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今日の108円

1日1冊108円・・・・・・最近そうでもない。

戦略的な人の超速★決断力 西村克己 2008年9月3日 中経出版

2015-05-10 07:17:42 | 仕事
一つひとつの決断が、
将来を決めていく!

戦略的な考え方を身につけている人は、決断力があります。物事の価値判断基準が明確なので、2つ以上の選択肢の中から、自信を持って決断することができるのです。本書は、どんな仕事にも必要な的確な「判断力」と「決断力」を身につけるための入門テキストです。仕事のやり方からあなたの人生まで、戦略的に生きてみませんか?
裏表紙より。
2003年2月「戦略構想力が身につく入門テキスト」を改題・加筆・修正した本。
実は最近戦略について悩んでいまして・・・第三軍に資金とPP、撃墜数を奪われるのは我慢ならないんですよ。ボクの悪い癖。



第1章 戦略を持てば仕事の「決定力」が上がる

5 改革は五〇%アップ、改善は二〇%アップ

Point
人生の改革と改善を使いわけよう(改善で満足していないか)
 日々仕事のやり方を改善して、仕事の効率を上げることは大切です。しかし改善だけでは、効果が限定されることがあります。もしあなたが毎日残業を四時間しているとしたら、残業を一時間減らすことを考える前に「残業ゼロにできないか」「そのために何をすべきか」から考えることも効果的です。
考え方はなるほどなんだけど・・・この例は狂ってるよね・・・?
(参考:ネット震撼の「過労死ライン」基準は妥当?(JIJICO)- gooニュース
7年(12年)前の本にツッコミ入れても仕方ないんだけどさ。

それにしても、いつになったら全体の意識が変わるんかなぁ・・・残業なんてやりたい奴(ボクを含む)だけやればいいがな。「お前も残れ」で死なれたら効率が悪いと気付くんだよ!



第3章 「思考のギア」をチェンジする
1 戦略構想力に必要な九つのツール

Point
「守・破・離」で考える知恵を上達させよう
 考える知恵を学びましょう。学びもゴルフ上達も同じで「守・破・離(しゅ・は・り)」が大切です。まず「守」は、基本を理解して守ることです。基本ができると「破」、基本を破って応用します。そして応用ができるようになると「離」で自己流を完成させます。まずは基本を身につけましょう。
応用は基本を「破る」んじゃなくて「組み合わせる」じゃないかなぁ。
『まずは基本』は、イエス、ドンの言う通りです!



第5章 自分の人生戦略を見直そう

2 人生の3S(選択―差別化―集中)

豊かな人生のために
 お金があったらいろいろやりたいことがあるかもしれません。しかし、「お金があったら」と思った瞬間から、お金に振り回されてしまいます。まず「自分は何をしたいのか」を先に考えます。それから「そのためにいくら必要か」「どうしたらそのお金が調達できるか」を考えるのです。
 時間も同じです。「時間があったら」と思った瞬間から、時間に振り回されてしまいます。まず「自分は何をしたいのか」、それから「そのためにどれくらい時間がかかるのか」「どうやって時間を捻出するか」を考えるのです。
×お金(時間)があったら何かやれそうな気がする
○~をやるためにお金(時間)が必要だから~する
「本を読んでブログを書くため」で4時半起きはできるようになった。
次は「速く読む」と「速く書く」だけど、これはどうするか・・・理想は7時までにだけど、8時でも困らなくはないからなぁ。最近の休日も酷いもんだ。
願望止まりだからなんだな・・・。



4 自己分析をしよう

Point
自分を棚に上げて他人を批判するのはやめよう
 他人の悪い部分には気がつきやすいものです。しかし自分の欠点にはなかなか気がつかないものです。他人を批判する前に、人の振りを見て、我が振りを見直しましょう。また自分の欠点を知るためには、他人からの耳が痛い注意にも耳を傾けることが肝要です。
/(^o^)\

なに?
他人の悪いところばかり気になる自分が嫌になった?
それは
無理矢理誰かの主張に迎合しようと
するからだよ
逆に考えるんだ
医者や刑事には向いているさ」と
考えるんだ



10 くよくよしない人生を生きよう

空(くう)の気持ちで必要以上の欲望を捨てよう

 わたしは「空(くう)」という言葉が好きです。大乗仏教の根本心理とされ「もろもろの事物は縁起によって成り立っており、永遠不変の固定的実体がないということ」という意味です。要するに、わたしとしての空の概念は次の通りです。「欲望を追いかけてもきりがない。人間は裸でうまれて、死ぬときは何も持って行けないのだから、心を空にして、俗世間の欲望を捨てる」という意味に解釈しています。小さいことにくよくよしないためには、「空」の気持ちに戻って、悩みも捨て去りましょう。「もっともっと」の欲望が、ちょっとしたことで、不平不満や悩みを生むようです。
OK!忍!」ですね、わかります。

こういう話を聞くと封神演義を思い出す。
「仙人になるのは簡単じゃないんだよ」
「仙人になるってのは、つまり欲を捨てることだろう?」
「でも仙人になりたいって気持ちは大きな欲だからさ」



