英語が堪能だったのだろうと思われるかもしれないが、実は、英語はほとんど話せなかった。マイクロソフトに入り、シアトルに出張するようになってから覚えたのである。
hmhm。
そんでスピードラーニング的なモノの紹介が始まる訳ですね、わかりm

 普通ならここで「そんな私もこれで英語を話せるようになった」と英語教材を紹介する流れになるが、そのような意図はまったくない。逆に自分の体験から、英語を勉強するのは無意味だと伝えたいのである。
むむむ・・・!
『英語を勉強するのは無意味だと伝えたいのである。』(ドーン)

 今日本人に必要なのは、日本という母国を深く知り、自分なりの考えをしっかりと持ち、日本語でしっかり伝えられる"日本人力"である。
 本当はそういう人間こそ、海外で通用するグローバルなビジネスマンなのである。
『日本人力』=「にほんじんちから」ですね、わかります。



第1章 本当に英語は必要なのか

頭の悪い人ほど英語を勉強する
ファーストストライクからショックをトライしていくスタイル。
この本の構成、イエスだね!

 おそらく、学生時代は英語が得意だった人も大勢いるだろう。ところが社会人になったとたん、その英語はまったく役に立たないことに気がつく。それ以前に、社会人にならなくても、海外旅行に行けば学校で教わった英語は何の役にもたたないことぐらい分かる。
英語を使う仕事をしてない俺は実際の場で役に立つかを語れないけど、ショックやわぁ。
「I like tuna.」が役に立たないだなんて・・・!
・・・言わせんな、察しろ。

 国語や数学など自分の頭で考えて結論を出す教科は得意であっても、暗記は苦手で英語の成績が悪い人もいる。逆に、英語は飛びぬけてできるのに、ほかの科目は今ひとつの人もいる。いわば、英語は普通の科目ではいい成績を取れない人のための救済科目になっている可能性がある。得意科目を聞かれて「英語」と答える人は、自分は物覚えがいいだけのバカだと公言しているのだと自覚したほうがいいかもしれない。
「キュウサイ・・・・・・?」
「キュウサイ・・・・・・何?」
「キュウサイカモク・・・・・・って」「何?」
「あると助かる」「ってこと?」
「キュウサイカモク・・・・・・・・・って」「あると助かるってこと?」
とある日本人は
「はぁ・・・」「はっ」
「勝手なこと」「言いやがって・・・・・・・・・」
懸命に 闘っていた
「勝手だよ・・・・・・!!!」「畜生・・・・・・ッ」
be動詞すら怪しい 自分自身と・・・・・・

単行本確認したら意外と長かった。

「暗記が得意」な奴は、不意打ち大好きで疑い深いくせに現状認識はお気楽な野郎に違いない。
アンキだけに。(どやぁ)

 こう書くと、「社会だって年号や何とかの乱を暗記するだけではないか」と反論する人もいるだろう。だから日本の社会の授業はつまらないのである。本来、歴史とは現在に至るまでのストーリーであり、起きたことの因果関係や関連性を学ぶものである。年号や事象を暗記するのは二の次である。それでも、歴史のストーリーの面白さに気づいたら、大人になってからでものめり込むし、研究するだろう。
 対して、英語はどこまでいっても暗記するしかない科目である。大人になって英会話スクールに通うとしても、やはり会話の内容は暗記するしかない。英語を学んだからといって、欧米の文化や歴史に詳しくなるわけではないのである。だから英語は本当の意味での学問ではないといえる。
ふーむ・・・
社会は教え方が悪い、でも英語はどうやっても暗記科目で『本当の意味での学問ではない』。
前半は賛成だが後半は・・・うーん?
日本語を学んだ外国人の「日本語ノ繊細ナ表現ニハ日本ノ文化ヤ歴史ヲ感ジマス」なんてコメントをテレビで見るけど、これも学問ではないんだろうか?言語も教え方の問題じゃねぇ?



創造力のない人ほど英語を勉強する
第二撃も破壊力を優先していくスタイル。
このセンス・・・嫌いじゃないぜ・・・!

 英語だけを勉強するのは、意味も分からずにお経を覚えるのと変わりはない。
 仏教では仏陀の教えを理解するから救われるわけで、教えを理解せずに念仏を唱えるだけで救われれば苦労はないだろう。
そういう仏教もあるよね。
・・・待てよ、「唱えるだけで救われます」って教え通りなわけだから当てはまらないか。

分かりもしないお経を覚えるのは、『忠誠心を試されているからである』。
それなら英語は何に対する『忠誠心』なのか・・・?

