先日、たまたま新国立劇場の研修所での講義の映像を観る機会があった。
研修生は、一般人であれば高校生の年齢なのだが、その姿を見ていると、ふと、私自身の高校時代について、いろいろと考えさせられることが出てきた。
中でも、痛感したのは、自分のやりたいことを明確に理解していれば、「やりたくないこと」も明確に分かるということだった。
分かりやすく言うと、演劇に没頭したい若者にとって、微積分の問題に一日の大半を費やすことは無意味だということである。
私の高校時代のことだが、「センター試験対策」と題する数学の授業の中で、教師が次のように発言した。
念のため説明すると、当時、センター試験の数学は、確か1から5までの選択肢があったところ、どの選択肢を選ぶべきかという点についての説明である。
① 「ルート」の中に入るのは、2か3か5。1や4というのはまずあり得ない。あえて言えば3が多い。
② 分からないときは、「ゲリラ作戦」が有効。1から5まで代入して試してみろ。
ある意味では合理的な説明なのだが、今にして思えば、この種の下らない授業に青春時代の貴重な時間を費やしてしまったことは、悲劇以外の何物でもない。
ましてや、演劇に打ち込みたいという高校生にこうした授業を強制することは、刑罰に等しいような気がする。
ところが、この種の授業が今でも確実に行われているであろうことは、「クイズ感覚、ゲーム感覚」で社会に出てくる人間が後を絶たないことから明らかである(私見では、内容の下らなさ・つまらなさを糊塗するため、あえてクイズやゲームのような形式で教える教師も多いのではないかと思う。)。
だから、私などは、若い人たちには、「やりたくないこと」を明確に意思表示してもらいたいと思うのである。
研修生は、一般人であれば高校生の年齢なのだが、その姿を見ていると、ふと、私自身の高校時代について、いろいろと考えさせられることが出てきた。
中でも、痛感したのは、自分のやりたいことを明確に理解していれば、「やりたくないこと」も明確に分かるということだった。
分かりやすく言うと、演劇に没頭したい若者にとって、微積分の問題に一日の大半を費やすことは無意味だということである。
私の高校時代のことだが、「センター試験対策」と題する数学の授業の中で、教師が次のように発言した。
念のため説明すると、当時、センター試験の数学は、確か1から5までの選択肢があったところ、どの選択肢を選ぶべきかという点についての説明である。
① 「ルート」の中に入るのは、2か3か5。1や4というのはまずあり得ない。あえて言えば3が多い。
② 分からないときは、「ゲリラ作戦」が有効。1から5まで代入して試してみろ。
ある意味では合理的な説明なのだが、今にして思えば、この種の下らない授業に青春時代の貴重な時間を費やしてしまったことは、悲劇以外の何物でもない。
ましてや、演劇に打ち込みたいという高校生にこうした授業を強制することは、刑罰に等しいような気がする。
ところが、この種の授業が今でも確実に行われているであろうことは、「クイズ感覚、ゲーム感覚」で社会に出てくる人間が後を絶たないことから明らかである(私見では、内容の下らなさ・つまらなさを糊塗するため、あえてクイズやゲームのような形式で教える教師も多いのではないかと思う。)。
だから、私などは、若い人たちには、「やりたくないこと」を明確に意思表示してもらいたいと思うのである。