『セールスポイント』たる『「ワンポイント活用法」』のおかげでとても読みやすい。
著者がすすめる通り、そこだけ読むのもアリだと思う。

50円でこういう本もあるから、あえて新刊を買う気になれないのだよねぇ・・・。

逆転の発想 社会・企業・商品はどう変わる? 糸川英夫 1982年5月30日 角川書店

2015-04-26 10:20:35 | 仕事
 これからの日本はどうなるか。企業はどうしたらいいのか。また個人として、どう生きていけばいいのか。
 混沌とした現代に満ちているこの‶危機感"は、どこから生じているのか。
 本書は、その根源をさぐり、これからの時代に対していく処方を具体的に解説していく。
 情報の収集・選択の仕方、ベスト商品へのアプローチ、エネルギーへの考察、そして将来への展望と、従来の発想法を大転換して、これからの時代に対処する方法と手段を示唆する、万人必読の書。
前袖より。
この本は82年だけど、この本の前に『五冊刊行されて、「発想ブーム」の元祖になったように言われて』いたらしい。
あとがき

 第一冊目の『逆転の発想』が出版されたのは、第一次オイルショックのまさに始まったときであった。
・・・70年代前半。10年経っての6冊目か。

反企業時代の経営戦略

反企業運動のパターン

 しかし、ここで終わるわけではない。第3図を見ていただくとわかるように、フェーズⅠ(第1段階)では、ロジックとロジックのやり取りである。その次のフェーズⅡになると、ロジカルで科学的な判断ではなくなり、好き嫌い、情緒的な判断に移るのである。この場合、新聞の書き方が一方的なのだなどとよくいわれるが、そうでもない。新聞は数で勝負しなければならないので、マーケットの潜在的欲求にのらないと売上げが伸びない。だから、どちらが一般大衆の潜在的ムードに合うかをいちおう判断したうえで記事にしているわけである。むずかしいところである。
企業と批判者の対立の流れ。
「一方的な報道によって一般大衆が誘導される」のではなく、「一般大衆の感情に合わせた報道をしないと売れない」。うーん。

人間性とは何か

自然破壊は人類の専売特許か

 ここから先はどういうことが起きるかというと、沢山の親が出した排泄物が問題になってくる。親が出す毒素で次の赤ん坊の育ちが悪くなる。そして自然に数が制限されて、一定のところできまって頭打ちになってしまう。だから、私は地球を一つの容器として考えた場合、親が沢山の毒素を出して次の赤ん坊の健康を害することで、人類もやはり一定の人口にとどまるのではないかと思う。
本物のねずみのねずみ算の話から。
このあと西丸震哉氏(著者の知人)による「日本の人口は1980年代に1億を割り、90年代には7700万まで減る」という悲観的な試算も出てくるけど、残念ながらそうはならなかった。
 だが、ここで人間がほかの生物と違うところは科学という武器を持っている点だ。科学の力で、こうした危機をなんとか打開できないものだろうか。
打開できてるのかねぇ?延命治療の分野は、正直余計なことを・・・感がする。

涙は人間だけのものか

 ところが、涙を出すのは人間の特技かというと犬や猫や猿でも、親と引き裂かれればワアワアと泣き叫ぶ。子犬を親犬から離すと、一日中、泣き続けるし、にわとりでも声を大にして泣いている。つまり、泣くという行為は多くの生物に共通なもので、人間だけに特有のものではない。にもかかわらず、それは人間的だといわれ、人間独自の行動は機械みたいだといって軽視される。
 するといったい、現在の状況の中で"人間性とは何か"とか"人間性の回復"とか"人間的でありたい"ということは、どんなことを望んでいるのだろうか。
暗算が得意な人間を機械的と評し、感極まっての涙を人間的と評することついて。
『人間性』とか『人間的』ってのは、「人間らしく」じゃなくて「生物らしく」を求めているのかもしれない。とすると、人間にしかできないことを推し進めることは「生物離れ」と同義ということになる・・・?
「おれは生物をやめるぞ地球ーッ!」
「おれは生物を超越するッ!」
「地球、お前の血でだァーッ!!」
問題は盾になってくれる人がいないことかナ。

情緒過剰時代の生きがい

原点否定の都市生活
 結局、私はだれかの役に立てないかということが、人類の原点であり、これがなくなったら、人類は全くバラバラになってしまう。
 ところが、都市というところは、だれかの役に立とうとするチャンスをことごとく奪ってしまう。山深い農村で、たとえば小野田さんみたいな生活をしたとしよう。わずから食物であっても、だれかに分け与えたとしたら、その相手はどんなに喜ぶだろうか。
 しかし、都会の真ん中では、だれかにお腹がすいているでしょうと言ったところで、ラーメンもあればカレーライスもある。ありとあらゆるレストランが沢山ある町の中では、なにか食物をあげようと言っても、それほど感謝されるはずがない。感謝されるチャンスを都市生活が奪ってしまっている点に、都市の最大の問題があると思う。
だれかの役に立とうとした人々が、いつでも誰でもラーメンとかカレーライスを食える都市を開発したのに。至れり尽くせりも過ぎたるは・・・ということなのか。

