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フランスの歴史と文学

?Andrélie? ロジェ・グルニエと母の肖像

2006-11-01 11:01:26 | インポート

サイトのお知らせ 10/20 三野博司先生のロジェ・グルニエ会見記 転載許可をいただく
こちらにも書くはずが度々ネットに接続できなくなり(何のせいか不明)、遅れました。

Andrelieロジェ・グルニエ再訪」では、近作?Andrélie?が話題に。グルニエはバルト『明るい部屋』と比べられるのには否定的反応。
Mercure de Franceの叢書?Traits et portraits?は写真や絵と文章が一体の、著者の自画像的作品を揃える。他にル・クレジオの?L’Africain?(邦訳『アフリカのひと―父の肖像』集英社)など。http://www.mercuredefrance.fr/collections.htm
?Elle est née Philomène, Andrélie, Louise Carmel.? グルニエの母は日頃はAndrélieを略しAndréeと呼ばれた。
珍しい名らしくPrénoms.comその他で、データにない。

Prénoms.comでは

La Mode des Prénoms
Vos parents ont-ils fait preuve d'originalité ?
Combien de Français portent votre prénom ?
名前の流行
ご両親は独創性を発揮されましたか?
あなたの名を持つフランス人は何人いるでしょう? 

仏語original は良い意味とは限らない。「奇人」だったり。
グルニエの母の口癖の一つは?C’est original.? これは褒め言葉だった。
一風変わった、詩人・芸術家タイプの人間に惹かれる。彼女の眼鏡店は常連の集まるサロンと化し、中には詐欺師めいた人物もいた。
自伝的な『シネロマン』(塩瀬 宏訳 白水社)の少年フランソワの母ローラン夫人は、三流映画館「マジック・パレス」を買うことに「芸術的なお仕事よ」と賛成するが、ローラン一家は大きな失望を味わう。

母は19世紀終わり、ラングドックの村Saint-Nazaire-de-Ladarez に生まれる。 
父が女優と出奔、母親は五歳の彼女を厳格な寄宿学校の修道女に託す。病気がちな少女を引き取ったパリのおばは、マレ地区rue Pastourelleの眼鏡店で働く。おばについて行くうち仕事を覚え、若くして独立開業、パリ、カンCaen、ポー、タルブで店を開く。転地は健康上の理由によった。
実際的で勇敢でエネルギーに溢れた女性は、同時に頭痛持ちで、おそらく若い頃に結核を病み、オーベルニュのLa Bourboule(水治療法とサナトリウム)で療養中、軍医と恋をする。第一次大戦のさなか、夫は前線にいた。

写真から睨み返されるような黒い瞳、花嫁にしては奇妙に固い、真剣すぎる表情。短篇?La jeune fille?(?La marche turque?に収録)を読み返すと若き日の母がモデルなのに気づくが、こうして小説の娘に顔が与えられると、どきりとする。エルヴェ・ギベールやシムノンの母の写真でも体験した感慨(これが、あの人の顔だ)とは別物の衝撃は、黒い瞳のせいか。


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