 それは社会であり、企業であり、学校である。
 一見、無意味で単調な作業を、いかに黙々と続けられるか。英単語や英文を暗記するのも、仕事でルーティンワークをこなすのも、根本的には同じである。求められるのはいかに効率よく、早く暗記をこなすか、作業をこなすかという能力になる。何かを生み出すクリエイティブな作業ではないのである。
 単調な作業を黙ってこなすのは、組織の命令に対して服従的であり、盲目的な人である。組織にとっては何も文句を言わずに勉強する人も、仕事をする人も、隷属しているありがたい存在である。
TOEICは英語力ではなく忍耐力のテストということっスなぁ・・・。
TatOEInoChiを捨ててでもボクは会社に貢献しまっしゅ!といったところか。
・・・ごめん、これはあまりにも酷い。


 今までの企業は歯車となる社員を求めていたのでそれでもいいが、これからの時代はサバイバルできる能力を持っていないと組織では生き残っていけない。創造力や瞬発力に長け、人の意見に惑わされない自立した人でないと、どこの組織でも通用しないだろう。今後も景気は悪化の一途をたどるだろうし、そうなれば倒産する企業やリストラを断行する企業は増えていく。
 会社から放り出されたとき、英語しか勝負できるものがなかったら、転職先を見つけるのは難しいだろう。
おい、やめろ・・・やめてくださいしんでしまいます
瞬発力が無いから書くのが遅いのだよ!

英語の必要性を煽るのは、『英語しか勝負できるものがなかった』人々なのかもしれないネ。

 いや、サバイバルするために英語を勉強するのだと、反論する人もいると思う。
 だが、企業とは勝手なもので、今は英語で騒いでいても、あと5年もすればガラリと方向転換するだろう。団塊の世代がごっそり退職すれば、会社は人材が足りなくなる。すると経営者は「英語なんてできなくていい。仕事をしながら覚えろ」と言い出すのは目に見えている。その時点になってから慌てても、もはや手遅れである。
 だから、企業や学校のいいなりになってまじめに英語を勉強する必要はない。むしろ、今必要とされていない国際会計や国際法でも学んだほうが、必ず役に立つときが来るだろう。
この本を学生が読んだら英語教師は困ったことになりそうだなぁ。
「他のことを学ぶ方が役に立つ」という主張を崩せないのはダメな教師
ダメ教師・・・駄目教師・・・駄教師・・・妥協屍・・・くさったしたい・・・
うむ、これからダメな教師はスミスと呼ぼう。



語学に「備え」は通用しない
日本人は海外旅行も備えあれば憂いなしな人種である、という流れからの~
 英会話も、その延長上で学ぶ人も多いだろう。毎年海外旅行に行くのだとしても、ゴールデンウィーク、お盆休みと正月休みをあわせても年間3週間にも満たない。
 その3週間のために英語を学ぶ。年間52週のうち、49週間は使わない英語を学ぶのだから、準備しすぎである。
冷静に考えるとごもっとも過ぎて吹いた。
免許とかマイカーみたいなもんだね。ほとんど乗らないならタクシーとかレンタカーでいい。

 英語はペットボトルの水とは違い、備えにはならない。いつか来る大震災のためにペットボトルの水を買い置きしておくのは確かに役に立つが、英語はいつか話すであろうときのために習っておいても、ずっと覚えてはおけない。普段使わない語学は、使わないとあっという間に忘れてしまうのである。1年習ったぐらいでは備えにならず、常に学び続けておかなければならない。
 語学だけを継続して5年10年も学び続ける人などいないだろう。もしいたとしたら、よほど暇でお金が余っている人である。普通のビジネスマンは忙しいから1年間通い続けるのが精一杯だと思う。1年間でペラペラになったつもりであっても、半年も使わなければ完全に忘れてしまう。
うーん、なるほどなぁ・・・
「昔覚えたけど忘れた」なんて、まさにペラペラっスな。ペーパードライバー的な意味で。



「英語ができない日本人」というデータに騙されるな
 さて、日本の英語力は世界的に劣っていると問題視されるとき、必ずといっていいほど持ちだされるのが、TOEFLのデータである。
TOEICはビジネスマン用で、TOEFLは英語圏に留学する学生用。
『両方ともアメリカのETSという組織が開発したテスト』。
きっと彼らはEigoのTenSaiに違いない。

で、日本人はそれの点数が低い。2008年度はアジア30カ国中27位だったらしい。
だけど、気にしなくていいってさ。
 しかし、アジア1位のシンガポールと3位のマレーシア、9位の香港はもともとイギリスの植民地だったのだから、英語ができて当然である。韓国は朝鮮戦争のときにアメリカと共に戦い、中国は清の時代にイギリスとフランスに半植民地化された歴史がある。アジアでは日本だけが欧米の植民地化、つまり英語の洗礼を受けていないのである。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は毎週日曜日午後8時より放送中!

いやーでも日本より上の26カ国、全部植民地だったなんてこたーないでしょうよ・・・
 アジアの中には日本以外にも欧米に植民地化されていない国もあるではないか、という反論もあるだろう。たとえばブータンは日本よりもTOEFLのランクは上である。
ブータン・・・?
ああ、幸せの国か。確か国王が笑百科に出てるよねってやかましいわ!