ポストエコノミー社会の経済学

第二のパージの必要性
 第8番目は、戦後のパージにより経済エリートが一新された。すなわち老人層が全部パージされ、若手経済エリートが登場したということである。しかし、戦後約三〇年余りということになると、こうしたリーダーの老化現象も濃厚になってきている。だから、再度のパージが必要なのだが、当分期待できそうもない。新しい難問として考慮すべき点である。
高度経済成長の要因その8。
新しい時代を創るのは老人ではない!・・・のになぁ。

今日は選挙がある。俺は「ネット投票ができるようになれば若者の投票率が上がる」なんてのはウソだと思ってる。
「投票所に行く時間がメンドクセェ」から「サイトに接続して本人確認をする時間がメンドクセェ」になるんじゃねーの。要は投票なんかのために自分の時間を使いたくないってことなんだから。
「期日前投票まで含めて投票に行く時間がどうしても無くて悔しい」なんて人が「投票行かずにネット投票実現を要求してるだけの人々」の中に居るかね?そして居るとしても、そういう人のためにネット投票が最善と言えるのか?
「ネット投票があれば~」なんてごねてるのは選挙に対する責任逃れにしか見えない。それを見透かされてるから、政治の側も早急な対応をしないんだろう。政治家のことを「口先だけのゴミども」と非難してるだけの連中は、その政治家から「口先だけのゴミども」と舐められていると知るべき。

うだうだ言う間に投票いこうず。俺の判断基準は年齢。60超えたら「お前ら下がれー!」。「イっちゃえよ!」でも可。穏やかな老後を満喫していただくためにも丁重にお引き取り願うのです・・・「出てこなければ、やられなかったのに!」。

入社式はいつまで続く

 つまり、入社式とは終生この会社に操を捧げて忠誠を誓うということにほかならない。新入社員も心の中ではバカげたことだと思いながらも、第一日目だから仕方なしに出席しようという者がほとんどのようだ。しかし、これからは、病気とか、事故があったとか、法事だとか適当な理由書が会社に届けられて、本人が欠席する率が増えていくのではないか。つまり、日本の労働力が良質かどうかは入社式の出席率でおおよその判断がつくということになる。
今のトレンドは「親同伴」らしいから、むしろ出席率は上がってるかもしれない。
高学歴化と組織づくり
 もう一つ、労働力で重大な問題は三〇項目の中でも説明したが、高学歴化という点にある。第8図を見ると、昭和四〇-五五年に中学卒が激減する半面、高卒、大卒が急増している。
 これはどういうことを意味するかというと、私どもの行った二つのアンケートからも明らかになる。すなわち、①地球の環境は悪くなると思うか、②文明の進歩は人々を幸福にすると思うか、という二つの質問なのだが――①については、中、高、大卒の順にそう思うと答えた者が多くなっている。②については逆に、同じ順でそう思うと答えた者が少なくなっている。だから、この回答の背景にある問題というのは、高学歴になるほど、地球を汚すような企業は無くなってしまった方がいいという考え方である。
「革命はいつもインテリが始める」ってのはこういうことかぁー・・・とすると、学生運動に手を焼いた反省から「学生が制度に対して攻撃を実行しようと思わないように育ててきた」のが現代の教育で、その結果として「現行制度に不満があっても攻撃的手段は取りたくない(取れない)人々」が高学歴ニートになるのか?

エネルギー・一九八五年

冷えた社会
 エネルギー問題のしめくくりとして、一九八五年のエネルギー事情を中心とした私なりの未来予測を述べておこう。
wktk!
 戦後ッ子は、物資の豊富な時代に生まれ、過保護のもとに育てられた。このような甘えの構造の下で育った世代は気力も体力も独創力もなく、人間的資質からいっても画期的な技術を期待しえない。いまの高校生は、無気力、無感動、無責任、無目的という四無主義のとりこになっているが、一九八五年ころにはこの四無主義が社会の大半に広がっていると思う。
 アメリカも同じような傾向に一九六〇年代になったが、それでもアメリカにはワスプ精神が残っていて、つねに冒険を行なおうというホットな雰囲気がある。しかし、日本ではたまたま冒険心に富んだ人が出ても、そういう人は海外に出てしまう。
「団塊世代の少し後」かな?しらけ世代(Wikipedia)のことを指してるっぽい。
 冷たい社会は二〇〇〇年まで――。
 この年、一九四五年生まれは五五歳で定年。一九五〇年生まれの人は五〇歳だが、この無気力組は五〇歳前後で次の世代にその座を譲り、早々に隠退してしまう。次の世代――それは一九七五年生れの人々だ。エネルギー不足、紙不足といったように、生れついたときから"不足社会"に育った人たちは強い。デニス・ゲイバーも言っているように、逆境の中でこそ気力・創造力に富んだ人間が育つのである。彼らは個性豊かである。彼らのエネルギーは再び大きな技術革命を起こし、経済は大きな上昇期に入る。一九七五年までの上昇が洋風化というインパクトに支えられたのに対して、二〇〇〇年以後の上昇は"個性化"がインパクトである。
うーん。2000年頃景気はよかったんかなぁ?「不況」もしくは「少しはマシになった」程度の話しか聞いた覚えが無い。
ここで『無気力組』とされる連中、2015年になっても隠退してないしなぁ・・・。
これほどの文章が書ける人でも、未来予測は難しい・・・いわんや凡人をや、か。



『あとがき』まで含めて224ページだけど、これまた「厚い」本だった。連続で当たりを引くのもこれはこれできつい。まだ理解力が追いつかない。明日は軽く読めそうなのを用意しよう。

「考える力」をつける本 轡田隆史 1997年1月25日 三笠書房

2015-04-25 10:06:24 | 仕事
◎考える力の差は
どこから生まれるのか?

