毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「1945年4月1日、日本で起きたこと」No.2225

2018-04-01 23:21:39 | 日本事情

4月1日はエイプリル・フールの日と言っても、

今じゃ日本政府挙げて毎日国民に嘘ばかりついているので、

たまに嘘を楽しみたいなどという気持ちは全くなくなり、

心は(嘘つくな!)と怒りで煮えくり返っています。

 

しかし、4月1日は別のことで特別な日です。

この日は沖縄本島に米軍が上陸した日で、これ以後約3ヶ月間、

沖縄の民はこれ以上はないという地獄状況に晒され続けました。

沖縄戦はデジタル大辞泉によれば、

『第二次大戦末期、沖縄本島及びその周辺で行われた日米の激戦。

昭和20(1945)年4月の米軍上陸から約3ヶ月にわたる軍民混在の激しい地上戦の中、

集団自決強制、日本軍による住民虐殺なども起こり、県民約10万人が犠牲となった。』

とありますが、犠牲者数は10数万人と記載する事典もあります。

両親が沖縄出身だという友人がかつて私に、

「あの戦争で戸籍がメチャクチャになっちゃって、

親戚も何もごっちゃに一つの家族になっていたり、

死んだ人が生きて戸籍に書かれていたりして、

当時沖縄がどれほど混乱していたか、戸籍を見ただけで分かるわ。」

と語ったことがあります。

日本軍は本土上陸を遅らせるために、沖縄住民を巻き込んで持久戦に持ち込み、

それ故に被害も甚大なものになってしまいました。

はじめから、住民を守る気なんかさらさらない軍事計画だったのです。

 

下は、米軍占領下の沖縄生まれの写真家、石川真生さんの写真です。

石川真生さんは琉球の歴史を写真絵巻にして発表し続けています。

写真の出演者は琉球(沖縄)の民の子孫を中心に、

石川さんの作品の趣旨に賛同する人たちだそうです。

つまり、この写真は演技です。

「歴史を演技し、写真絵巻物にまとめる」という方法は

写真を見る人にとっても、

写真に出演する人にとっても、

いろいろ考えるものがあると思います。

その「大琉球写真絵巻」ですが、

もっと掲載できる写真が探せたらご紹介します。

取り合えず、

沖縄戦関係の2枚をネットからお借りしました。

↑日本軍は住民を守るどころか、

ガマに隠れている住民を追い出して自分たちの隠れ場所にしたり、

赤ん坊が泣いたら「敵に見つかるから殺せ」と言ったり、

住民の班長などに間接的に自殺用手榴弾を渡したり、

挙句に、米軍のスパイだと言って村民を虐殺するなど、

「軍隊は国民を守らない」手本を示しました。

その結果、死者数は軍人・兵士より住民のほうが多かったのです。

沖縄では住民の4人に1人が殺されました(集団自決強制も含め)。

 

 ↑6月、米軍から逃げ延びる途中で家族全員が殺され、

たった一人生き残った子ども。戦争孤児は約1000人いました。

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2 コメント

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沖縄は・・・ (ブルーはーと)
2018-04-03 01:55:10
こきおばさん様
自分の家族に置き換えて考えると、分かり易いですね。こんな仕打ちを、日本政府は沖縄にずっとし続けていることが勉強すればするほど分かってきて、胸が苦しいです。この日本政府による沖縄差別は、本土の多くの人たちの無関心によって支えられています。それをどうしたら突き崩すことができるか、考え、行動し続けるしかありませんね。
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4人に1人 (こきおばさん)
2018-04-02 06:31:48
4人に一人と言うことは、8人家族の我が家では2人殺されるということ! そんな・そんな・そんなぁ!!
73年前、実際に起こったことを、知り・学び・心に刻んで平和につなげていきましょう。
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