 ブータンは学校ではすべての授業を英語で受けることになっており、国民全員が英語を話せる。なぜ、そこまで英語が浸透しているのか。それは観光業を国の主な収入源としているからである。観光で生活していくために母国語より英語を優先しているのであり、「国民全員が英語を話せるからレベルが高い」などと表面的なとらえ方をしては本質的な部分を見落としてしまう。母国語より外国語を優先しないと生き残れない国が、果たして幸運なのだろうか。
「国民全員が英語を使いこなせる程余裕がある」のではなく、「国民全員が英語を使いこなせないと生き残れない」か。それって実質英語圏の植民地じゃねぇ?

幸せの国の実態は、「知らないから幸せ」というだけに過ぎないのか・・・。


 自国の産業を持ち、国民がみな一定の生活レベルを保っている日本では、海外に飛び出さなくても自国で幸せに生きていける。英語ができないのは、幸福な国の証でもあるのではないだろうか。
その割には海外に飛び出すよう若者を煽る本が少なくないのはなんなのか。
若者が国内に留まることで困るのは・・・あれ、宅配便がきたのk



1割の人は英語を勉強せよ
 さて、ここまで英語は必要ではないと説いてきた。それは9割の大多数の人に対してムダに時間を使うなと言いたいのであり、1割の人にとってはきちんと学ぶべき言語であることには変わりはない。
 外資系企業に勤務するビジネスマンのほか、ホテルの従業員、デパートの店員、外国人観光客向けの店の店員は英語を話せるほうが断然有利である。研究者や医者も英語ができないと海外の論文を読みこなせないだろう。
接客業と研究職。
どっちも適性が無いから俺は要らないな、英語。アディオス!

で、1割の人になってしまったアナタ!
英語だけではダメですってよ!
 英語と同様に覚えておかなければならないのは、歴史や文化である。
 外国人といると、「なぜ鳥居は赤いのか」「神社とお寺の違いは?」など、日本人であっても答えられないような質問を頻繁に投げかけられる。たとえつたない英語でも、その場で説明できれば尊敬されるだろうが、「I don't know.」を連発していたら「自分の国の文化を何も知らないのか」と呆れられてしまう。
 英語以上に、自国の歴史や文化を知っているほうが重要なのである。知っていれば、英語ができなくても日本語とボディランゲージで何とか伝えられるが、知識がないと何も伝えられない。自分の国で商売しようとしているのに、自国の文化や歴史の知識がまったくないほうが問題なのである。
Q.どうして鳥居は赤いの?
A.元は緑だったが目立つように赤くした
(赤くしたら神様も人も通る数が3倍になりました)

Q.神社とお寺は何が違うの?
A.神社は「人の志」で稼ぎ、お寺は「人の死」で稼ぐ

正しい答えはウェブで!

知りません 分かりませんし 存じません
何の役にも 立ちゃーしません
こういう「せんばかり」の奴(ボクを含む)を、「セン無い奴」と言います。



6章まであるのに1章だけで6000文字を超えた・・・これは1回では無理っスな!
せめて章題だけでも書いておこう。

『第2章 英語を社内公用語にしてはいけない』
『第3章 本当の「学問」をしよう』
『第4章 日本の英語教育は日本人をダメにする』
『第5章 英会話を習うより、本を読め!』
『第6章 それでも英語を勉強したい人へ~成毛流英語学習法』

読者が思い浮かべるであろう反論は、キッチリ潰していく。
この本の構成、イエスだね!(2回目)
世の流れとか常識とか、そういうのを疑っていく本は読んでて楽しいと改めて思った。
そうだ、読書は楽しいンだよ!

でも時間が足りない・・・
地球の平和を守って、エキスパートリーグを制覇して、壁の中の人類の行く末を見届けないといけないからさ・・・イヤーイソガシイナー
だから明日は「その助けになりそうな本」にしようそうしよう。

ヤクザに学ぶ指導力 山平重樹 2003年5月30日 幻冬舎

2015-05-23 09:59:50 | 仕事
組織を強くするのも弱くするのも、存続させるのも滅ぼすのも親分次第。苛酷なまでに指導力が問われるヤクザ社会におけるリーダーの役割と存在とは? リーダーと組織のために命すら投げ出す部下を育て上げるヤクザ独自の指導力を徹底解明! 現代人必読の実用的エッセイとしてビジネスマンに熱狂的に支持された『ヤクザに学ぶ』シリーズ第二弾。
裏表紙より。
「ヤクザ」というと、狙う相手と間違えて無関係な人を殺したとか・・・住宅街で発砲したとか・・・ま、そういうしょうもない話しか聞こえてこない訳ですが・・・?
見せてもらおうか、『ビジネスマンに熱狂的に支持された』『現代人必読の実用的エッセイ』の中身とやらを!