 男女や年齢の別を問わず、どんな仕事でも勉強でも試験でも、スポーツでも将棋でも碁でも、自分の持っている力をどこまで引き出すことができるかが、勝負どころなのである。
 とかく人は力の有無を云々したがるけれど、力の差とは、力そのものの差であるよりは、自分自身で持っている力の引き出し方の差なのである――――――――――轡田隆史
前袖より。
『朝日新聞論説委員』・・・ああ、「朝日新聞」に特別含むところは無い。どこも大して変わらないっしょ。
新聞自体暇つぶしにしか読まないし。「どうせ大きな事件が起きたらあっさり引っ込められる程度の情報しか載ってないから要らない」という考え方に絶賛賛同中かつ、「殺人事件があって被害者はー容疑者はー」って情報が、今自分に必要なものなのかという疑問もある。知らない人の表面的なことだけ知っても同情以外何ができるでもなく、数か月~数年後に犯人が捕まった(捕まらない)ことがまたニュースになった時も「ふーんそーなんだー」「警察は仕事遅いな(してねぇな)」程度の感想しか出てこない。つまり情報として仕入れる意味が無い。

話が逸れた・・・気にすべき点は、著者が「新聞」のどこに関わっていた人なのか。
はじめに――「考える力」の差はどこから生まれるのか?

 丸八年は、朝日新聞夕刊一面の、乱暴にもほんの二百字ほどで森羅万象を批評しようとする、おそらくは世界でもあまり類のない極小のコラムを、ほとんど毎朝ただ一人で書き記してきた。
ああ、あーゆーの書いてた人か。
毎日僅かなスペースにちょっとうまいこと書いてドヤ顔してるイメージ。(偏見)
しかし短い文章でなるほどと思わせるのは至難の業。頭がイイに違いない。(先入観)

2章 新聞から何をどう読みとっていくか
「自分の頭で考える」ための情報収集術

ハサミいらず、ナイフいらずの「切り抜き」法
論説委員は関心を持った記事を切るのが『重要な仕事』。その流れから本の話に。
 わたしは、ためらわずにページの角を折る。本を丁寧に扱うこころはもちろん大切だが、より重要なのは、その内容をいかにわがものにするかである。あとで付箋をはって折り目を正せば、元に戻るものだ。
ねんがんの 情報収集のプロのお墨付きをてにいれたぞ!
「折れ折れ読書」と名付けよう。

わかりやすく「要約された記事」だからこそ落とし穴もある

 ニュースの本質は、一見「枝葉」のようにしか見えない「細部」にこそ宿っていることも多いのだ。しかし、より多くの記事、つまり情報をつめ込んで「完成品」を目指す過程で、このように「本質」を示す細部を削ってしまうようなことが時に起こることも知っておいてほしい。
これが怖くて最近引用が長め。でも引用は必要最小限度にすることも求められる・・・難しい。

3章 「量の読書」と「質の読書」
役に立つ探し方、読み方、楽しみ方

限られた時間に、できるだけ多くの本を読むたった一つの方法

 本を速く読むには、本をたくさん読んで、読むのに慣れるのが第一だ。活字を読み慣れることこそ速読術の基本。
ですよねー。
 結局、数多く読むのが速読への道、というのがわたしの経験で得た結論である。ただし、と慌てて付け加えるのだが、それは、毎日たくさんのページを読まなければならないということのみを意味するのではない。毎日、二、三ページでもいいから、活字を読む習慣を身につける。それでも役に立つ。本ではなく、新聞を毎日必ず読むのでもいい。
新聞から読書の話に移りつつも、さりげなく新聞を推しよったで・・・!
子供に読書をさせたいなら、まずは漫画のノベライズから入るといいんじゃないかと思う。「ワンピース」とか「ナルト」とか。・・・いや、むしろ「コナン」「金田一」「デスノート」を読ませた方が早いかもしれない。単純に文字が多いから。
ツマラナイ文章を叩きこむから、読書離れなんて現象が起こるんだよねー。

7章 「考えるきっかけ」をどうつかむか
「世界」を見る目、「自分」を見る目

「歴史のちょっとした知識」が生きてくるとき

 歴史の、ちょっとした知識。「異質性」を確認するための、重要な一歩がそこにある。歴史とはそういうものであり、だれも歴史から逃れることはできない。である以上、歴史に積極的に立ち向かうことこそ、知的な態度といえるだろう。
 なあに、それほど難しいことではない。歴史の本をちょっと読むだけのことだ。それだけのことで、海外旅行の楽しさにぐんと深みが増すのに、人はあまりそれをしない。
『ちょっと』ができないのだよねぇ?
「できる(た)人」は、「できない人」の心情を理解できない。これこそ「なぜ?」を考えるべきことだよなぁ。

ついでに・・・この件の根本的な原因は「学校で教える歴史」がツマラナイからに違いない。年号とか人名とか、どうでもいいことべー言いよる。「歴史の時間=ツマラナイ時間」としてインプットされた後、わざわざ歴史を知ろうとするはずがない。もうテストは無いんだから。
つまり、歴史に学ぶという姿勢を教えるべき時間に、記号を覚える作業をやらせる教師が悪い。・・・あれ、俺こんなに教師のこと嫌いだったっけ?

