「アマテラス=太陽霊の人格化」という今谷・筑紫先生の説について補足すると、ジェームズ・フレイザーによれば、「自然神としての太陽」(太陽霊)に対する崇拝は、アフリカ、オーストラリア、メラネシア、ポリネシア、ミクロネシアにおいて終始一貫して存続しているらしい(The Worship of Nature)。
対して、モース先生は、カナダやアラスカに居住するハイダ族の「財産女」(Property Women)に関する記述の中で、これがアジア由来であることを示唆した上でこう指摘する。
「これらの貴重品すべては呪術的性格を持つ寡婦産(亡父から継承する財産)である。それらを与えた者と受け取った物とが同一視され、またそれらの護符をクランに与えた精霊の先祖である英雄とも同一視されている。いずれにせよ、あらゆる部族において貴重品はすべて霊的な起源に由来し、霊的な性格を備えている。・・・
この貴重な物や富のしるしはいずれもトロブリアンド諸島におけると同じように独自の個性、名称、性質、力を備えている。大きいアワビの貝殻、これで覆った楯、これで飾った帯や毛布に、人の顔、目、動物の顔、人物などを織り込み、刺繍した紋章入りの毛布などすべてが生命のある存在である。」(p111~112)
(注225)「アワビの貝殻は、現在銅貨が用いられているように、かつては貨幣の価値を持っていたに違いないと思われる。・・・
マセットのハイダ族の神話においては、「創造主であるカラス」が妻に与える太陽はアワビの貝殻である。」(p174~175)
モース先生の本は、注を含め隅々まで原文で読むべきなのだが、上に引用したくだりはまさにそのことを教えてくれる。
「太陽霊の人格化」の前段階あるいはそのヴァリエーションとして、太陽霊が生き物として姿を現すことがあるようだ。
ハイダ族においては、太陽霊は、アワビの貝殻に「乗り移る」「宿る」と考えられていたようである。
このように、ハイダ族では、アワビの「貝殻」が太陽霊のいわば化身とされたのだが、これに対し、北太平洋の対岸=伊勢では、アワビの「肉」が、太陽神(人格化された/トーテムとしての太陽)の食べ物(好物)とされた。
「倭姫命(やまとひめのみこと)は大和の国から天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祀りする最適地を求めて旅をし、伊勢の五十鈴川のほとりに御鎮座を終えられました。船で志摩地方を巡幸された国崎の鎧崎(よろいざき)で、海女が潜っているのをご覧になられました。
そのとき、「その貝は何というのか」とお聞きになり、海女のお弁が「これはアワビと申します。大層おいしい貝です」と申し上げると、倭姫命はアワビをお召し上がりになりました。倭姫命はいたく感動し、「この貝を毎年、伊勢神宮に献納してほしい」と言われました。 お弁は「生のままでは腐るので薄く切り乾燥させて貯蔵します」と申し上げると、それも献納するように言われました。これが「ノシアワビ」の起源で、国崎の海女と漁師は、今でも 6 月、10月、12月の 3 回、ノシアワビを伊勢神宮に献納しています。」
ハイダ族神話と日本神話をミックスしておおざっぱにまとめると、「アワビは太陽が恵み与える贈り物であると同時に太陽の大好物でもある」というお話になる。
まあ、これで神宮が伊勢にある理由が分かるというものだ。
さて、多くの人は、「太陽霊がアワビに乗り移る、あるいは、太陽神がアワビを食べるくらいなら、特に問題ないではないか?」と考えるだろう。
ところが、太陽霊の人格化(というか生き物化)は、アワビだけにはとどまらないのである。