 ヤクザ社会をよく知る周辺筋の間で、昔からよく囁かれてきたジョークがある。
「ヤクザ組織のシステムと統制ぶり、組員の忠誠ぶりをそのままビジネス社会で展開したら、たちまち業界一のトップ会社になるだろう」
 それは必ずしも与太話ではなく、ある意味で真実をついているかも知れない。それほど強固な組織力を誇っているのが、ヤクザ組織である――というわけだ。
ほうほう・・・
「頭痛が痛い」みたいな部分は置いておいて、『強固な組織力』は気になりますな。

 親分や代紋のためには長い懲役も辞さないし、場合によっては死ぬのも辞さない。それらすら、ヤクザは"仕事"と腹を括っているフシがあるのだ。
 この親分子分の絶対の信頼関係が何より強い組織を生み出す原動力になっているわけである。
 上に立つ者に対する信頼感が組織力を決定する――とは、何もヤクザ社会に限らず、ビジネス社会にも通用する原理であろう。実際、すばらしい業績を上げているセクションでは、上司に対して部下が強い信頼感を持っているといわれる。
『上に立つ者に対する信頼感が組織力を決定する』ことは『ビジネス社会にも通用する原理』なのは確かだろうけど・・・
「法より会社」とか「死ぬ」とか、本当にそういう禁じ手でしか成り立たないのかと聞きたい。

「カコイイ親分」がいっぱい出てくる本だけど、「親分のためになるからと法を破ったり死んだりする連中」は全然カッコ良くない、と思う。


第一章 部下を育てる指導術
――ヤクザは若い衆をどう育てているか

一 部屋住みという新人研修システム

 いまではめっきり廃れてしまったが、ヤクザ社会には入門してきた新人に基本中の基本を叩きこむ研修制度ともいうべき"部屋住み"修行というもんがあった。
 俗に「メシ炊き三年、雑巾がけ五年」ともいわれたように、親分の家に住みこんで、掃除、炊事、洗濯、使い走りなどをしながら、礼儀作法や稼業のことを覚えていくのだ。長い年月をかけた、この部屋住み修行を経て、初めて盃をおろされるケースも多かった。
 いま上にいる親分は、大概は若い時分にこうした部屋住み修行を経てきている者ばかりといって間違いあるまい。それがヤクザにとって最も大事な新人教育システムといってよかった。
(´・∀・`)ヘェー
その『最も大事な新人教育システム』を、
住宅事情の違いとか
稼業とプライベートを分けるためとか
時代状況の変化とか
若者気質の変容とか
暴対法の施行とか
まぁ色々と理由をつけてやめちゃった訳ねー『いま上にいる親分』さん方は。

 その結果、日本社会で何が起きているか。凶悪少年犯罪が増大しているというのも、多分にその影響と感じられてならない。
ヤクザが『新人教育システム』の維持を放棄した結果『凶悪少年犯罪が増大している』のかー。
つまり全てヤクザが悪い訳ですナ・・・

少し戻りまして、今の若者についてのヤクザのコメントが次。
「昔と違って、世の中がすっかり豊かになって何をやっても食っていける時代ですよ。現にフリーター感覚で、腰かけのような気分でヤクザでもやってみるかって入ってくる若いヤツもいますからね。そんなヤツに部屋住みなんかつとまるはずがない。まして、いまの若い連中はヤクザやったって何のいいこともないって、みんな知ってますよ。ただでさえヤクザのなり手がないって時代に、部屋住みなんかやらしたら、一人もいなくなっちゃいますよ」(関東の広域系三次団体幹部)
「業界に魅力が無くて人が集まらないからそのことに気付かない無能を仕方なく使ってます」
ってことでいいんだよね・・・?

 だが、それでもヤクザ組織のなかには、いまでも昔と変わらぬスタイルで頑固に部屋住み制度を守り続けているところも存在する。
kwsk。

 一門のトップの部屋住みを十年以上にわたってつとめ、代々、トップの部屋住みに自分の若い衆を送り込んでいる名門組織の幹部がこう述べる。
「いまの若いヤツは部屋住みなんかできっこないだろうっていいますけど、逆なんですよ。小さいころから何ひとつ縛られることなく、自由奔放に育ってきてるヤツは、逆にそういう枠にはめられたがってるんですよ。部屋住みを生き生きとこなしてますからね。いままで何をしたいのか、何をやったらいいのか自分でもわからなかったのが、求めていたものがやっと見つかったような気がするって、いいますからね。だから、逆に何かに縛られたがっている、強制されたがっている若いヤツっているんですよ」
うーむ・・・
この2人、どちらも「ヤクザの幹部」なんだよねぇ。
悪貨は良貨を駆逐するなのかしら。