「同質性」を知って得るものはただの「安心」だが、「異質性」を知って得るものは「知」の楽しみである。
皆に合わせる風潮はつまり、日常の中で安心を得られていないってことかしら。
「安」は屋根の下に女。家はある、つまり「女」がいなくなった・・・うーん?
一方「知」は矢口。知ることは矢口ること。つまり不倫は文化だったんだよ!


9章 ワープロ・パソコンでできること、できないこと
機械と人間とのつき合い方を考える

コンピューターのメリット、人間の頭脳のすごさ

 機械に対して意地悪ばかりいってきたようだが、能率と便利の陰には必ず落とし穴があるといいたいのである。わたしもこれからワープロ、パソコンを道具として使いつづけてゆくだろうが、パソコンの画面で読書をしたいとは思わない。買い物は、店をひやかしながら、自分の目で確かめながら楽しみたい。
1996年にあった人間とスパコンのチェス対決(人間側の勝ち越し)を例に、まだ機械は『この程度』と評してるけど・・・チェスはもうスパコンの方が強いんじゃないっけ?
参考サイト:スパコンがチェス王者に勝てた意外な理由とは?―NAVERまとめ
世界が注目するその戦いが行われたのは1997年5月

対戦したのは 当時のチェス世界王者 「ガルリ・カスパロフ氏」と IBMが開発したチェス専用のスーパーコンピュータ 「ディープ・ブルー」

前年(1996年2月)に行われた1度目の対戦では カスパロフ氏が3勝1敗2引き分けで勝利していた

しかし この2度目の対戦では 1勝2敗3引き分けで カスパロフ氏が敗れたのである
この本の4ヶ月後かよ!
・・・と思ったら、スパコン(ディープブルー)側の勝因となった一手は
キャンベル氏によると あの時ディープブルーは 次の一手を選択できず 「単にランダムに手を打った」のだという
機械の精密さと正反対。言ってしまえばただの苦し紛れ。それを深読みしすぎたカスパロフ氏が自滅しただけの話だったらしい。
チェス界史上最強ともいわれるマグヌス・カールセン氏がスパコンに頼らないという話も出てきた(参考サイト:チェス王者の勝利はスパコンに対する人間の勝利 JBpress(日本ビジネスプレス)し、これは認識を変える必要があるな。

話を戻そう。機械化が進んでも全ては『人間あってのことである』というのが著者の主張。通販とかネットのみの情報収集とかは否定的。『もちろん各人の趣味の問題』とも言ってるけど。
確かに必ずしも機械化がいいとは言えないことはやっぱりあるよナ。


10章 「情報」を生かすための考え方
情報の選択とは人生の選択でもある

<ビジネスマンのための十か条>

現状の認識についてはやや悲観的に。しかし、未来と将来の展望については楽観的に。

 何ごとも、がっかりし過ぎたらそれでおしまいなのである。オレほど悲観的な人間はいない。そう思い込んでいる人は、そう思い込んでいられる点においてすでに楽観的なのである。
午後の紅茶(ミルクティー)吹き出しただろうが!
実際、現状認識から起こり得る事態は最悪のものまで想定した上で、『何とかなるさ』と思ってることは否定しない。「どうにもならない」と思い込んだ奴が自殺する。何とかなるさ(俺は)。


11章 議論の方法――「論理的な考え方、話し方」とは?
理性と論理、そして直感について

「正しい論理」と、もう一つの「正しい論理」がぶつかるとき
 会社の会議などで発言すると、上司から、「キミイ、もっと論理的にしゃべってくれんかね」などといわれるときがあるだろう。もちろん、論の立て方が支離滅裂の場合もあるけれど、実は、キミの意見は気に食わん、反対である、という考えの遠回しの表現であることが多いのは知っておいたほうがいい。キミが「その方向」で語りつづける限り、その話し方がどんなに「論理的」であっても、反対の上司には「論理的」に響かない。「論理的」という言い方は、要注意なのである。
もう少し早く読みたかったよ・・・。
最近ようやく気付いて、結果貝ることにしたけどさ。目指す方向が違い、向こうに変える気は全く無く、俺も変わる気は全く無い。沈黙・・・それが正しい答えなんだ!
まだ実力が無いから仕方ない。速さを重視するなら会社都合退職が最良のシナリオと思えてしまうのがなんだかな・・・もっとも、そうなったとしても「どこも同じ」が真なら、もう琥太郎先生の生き方に倣うしかない。
「やっぱ俺向いてないかも」「働くことがさ!」

