発見記録

フランスの歴史と文学

野崎歓『カミュ『よそもの』 きみの友だち』

2006-09-25 20:09:21 | インポート

野崎歓『カミュ『よそもの』 きみの友だち』(みすず書房)は、抄訳と読み解きからなる。「抄」とはいえ久々の新訳、窪田啓作訳『異邦人』(新潮文庫)と、どこが違うのか。

 Aujourd’hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. J’ai reçu un télégramme de l’asile : ? Mère décédée. Enterrement demain. Sentiments distingués.? Cela ne veut rien dire. C’était peut-être hier. (原文引用は?Folio?による)

 きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム、マイソウアス」 これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。(窪田氏訳)

 きょう、母さんが死んだ。きのうだったかもしれないが、わからない。老人ホームから電報が届いた。「ハハウエシス/ソウギアス/オクヤミモウシアゲマス」。これではさっぱりわからない。きっときのうだったのだろう。(野崎氏訳)

 窪田氏訳「私」に対し野崎氏のムルソーは「ぼく」だが、上の箇所では略される。人称代名詞はなるべく省けとは翻訳論議でもよく言われるし、窪田氏も二つの?je?の一つしか目に見えるかたちでは訳さない。

・・・それからこの一人称をどう訳すかという問題があります。結論からいえば、「わたし」でも「ぼく」でもかまいません。
しかし、「『僕のかんしゃくへのね』私は言った。」というふうに両方が混在するのは、気持ちはわかるものの、やはり違和感があります。まあ、一人称がひとつしかない英語と、ほぼ無数にある日本語との違い、というか、おもしろさでもあります。(金原端人氏、第1回BABELヤングアダルト翻訳プロフェッショナル・コンテスト 講評

突然別のところから引用を挿みたがるのは悪い癖で、ついでに「ボク少女」(Wikipedia)も覚えておこう。

ママンと母さん。「ママン」について野崎氏は、

元々は子供が母親に対していういい方ですから、ムルソーと母親との、幼いころから変わらない性格を暗示しています。「母ちゃん」とか、あるいは亡き母の思い出を綴った最近の大ベストセラー本にならって、「オカン」と訳することだってできるかも知れません。

Yahoo!知恵袋のフランス版「妻の母をどう呼びます?」Comment appel t’on la mère de l'epouse?  なるほどbelle-mère以外に、belle mamanやjolie mamanもあるのだ。

Le Monde記事「母の名において」Au nom des mères(30.05.06)によれば、フランス人の母の呼び方に変化がおきている。ひと昔、ふた昔前、子供たちは小学校に入ると友だちの前では?maman?を口にしなくなった。?maman?は内密の言葉だった。
今は違う。テレビやラジオ番組では司会が赤の他人の母親を指して平気で「あなたのママン」?Votre maman?と言う。
? Je vous présente ma mère... ? est définitivement à ranger dans les formules coincées. ? Voici maman... ? est résolument moderne.
(「私の母を紹介します」は、はっきり窮屈で、堅苦しい表現とされるようになった。「ママンです」のほうが断然モダンである。)

ヴァレリー・ラルボーは翻訳家を精密な秤(はかり)に喩えた。
さてmamanと一番釣り合う日本語は?「母さん」と「母ちゃん」「オカン」には、やや開きがあるように思うが。

追記 『異邦人』には中村光夫訳もあるそうです。こちらは未見。→中川龍夫氏『《中川流、名作の読み方》  カミュの「異邦人」は村八分小説である』」


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2 コメント

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どうも。 (菊水)
2006-10-02 20:27:52
どうも。
比較がたいへん面白かったのです。
野崎歓さんの『よそもの』全訳もはやく読んでみたいです。
あの決定的かつ衝撃的な三行の訳し方で、野崎さんの訳に大いに期待を抱きました。
「そのとき、すべてがぐらりとした。」
「海は濃密な熱い息を吹きつけてきた。」
「空が端から端まで裂けて、火を降らすかと思えた。」
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La mer a charrié un souffle épais et ardent. (松本)
2006-10-03 09:37:40
La mer a charrié un souffle épais et ardent.
海は重苦しく、激しい息吹(いぶき)を運んで来た。(窪田訳)
海は濃密な熱い息を吹きつけてきた。(野崎訳)

ここはむずかしい、翻訳臭を消しにくいところですね。
その上で「濃密な熱い息」のほうが、イメージの明快さでは勝る。
翻訳文学おなじみの「息吹」でなく「息」なのも野崎訳の方針に従ってのこと。
かと思えば、終わり近く「未来の底から得体の知れない息吹が」ではsouffleに「息吹」を当てる。
「濃くて熱い息」よりは、「濃密」を用いる。選択は、その場その場で素早く周到に行なわれるのでしょう。
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