二 往生する覚悟
――逃げをうたない気持を教えよ

「自分がどんな土壇場でも往生するだけの気持は持ってるよ――という言葉を若い衆に教えるというのは、有言ですよ。そしたら、今度は自分がそれをいってる手前、いくつになったって、自分も往生できなきゃならない。ところが、人それぞれで、不言実行なんて格好のいいこというけど、不言実行というのはある意味で男らしくないと思うね。だって、不言――言葉に出さない人間は何をやろうと、普段いってないんだから、あれはオレ、いった憶えがないからやらないよ、で済むわけですよ」
 いってみれば、口にすることでギリギリのところへ自分を追いこむわけである。「吐いたツバは呑めない」というのも、ヤクザの掟であるからだ。
東海地区のY組長の「有言実行」論。
「言っちゃわなくてよかったー」が多い人(ボクを含む)には、耳が痛い話。


八 ヤクザのIT教育

 いまと違って、パソコンがそれほど普及していない時分には、冗談のような話もあったという。
kwsk。
「おい、この文章、あとでやり直すから、ゴミ箱の中に捨てておけ」
 と若い衆に命じた。
「はい、わかりました」
 と若い衆の威勢のいい答え。それを聞いて、組長は安心して出かけた。
 ところが、組長が帰ってくると、愛用のノートパソコンがない。もしや、と思って、先ほどの若い衆に聞くと、
「ハイ、いわれた通りに捨てておきました」
m9(^Д^)プギャーwwwwww
しかし今でもあり得なくはないという現実に、頭痛が痛くなる訳でしてね・・・。



第二章 部下を惹きつける指導力
――組織の命運を握るのはリーダーである

四 何よりも揺るぎない強さ、不退転の性根がなければ部下はついてこない

 少しばかり厄介な相手だからといって、筋の通らぬことに対し、一歩でも引きさがったり、安目を売ってしまえば、業界はいうに及ばず、部下の信用はたちまち失墜し、リーダー失格になるのは間違いない。そんな親分には誰もついていかないのは目に見えている。
偉い人は偉い人で考えることが多いから・・・
そこわかってて「それでも」と言い続ける奴(ボクを含む)は、ホント性格悪いよネ。

「不退というのは、退かず、といってな、正式にいえば、正しきをもって退かず。つまりだな、理にあわないことならばどんな喧嘩でもしろ、自分の信念を曲げるな、一貫して筋の通る戦いをしなきゃいかん、ということだな。要は、自分がただしという理念があれば、どんな横車を押されても私は引きませんよ、ということなんだ」
『関東の名門松葉会の創始者』藤田卯一郎氏の「不退」論。
 藤田は"軍治"の異名で一番威勢のよかったころ、ある一家に捕まった若い衆を取り返すため、何十人と居並ぶなかへたった一人で乗りこんでいったことがあった。
「おっ、来やがった」
「こいつもひっつかまえてしまえ!」
 などと、手に手に武器を持った相手連中が騒いでいるなか、肚を据えた軍治は、静かに懐からドスを取りだすや、
・・・ゴクリ・・・
「女房、子どものいるヤツはそばへ寄るなよ!」
KAKKEEEE!!!
寄らば斬るとでもいうか、空気ビリビリな感じが伝わってくる。
相手が気迫負けするのも無理ない・・・むしろ当然のように思える。

(いっぺんに襲われたらとても対処できないし、どうも相手は所帯持ち多そうだから)女房、子どものいるヤツはそばへ寄るなよ!」だと少しでも思った奴(ボクを含む)は、ドスッと刺されればいいと思うよ。


六 若い衆は宝、何が何でも守る
――という親分であればこそ人はついてくる

 若い衆が宝、子どもは若い衆だけ――という考えに徹して、「生涯自分の血を分けた子どもはつくらない」ことを実践している親分もいる。
 東北で渡世を張る某組長もその一人で、
「自分の血を分けた子どもをつくってしまうと、やっぱり自分の子がかわいいとなるのは人情でしょ。若い衆たちには私のために命を賭けさせておきながら、わが子は大事に、それこそ乳母日傘で育てるというのでは若い衆に大して申しわけが立たないですよ。自分の子どものはずの若い衆を、使い捨ての若い衆みたいにしてしまいかねない。それなら自分の子はつくるべきではないな、と。私にとって若い衆こそが、私の血を分けた実の子以上の子どもですよ。若い衆あっての親分であり、親分あっての若い衆。一心同体ですよ。情がなきゃ、親分子分なんて成り立ちません。一番大事なのは情ですね。それがなきゃ、親と子の絆もないわけですから。私の子どもというのは若い衆だけですよ」
 とまあ、徹底しているのだ。
イイ話しだナー・・・。
こういう話を聞くと、すぐ「逆」を思い浮かべるのはボクの悪い癖。



「覚悟」「往生」「徹底」などなど、事実は小説より・・・な熱のある話が多い
KAKKEEEE人の痛快な話だけ抜き出せば、そりゃ『熱狂的に支持』されるだろうなと思う。

感想まとめ
Y.M.S[ヤクザに 学ぶ 指導力]
(カタギがよく考えずに真似すると)あなたは死ぬ

凡人として生きるということ 押井守 2008年7月30日 幻冬舎(2回目)