「論理的」なるもののイカガワシサをわたしはかなり「論理的」に論じてきたつもりだけれど、そのうえでなおやはりこういわなければならない。論理的に考え、語るように努めようでないかと。しかし待てよ、「論理的」ではなく「筋道」という便利な言葉があるぞ。いわく、筋道を立てて考え、筋道を立てて語れ、と。なんだか、このほうが落ち着きがありそう。大げさな言葉遣いはなるべく避けよう、という「書き方」の原則はここでも真理なのである。
hmhm。
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、学校の散歩道を歩きながら講義した。だから、その一門を逍遥学派とも呼ぶ。もっとくだけていうなら散歩学派、あるいは筋道学派はどうだ。「論理」などと大きく構えないと満足できない人もあろうが、逍遥やら筋道のほうが、柔らかくいろいろ考えられて、柔らかな結論が出そうな気がする。
「論理」という固い言葉は捨てて「逍遥」「筋道」といった柔らかい言葉を使うべきなのである、なんて書いてあったら盛大に笑うところだったのに・・・文体は柔らかでありながら隙は全く無い。こういうのが書きたい。

14章 遊び上手は仕事上手
常に新鮮な「こころと頭」を保つために

 人類はもともと学名ではラテン語で「ホモ・サピエンス」と呼ばれている。「賢いヒト」といったような意味らしい。ほんとうの意味で「賢い」とはとてもいえないと思うが、もう一つの呼び方、「ホモ・ルーデンス」のほうはなるほどと感じいる。「遊ぶヒト」。
遊ぶだけでは生きていけない。遊べなければ、生きていく価値が無い。(どやぁ)

思いもよらない潜在能力を引き出す「遊び」の力

 仕事が終わらなくたっていいや、完成しなくたっていいや、何もかもどうでもいい、と人生を投げてしまったような人は例外として、人は、少ない残り時間にこそ「馬鹿力」を発揮するものだ。緊迫感であり、集中力である。
「火事場の馬鹿力」をなぜ普段は出せないか・・・筋肉が自壊するからじゃなかったっけ?
緊迫感や集中力が重要なのはわかるけど、そのために火事を故意かつ頻繁に起こすのはどうかと思う。ダメだったら焼死するですよ?大抵の火事は周りを巻き込むし。俺はそういうのを『勇気』とは呼びたくない。



18年前とは状況が違うと思う部分も無くは無いけど、とても充実した本だった。
・・・休みの日はやっぱりダラダラ書いてよろしくないな。

議論に絶対負けない法 ゲーリー・スペンス 松尾翼【訳】 1996年5月31日 三笠書房

2015-04-24 07:54:00 | 仕事
◎議論する技術は、まさに「生きる技術」だ!
ゲーリー・スペンス

 議論する技術は、まさに「生きる技術」である。人生に勝つことは、ある意味で、日々の議論(他人との対決、そして自己との対決においても)に勝ち抜くことである。
 職業上、議論は私の商売道具であり、私はこの道具を練りに練り、鍛えに鍛え、そしてこれを駆使して四十年以上のあいだどんな議論にも負けを知らずに今日まできた。
 この本は、そんな私の「議論に勝つための全知識」の結晶であり、私なりの成功人生の縮図でもある。自己実現するために、どう戦い抜くか――私は「生きる知恵」の伝道者としての使命感をもってこの本を書いた。
前袖より。
帯のよるとこの本は『全米で180万部突破、大ベストセラー中!』だったらしい・・・「基準値」がわからないと役に立たないどうでもいい情報だって言ってるでしょう!

日本の読者へ
あなたも、これを守るだけで「必勝の議論」ができる!

 さて、私は議論する能力を身につけていく過程で、あまり攻撃的でもないし、敵意といったものも少ない「東洋的なアプローチ」からも、実に多くのことを学んだ。ここで言う東洋的とは、自分ばかりを前面に押し出すのではなく、相手を思いやり、相手との和を何よりも大切にするという意味である。
hmhm。
 一方、アメリカにおいては、自分がまず第一で、相手のことを理解しようとか、相手に自分のことを理解してもらうまで辛抱強く待つなどという考え方には、まったくなじみがない。聞いてもらうこと、理解してもらうこと、自分の要求に応じることを相手に要求し、その要求が受け入れられなければ、なぜ受け入れられないかその理由を教えろとまた要求するのがアメリカ流だ。確かに「キーキー鳴るタイヤは油をさしてもらえる」が、ほとんどの場合、忍耐強く相手を待つことが大いに報われることもまた事実である。
/(^o^)\
・・・要は短気なんだよなぁ。
アメリカ人に東洋的なアプローチを学ぶ東洋人。どうなってるんだ。

3 常に「主導権」を確保せよ
なぜ相手に力を与えてしまうのか、なぜ自ら手放してしまうのか

「正義」が生んだとんでもない私生児

 私は偽善が大きらいだ。不正が大きらいだ。だから攻撃した。視界に入った人を一人残らず攻撃した。不可解な微笑みを浮かべながらずる賢い弁論をした。感じのいい企業弁護士も攻撃した。口先巧みに悪賢い論述をした学者ぶった専門家も攻撃した。情け容赦ない言葉を連発しているうちに、うかつにも陪審員まで攻撃してしまったのだ。私があまりに冷酷だったために、陪審員がやむを得ず被告側に味方したのだった。私は自分のありったけの力を使って、自分自身をぶちのめしてしまったのだ。
むむむ・・・むー。
「ふせい」を打ったら「父性」が最初に出てきてギクリ。俺の思考回路は「ふせい=不正=父性」を憎むということなんだろうか。「父性=男性」であり「俺=男性」である、故に「俺は俺を憎む」。実にスッキリとした結論ですナ・・・ナ。


