Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

5月のポトラッチ・カウント(4)

2024年05月21日 06時30分00秒 | Weblog
 「安政年間(1854~60)に実在した江戸城御金蔵破りの事件を脚色。野州無宿の富蔵が旧知の旗本浪人・藤岡藤十郎と結んで、首尾よく城内から四千両を盗み出すが、やがて捕らえられて死罪になるストーリー。度胸のある富蔵と小心者の藤十郎の対照的な性格が巧みに描かれ、二人が出会う場面をはじめ、雪のなかを籠で送られる富蔵が妻子と名残を惜しむなど場面など、それぞれ見どころがある。とくに富蔵が伝馬町大牢(てんまちょうおおろう)の二番役となり、遺恨ある悪党・生馬(いきうま)の眼八(がんぱち)に仕返しする場面は、もと代言人であった興行師・田村成義の資料によって、幕末の大牢の風俗がリアルに描かれていて評判を呼んだ。」 

 五月大歌舞伎・夜の部のラストは、「四千両小判梅葉」四谷見附より牢内言渡しまでである。
 いわゆる「白浪物」(盗賊を主人公にした物語)で、かつ、富蔵と藤岡藤十郎という二人が主人公の「バディもの」である。
 富蔵は、野州で窃盗を犯して逮捕され、腕に前科の印の刺青を入れられ、戸籍も消された「入墨者」である(だから苗字がないのかも)。
 藤十郎は、富蔵の父の主人の息子で、旗本浪人という設定である。
 つまり、二人とも「イエ」秩序の埒外にある人物であり、また、本来は主従関係にあるはずだが、御金蔵破り実行の際には「共犯」となり、横の連帯が生じるというのは面白い(むしろ富蔵の方が首謀者である)。
 犯罪においては、身分も「イエ」も関係なくなるのである。
 「四谷見附」で邂逅した二人は見事御金蔵破りに成功するが、その後二人とも捕まってしまい(但し、この経緯については今回は上演されない)、幕が開くとそこには牢獄が出現する。
 この光景はリアルだが、それもそのはず、五世菊五郎と親交のあった興行師:田村成義は、実は元代言人(弁護士)であり、刑事弁護を手掛けていたのである。
 さて、牢内は、「イエ」とは異なる厳格な身分制的秩序が支配する「部分社会」である。
 どうやら基本的に年功序列制が敷かれているようで、隠居、数見役、頭、三番役、四番役などという役職名が付いており、結局は枝分節集団となっている。
 日本人が普通に集団をつくると、なぜか決まって枝分節集団になってしまうのである。
 新入りの囚人は、「蔓」(つる)と呼ばれる金品を取り上げられ、これが役付きの囚人たちに分配される。
 また、新入りの囚人は、「すってん踊り」を踊らされることがあるが、これは典型的なイニシエーションである。
 こうしたパワハラは、「イエ」型のカイシャでもよく見られる光景だろう。
 そんな中で、御金蔵破り成功が評価されたのか、富蔵は二番役に抜擢されている。
 仕置きを控えた富蔵に、牢名主は唐桟の着物と博多帯を与え、「後の世まで名を遺すような立派な死を遂げるように」と激励する。
 牢屋敷内の閻魔堂に引き出された富蔵と藤十郎は、御金蔵破りという「公儀を恐れぬ仕方」につき、市中引き廻しの上磔に処せられる旨宣告を受ける。
 この「公儀を恐れぬ・・・」とあるくだりは興味深い。
 「公儀」というのは「徳川家」のことだが、「徳川家」の金を盗むことは「イエ」秩序への反逆であるがゆえに、死罪に値するというわけであり、こんなところにも、「私」による「公」の僭奪(「私」による「公」の僭奪(1))が浮き彫りとなっている。
 「四千両小判梅葉」のポトラッチ・ポイントは、「公儀」への反逆の代償として二人の命が奪われたことから、10.0:★★★★★★★★★★。

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