2015-05-12 07:34:53 | 仕事
昨日の続き。


第三章 勝敗論――「勝負」は諦めたときに負けが決まる
失敗をなくすことはできない
 仕事柄、僕は多くの若者と接する機会があるのだが、よくよく彼らを観察して気づくのは、今の若い男たちは能力があるやつもないやつも皆、極端に失敗を恐れている、ということである。
 能力のある若者は失敗を恐れるあまり、傍目で見ても異常と思えるくらいによく働く。まるで、死ぬ気で働けば失敗を回避できる、とでも考えているようだ。これは決して健全な発想ではない。
 もちろん、勤勉さは失敗の確率を下げる要素となり得る。しかし、どんなに真面目に働いても、失敗を完全になくすということは、全知全能の神でもない限りあり得ない。失敗しないで生きていくことは、人間の身では不可能なのである。
そこは諦めるんかーい、と思うボクは『今の若い男たち』に含まれるんだろう。
どっちかは言わせんなってことだよ!
・・・失敗した奴が(大袈裟に言えば)抹殺されるところを見る機会が昔より多いんじゃないっすかね。
中高年の再就職が絶望的な話はいくらでも飛び込んでくる。昔は「自分の親のこと」でなければまともに知ることが無かったであろう情報、それが出川ばりに押し寄せてくる・・・!
つまり皆出川が嫌いなのである。(きりっ)

失敗はなくならないとした上で、『それでも僕は勝負に出る』『勝負を諦めた時こそが、勝負に負ける時』であると続く。
勝負を続ければ、負けないシステムが身につく
 勝負を続けている限りは、負けは確定しない。買ったり負けたりしながら、人生は続いていく。ただ、勝負を続けるうちにだんだん勝負勘はついてくるし、くだらない失敗はしなくなってくる。スキルが上がってくるからだ。
・・・
失敗も挫折もない人生は面白くない

 僕が言いたいのは、仕事であれ、恋愛であれ、どんどん失敗せよ、ということだ。そして失敗をしたら、敗因をきちんと分析することだ。二度と同じ過ちは犯さないようにする。それでも次の勝負には、違う敗因で負けるかもしれない。その次も、また違う理由で負けるかもしれない。
 だが、何連敗、何十連敗してもいいではないか。何度も負けても、勝負を続ける限り、いつかきっと一勝できる日はやってくる。そして、少しずつでも勝ち星を増やしていけば、最終的に人生の星取表を勝ち越しで終えることはできるのである。
 結局は死ぬまで勝負を諦めなかった人間が、最後には笑うことになるのだ。
「次はないかもしれへん」「だから今や」
なお実際「次」は無かった模様・・・特殊な救済はされたけど。

社会を信じられなくなってるということかなぁ。捨てる神しかいない、かのように見える
でも、まだ拾う神もいるんだ・・・たいてい同時に疲労神だけど。



第四章 セックスと文明論――性欲が強い人は子育てがうまい

文明化は親を虐待へ誘惑する

 これまで検証してきたように、文明化という働きは、性欲という最も根源的な本能さえ無力化してしまう。性が商品化されたことで性欲が文明化された。ひょっとしたら育児マニュアルのような子育ての文明化が、母親たちの本能を狂わせているのかもしれない。子供の成長が思わしくないからと言って、子供を殺してしまうという矛盾した事件も起きているが、それも、子育ての文明化という文脈で読み解くと、意外に当然の帰結のような気もする
うむむ・・・想定外ばかり起こる子育てに(自称)専門家のマニュアルを持ちこむから、「マニュアル通りにいかないのはおかしい」「もはや殺すしかない」という流れになるんだろうか。


南国で乳幼児を連れまわす親たち

 人間は本能として、小さな命を守りたい、はぐくみたいという欲求を持っている。本当は、子育ての楽しさは言語化するものではない。つまり文明化するものではないのだ。子供を産んで腕に抱いた瞬間に、自分はこの命を守らなければならないと、自動的に分かる仕掛けになっているはずなのだ。保護欲が自然と発生する仕組みになっているのだ。
 ところが、高度に人間が文明化すると、本来は強力な本能の発動だったセックスまで言語化して、文化にしてしまったように、子育てまでも文明化してしまう。だから、自分の中から生まれ落ちた命を、言語によって理解しようとする。こうなると、子育てと海外旅行は同じ文明の土俵の上に乗ってしまう。そして無残に敗れてしまうのだ。
これまたうむむ・・・『同じ文明の土俵の上』か。


犬や猫を飼ってから子供を産め

 悲惨な事件を受けて、「動物だって自分の子供を守るのに」などというコメントを聞くこともあるが、それは逆だ。動物ならば本能的に子供を慈しむことができるはずだ。動物であることをやめた文明人だからこそ、子供を育てられないのである。
これまた・・・えーい語彙の残念さを叩きつけられるな!