6 「偏見」を突き崩して議論に勝つ
頑固で手に負えない「刷り込み」をきれいサッパリ洗い落とす法

「自滅」は避けるのが最高の将軍

 前に定義したように、勝利とは私たちが望むものを手に入れることだ。長い目で見れば結局、私たちが「望む」ものは、私たちの豊かな人生の貯えを無駄に使わず、実を結ぶ努力のために使うことだ。自分たちの人生を無駄にされたくない。私はどの戦争で戦うべきか、誰を相手にどの戦いとどの議論をすべきか決める権利を自分自身のために残しておいた。もし私が将軍なら、敵の防備が非常に固くて、攻め込めば自滅するという時に、兵を戦いに送り込むことは決してしないだろう。将軍が自分の兵隊を大事にしなければならないのと同様、私たちは自分を大事にしなければならない。したがって、勝利は必ずしも勝利ではない。特にどうやっても変えられない偏見を相手が持っている時、つまり、相手がどうしても壊すことのできない戸棚に閉じこもって心に錠をかけている時には、勝利とは、退却するという戦術を取ることが賢明だと認めることだ。
やっぱり三十六計逃げるに如かずに落ち着くんだなぁ・・・。

13 怪物「リバイアサン」とどう戦うか
自分の力の及ばない相手に究極的に勝利する法
ははは、リバイアサンは海の怪物ではありませぬか。
僕は漁師とかダイバーじゃないんで・・・
 職場で議論するためにはまず、私たちと雇用主との関係について理解しなければならない。会社のもとで働いているなら、その本質を理解していなければ職場で意味のある議論をすることはできない。怪物のことを何も知らなかったら、私たちはその怪物と格闘しないはずだ。会社で働いている時に、会社という怪物の本質を十分に理解せずに議論をすることは、無駄であり、おそらく危険である。
gkbr。
負けないことによって勝つ方法

「他人の倫理観に合わせて利益にノーと言うことなど、どうしてできるだろうか。われわれは倫理という名のゲームをしているんじゃない。利益という名のゲームをしているんだ。ゲームをはじめたからには、こう考えてゲームをしなくてはならないのだ。倫理が最優先されるのは、倫理を守ったほうがより大きな利益を生む場合だけだ。わからないのか?」
著者自身『誇張しすぎているだろうが』と断ってはいるものの、これが所謂『会社役員』の『陳腐で、お決まり』の主張・・・らしい。
倫理を守らなかった会社は利益どころか潰れてるよねー、と思うだけにしてる。
 覚えておきなさい。給料の支払い小切手にサインするのが誰であろうと、私たちは常に自分のために働いている。雇ったり解雇したりするのが誰であろうと、私たちは常に自分自身を満足させる。私たちは常に自分自身の基準に従って生きている。結局のところ、それが常に勝つ方法なのだ。

「リバイアサン」の正体がわかれば勝負は見えている

 これまでにあなたは、いつ議論すべきか、どうすれば人の信頼を得られるか、どうすれば力を理解できるか、聴くことができるか、議論を準備し、作り出し、実践することができるかなどを学んだ。議論を生涯の仕事とする私にとって大きな意味を持つこれらの道具、テクニック、助言は、あなたが職場で議論する際に大いに役立つだろう。
あざーっす!さぁ早速実践d
 だが、もし私があなたを反逆しようという気にさせてしまったなら、急いで警告するが、反逆はめったに成功しない。反逆者は理解されないし、人々は自分が理解できない相手を恐れるからだ。それに、ありのままの自分でいること、自分自身の決断力にこたえること、自分自身の力を大事に取っておくことと、自慢げにいばり散らして騒音を立てまくることとはまったく別のことだ。
 ものおじせず、率直に主義を主張することがよくないと言っているのではない。主義を誇示することに、ふつうは何の利点もないと言っているのだ。自分の倫理に従って静かに生きている人は、自分の倫理観について耳をふさぎたくなるほどの大声で怒鳴り散らす人よりも、意味の深い議論をすることができる。
ここで(朝からちんたらブログをいじるような)短慮な読者を引き留める著者の先読み力には嫉妬すら覚える。



ページ数が300超えだったからいつもより早起きした甲斐はあったと思う。読み返し必須とメモしておく。

人生が変わる「朝5分」速読勉強法 高島徹治 2005年1月20日 講談社

2015-04-22 07:54:15 | 仕事
「頭のいい人」「試験に受かる人」の勉強の極意は、効率よく読む技術にあった!通勤時間などの毎日朝5分間からすぐ始められ、最小時間で最大の効果を生む「高島式」勉強法が、あなたの仕事人生をも激変させる。キャリアアップを望みながらも仕事にプライベートに忙しい現代ビジネスマン必読の書!
裏表紙より。
元の本は2003年1月「40歳からの人生を変える1日10分速読勉強法」を改題、さらには『大幅に加筆、改筆して再編集』。
・・・『40歳から』?まだ早過ぎんよシット!

