「東京・三宅坂の劇場の再整備の間、首都圏各地の劇場で公演を重ねている国立劇場。2025年5月には、東京・北千住のシアター1010での3度目となる文楽公演を実施する。第一部『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』、第二部『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』と時代ものの傑作が並ぶとともに、第三部の「文楽名作入門」では『平家女護島(へいけにょごのしま)』を解説付きで上演、これから文楽に親しみたいという人も存分に楽しめる構成となっている。」
「第一部『芦屋道満大内鑑』は、あの陰陽師・安倍晴明にまつわる物語だ。晴明が和泉国(現在の大阪府)信田の森の白狐と安倍保名の間に生まれた子であるという伝説をもとに、狐と人間という種を超えた親子の情愛を描き出す。初演は享保19年(1734)10月に大坂竹本座、初代竹田出雲による全五段の時代物である。 今回は、実在の天文博士・加茂保憲の秘伝書をめぐり、安倍保名が芦屋道満との継承争いに巻き込まれる「加茂館の段」からの上演。続く「保名物狂の段」は、騒動で心乱れた保名が狐の化身と出会う場面で、歌舞伎舞踊で名高い清元の名曲『保名』のもとになった。また、葛の葉(狐の化身)と童子(のちの晴明)との母子の情愛が際立つ「葛の葉子別れの段」は、葛の葉が正体を顕す際の人形の早替りや狐手の仕草、狐らしさを表現する太夫の特徴的な語り(狐詞)や三味線の表現力豊かな演奏など、見どころ聴きどころが満載。さらに「信田森二人奴の段」には、文楽独特の三人で人形を操る「三人遣い」の発祥ともいわれる場面に注目を。感動の物語と、文楽だからこその深みある表現を体感したい。」
2月の文京シビックホールでの公演がガラガラ状態だったので、今回もやや危惧していたのだが、平日でもまずまずの客入りでやや安心した。
今回工夫があったと思うのは、第3部を「名作入門」にして、19時から20時11分までの短い時間に抑えたところである。
これだと、忙しいサラリーマンでも業後に観に行けるのだ。
さて、第一部『芦屋道満大内鑑』は、私のお気に入りの演目で、非常な期待を抱いて観に行ったのだが、結論からすると、やや物足りなかった。
というのも、昨年の正月に観た新春歌舞伎(周辺からの逆襲(6))と比べると、最大の見どころ2つが、まるまる欠けていたからである。
「実は狐である葛の葉。早替わりも流れの中にあって、実に優美で驚かされました。
人間としては生きられない無念さ、別れの時が来た我が子への情愛を、梅枝が全身で表現しました。葛の葉がうつむくと、結晶のような水滴が落ちる様が見られました。それは情深い狐の涙のようでもあり神秘の瞬間でした。
葛の葉には、客席を前に、別れの和歌を障子に残すと言う大きな見せ場「曲書き」があります。梅枝の思い切りの良い優美な筆運びには、覚悟を決めた者の気丈さがありました。それは、残す者を案じる優しさが滲む書。 狐の仕草も愛らしく、不思議な伝説の世界へ誘われるようでした。」
歌舞伎では、引用したように、「早替わり」(葛の葉とキツネを梅枝(現・時蔵)が分刻みで演じ分ける)と、何よりもあの「曲書き」(赤ちゃんを抱えながら、口で加えた筆で和歌を書く)のシーンがあるのだが、この2つが、文楽では出て来ないのだ。
丸本物にはありがちなことだが、歌舞伎の方が演出効果が高いという例の一つと言えるだろう。