また明日に引っ張るのもどうだろう・・・日を置いた方が整理がつくこともある、か。
映画に興味無いのに映画監督の本に魅かれるとは、よくわからないこともあるもんだ・・・。

『押井哲学』を見て「惜しい哲学、なんつって」なんて思った自分をころしたくなる本。

凡人として生きるということ 押井守 2008年7月30日 幻冬舎

2015-05-11 07:33:52 | 仕事
の中は95%の凡人と5%の支配層で構成されている。が、5%のために世の中はあるわけではない。平凡な人々の日々の営みが社会であり経済なのだ。しかし、その社会には支配層が流す「若さこそ価値がある」「友情は無欲なものだ」といったさまざまな"嘘"が"常識"としてまかり通っている。嘘を見抜けるかどうかで僕たちは自由な凡人にも不自由な凡人にもなる。自由で平凡な人生が最も幸福で刺激的だと知る、押井哲学の真髄。
裏表紙より。
ズバッといきそうな感じがする!



第一章 オヤジ論――オヤジになることは愉しい
若さに価値などない
 この世界には、いつの間にか僕らがすっかり信じ込まされたデマゴギーが飛び交っている。例えば、「若さにはかけがえのない価値がある」という言説だ。
・・・『デマゴギー』?
(参考:デマゴギー【(ドイツ)Demagogie】の意味-国語辞書-goo辞書
⇒デマ
あー「デマ」の語源なんだー。
hmhmなるほどなー・・・んだってー!?
無意味に消費する若者たち
 ではなぜそんなデマが流布されるようになったのか。何の目的があって、そんなデマで若者をだまそうとするのだろうか。結論から先に言うと、それは「若さは価値」という考えが、ある種の経済効果を生み出すからだ。
著者は例としてファッションを挙げる。
曰く、若者は『単なる消費者に堕している』ことに気づかずに『大量生産品』を『得意気に身にまとっている』が、『オヤジたちはそんな無駄なものに金を使わない』『若者をだまして、経済効果を狙っている方である』。
 ところが若者の目には、ダサい格好をしたオヤジたちが腐って見える。「ああいうふうにはなりたくない」と思う。自分たちの個性と信じているものの正体が実は、その軽蔑するオヤジたちが功名に仕掛けたものだったとも気づかずに、である。
若者は「これが無いと時代に乗り遅れちゃうぞ☆(まぁ俺らはこんなの要らんけどな)」という連中に乗せられている・・・!

だからあえて言おう、ユニクロこそ最強であると!



世間にはびこるデマゴギー
 専門学校というシステムがあるが、あれはシステム自体が虚飾だと、僕は思っている。
・・・またズバッときよった・・・!
看護師や保育師は『業界側に受け入れ態勢が整っている』とした上で、映画のような『小さな業界』については『アルバイトでもして、実地で学んでいくほうが手っ取り早いはずだ』と述べる。
映画監督である著者がそう言うなら、少なくとも映画関係はそうなんだろう。
だったら映画の専門学校は何のために存在しているのん?
 だが、専門学校にニーズはあると思う。それは、専門学校に通う生徒ではなく、その親、つまりオヤジ側のニーズである。
へぇ?
 例えばこんなケースだ。本当は、高校を出たら子供に地元で就職してほしいと願っている親がいる。だが、子供の方は映画監督になるなどと夢を見ている。本気で監督になりたいのであれば、どんな手段を使ってでも業界入りすることは可能なはずなのに、どうもそれほどの熱意はなさそうだ。かといって「お前には才能も熱意もない。とっとと就職しろ」と強制したら、反発して家を出るかもしれない。
 そこで登場するのが専門学校だ。どうせろくに勉強などしないはずだし、そのうち熱も冷めて帰ってくるだろう。二年くらい子供に夢を見させてやってもいいか、といった具合だ。
・・・はっ!?い、いかん!すぐに引き返せ!
「親が自分の夢を理解してくれた」と思っている専門学校の生徒は今すぐブラウザバック、いやAlt+F4だ!何をしとるフォックス、早く!
 だが、通っている子供の方は、こんな親心のために叶わぬ夢を抱き続けることになる。映画専門学校に入ったのだから、映画監督になれるかもしれないといった自己幻想の中でもがくことになるのだ。しかも、世間では「若さは無限の可能性」などと言われる。だから、若さを持っている自分には可能性がある、と思い込むことになる。映画専門学校という大人の理屈で成り立つ虚飾の中で、「若さの可能性」に翻弄され、自分の本質を見失ったまま、ほんとうは可能性などない「可能性」にしがみつく。そして夢破れて故郷に帰る。若者たちの思いを置き去りにして、学校運営というシステムと経済行為だけが肥大し、親と学校の共謀による幻影を子供たちは見せられているだけではないのか。
GYAAAAA!!!