2冊目の速読本。前回は「どうも内容を信じきれない」。今回はどうだろね。


プロローグ――「速読勉強法」で知財社会を勝ち抜こう

勉強の時間効率を考えるなら速読は必須の心得だ
うん、そうだね・・・ここで著者からのお断りが入る。
 それは、本書は昨今「世に盛る」、右脳型を詐称している速読術とは根本的に異なるものだ、ということだ。
 端的にいって、そうした速読術は羊頭狗肉に近く、本当に速読効果があるのかさえ疑わしいものが多い。効果のほどは本人の主観に任されていて、客観的に測定できないのだ。
 あくまでも、主宰する側のビジネス・パフォーマンス(利益)に貢献するだけのものと断じてよいものが多い。
「既存のもの=悪」「それをぶち壊す姿勢=良」という構成ktkr。
これはwktkせざるをえない。

 さて、プロローグの締めとして、この本で私がめざすこと、つまりこの本の目的を簡単にまとめておくことにしよう。
①時間密度がますます濃厚になった現代において、短時間で知識を獲得するため「速読勉強法」を身につけてもらうこと。それを駆使して、知識あるものこそが恵まれる知財社会、知価社会を乗り切る武器としてもらうこと。
②「速読勉強法」は、世の中で喧伝されている右脳云々という言辞をふりまわす、効果不明の速読術とは明らかに一線を画するものであること。そして、その「世に盛る」速読術に反省を求めていること。
③「速読勉強法」を構成する技法自体は、何ら難しいものではなく、暮らしの中で気軽に実践できる合理的なものであること。最短単位五分、一〇分という身近なレベルで実行できる簡単なものであること。

 以上である。
見せてもらおうか、『短期間に八〇の資格を取ることができた』という『速読勉強法』の詳細とやらを!

第一章 いまほど速読が必要な時代はない

情報洪水を乗り切るためには速読が必要

 全国出版協会・出版科学研究所の『出版月報』二〇〇四年一月号によると、二〇〇三年の書籍の新刊点数は七万二六〇八点、雑誌の創刊点数は二〇七点だという。
今は微増傾向かな?もっとも7万でも1日191冊。無理だな。
でも2対8の法則なら1日38冊・・・あれ?ここからさらに全く興味無いジャンルを切ればできなくもない、か?


第二章 いい速読法、悪い速読法を見分ける

疑念①右脳型か、左脳型か、その正体は?
「右脳型の本」と「左脳型の本」の主張を紹介してからの~
「この後すぐ」脅威の事実が発覚!

 ところが……まさにところがなのだが、この二つの書物の著者は、まったく同一の著者なのだ。あとの本のほうが先に出版されたもので、一九八九年の発行、前の本はつい最近、二〇〇二年の発行のものだ。
こ れ は ひ ど い 。
 既成のいわゆる速読術の世界というのは、こういうことが平気で行われている世界のようだ。そうとしか、思いようがない驚愕の事実である。
だがちょっと待ってほしい。それは速読術の世界だけの話だと言えるだろうか?どこででもある問題を「この世界だけの問題」として、「こういうことが平気で行われている既成の速読術は悪」であり、「故に私の説は正しい」という流れに持っていくのは論理的に飛躍があるように思う。
「論理的に飛躍」と言いたかっただけなことは否定しない。


第三章 「速読勉強法」で「知価社会」に切り込め

「速読勉強法」⑥――キーワード連結による速読技法

 佐藤泰正氏はその著書『速読トレーニング』(講談社ブルーバックス)の中で、日本語の場合、漢字がキーワードをかたちづくることが多いので、漢字だけを拾い読みしていけば、文章の大まかな内容を掴むことができる、といっている。
俺が漢字の変換基準でイライラするのはコレが理由。漢字なら知らない言葉であっても意味が分かるのに、平仮名だと知ってる言葉でも分かり辛い。
で、これだけで「これ佐藤泰正氏の説だよね」ってのは早合点。この先が大事。
「速読勉強法」⑦――スキーマの数を増やして「待ち伏せ読み」をする
スキーマとは!?
 スキーマとは「いくつかの知識の集合体」のことだ、といっている人もいるが、この理解で十分だと思う。
hmhm。
 つまり、速読力をアップし、速読という技術にたけた人間になるためには、スキーマの数を増やしたり、またその認識の質を高いものにする必要があるのだ。
要するに、予備知識の無い話題を速読できるはずが無い。
・・・あれ?前回の本も「簡単なのから読め」って書いてあったな。スキーマとかいう聞いたこと無い単語に踊らされていた・・・だと・・・・。


第四章 ビジネスマンのための「速読勉強法」

八〇の資格につながった私の勉強法
ktkr!
 私は、五三歳のときに自分が創業した会社の経営権を若手に譲渡して退職し、かなり暇ができた。平成二年夏のことだ。そのまま現役を引退してしまうのは早すぎるので、数年先に資格評論家を開業することをめざして、資格に挑戦し始めた。
・・・んんん?ちょっと待て。一般的な資格挑戦者と姿勢・立場が偉い違わないか?
そりゃ資格の勉強だけやってりゃいっぱい取れるでしょうよ。しかもそれぞれの資格について厳密に覚える必要も無い。とりあえず取れればいいんだもの。


既成の速読術に対する考え方や、速読勉強法そのものはなるほどなぁと思える部分が少なくなかったのに、読み終わったときは正直なぁんだ感が大きかった。時間切れ。