・・・確か.hackの小説で、ほくとの「中の人」が似たようなことを独白してた。小説を書きたくて専門学校に入ったけど、何年かして専門学校は「生徒をその気にさせておくだけの場所」だと気付いたとかなんとか。どこにやったかなぁ。
 だから、僕が若者に言えるのは、「今の自分は何者でもないし、平凡な人間なのだ」とまずは気がつくことが重要だということだ。本来の意味の可能性はむしろ、そう気づいたところから始まる。映画専門学校を出れば映画監督になれるかもしれないといった漠然とした幻想ではなく、本当に自分がやりたいことを見据え、そのために今自分がやるべきことは何かを見定めることから、やり直すべきなのだ。
「専門学校に行けば何とかなる」と考えるのは、「漠然と大学へ進学する」のと大して変わらない訳か・・・うむむ・・・。


オヤジを目指して生き抜け

 若者たちは自分の若さに何の価値もないと知っても、絶望することはない。若さそのものには価値がないとしても、無知な若者が一日一日と年を重ねて、この世界で生き抜き、やがては一人前のオヤジになっていくことには、かけがえのない価値があるからだ。
「いきぬき」で「息抜き」が最初に出た。
もっと休めということかーいやー仕方ないなー。



第二章 自由論――不自由は愉しい
他人の人生を抱え込むことは不自由か

 自由とは不自由の反対である。だから、「自由は何か」を考える時、とりあえず「不自由とは何か」を先に考えると、都合がよさそうだ。不自由とは何か、を考えてみよう。
『結婚』『子供』『両親』と挙げて、不自由とは『他人の人生を抱え込むこと』との結論に至る。
ひとりで生きることは本当に自由か
 さて、だいたい不自由の正体が分かった。だから自由とはその反対ということになる。結婚はしない。子供も持たない。親の面倒などもってのほか。たったひとりで生きていくことが最高の自由。自由ほど価値のあるものは人間世界には存在しない。つまり孤独こそが、この世の最高の価値だ。
フゥー!!
最高に「ハイ!」ってやつだアアアアア
 ひとつの結論が出たが、もちろんこの結論は間違っている。「青春は価値」というデマゴーグの歴史は古いが、「ひとりでいることが最高の自由」という言説は、最近になって流行し始めたデマのひとつである。
なん・・・だと・・・。

 前章でも述べた通り、若さには「価値」がない。しかし、それはあくまで社会から若者一般を見た場合の「価値」である。もし、ひとりの若者に恋人がいたとすれば、その恋人から見た場合、彼、もしくは彼女には限りない「価値」がある。親から見た時、子に価値がないはずはない。前章では個々人の「価値」について述べたつもりはない。
 逆に言うと、たったひとりで、誰とも関わりを持たずに生きようとする若者がいたとすれば、その人間は社会的にも、そして個人としても価値がないということになる。
/(^o^)\

続いて「猿の子孫である我々」とか「ごろ寝のオヤジ」とか「分身の術」とか、まぁいろいろあってからの~
動機を持たない人間は自由ではない

 ここまで論を進めると、この章の冒頭で自由と呼んだものと、今ここで言っている自由とは、少し意味が違ってきていることに気がつかれるだろう。自由とは状態のことではない、と述べたが、自由とは常に「動機」とセットになっている言葉なのである。
 ある人間が何かをしたいと望む。それがどのくらい自在にできるかどうかが、自由と不自由の分かれ目なのである。何もしたくない人間や社会とのつながりを放棄した人間に、そもそも自由はない。他人と関わりたくない。だから他人から逃げる。これを自由とは呼べないことは、ここまで読み進んだ読者にはお分かりいただけると思う。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃ・・・ダメだッ!

すり寄る子犬を抱きかかえよ

 あなたは何も捨てていないようで、実は大きなものを捨てている。少なくとも、何も選択しないうちは、何も始まらない。何も始めないうちは、何も始まらないのだ。
 子犬は単なるたとえ話であって、これは人生のあらゆる局面に言える真実だ。もっといい女の子が現れるかもしれないと、いつまでも彼女を作らないようでは、いつまでも彼女は作れないし、いつまでも結婚できない。いつまでも結婚しなければ、いつまでも子供が生まれない。
こいつは大変だ!
今すぐ粘土を買いに行かないと!

他者を選び取り、受け入れることが人生
 つまり、人生とは常に何かを選択し続けることであり、そうすることで初めて豊かさを増していくものであって、選択から逃げているうちは、何も始まらないのだ。このことは後の章でも見方を変えて論じることになると思うが、要は選択する、つまり外部のモノを自分の内部に取り込むことを拒絶してはダメだということだ。
「見方を変える=味方を変える」、なんつって。
 他者をいつまでも排除し、自分の殻の中にだけ閉じこもっていては、本当の自由を得られないことはすでに述べた。結果的に結婚していようがいまいが、そんなことはどうでもいいことだ。ただ、「いつだって結婚くらいはしてやる」「他人の人生を背負い込むことぐらいはできる」という気概を持って生きていなければならないということなのだ。
熱くなるべきところなんだろうけど・・・どうやらボクは重傷らしいな。



全7章。2章までで文字数4000超え、今の俺にはとても1日でまとめられない。明日も読み直して続きを書こうそうしよう。