ハイジィさまよい記

徘徊老人が後期高齢者になりハイジィ(徘徊爺(じじい)を省略して徘爺)にパワーアップ(?)

浄土

2015年08月23日 19時38分43秒 | 旅行
8月23日(日)の宿坊の朝は、まず温泉から始めた。恐山は、火山ガスや温泉がいたるところに噴出しており、この宿坊は大温泉なのである。なお、参拝者も温泉に入って、身体を清めてからお参りできるようになっている。6時半から地蔵堂でお勤めをして、それから本堂で祖先の霊にお参りをした。私はいつものように早く行ったが、長く座っていたくなかったので、立って見物などしていたら、お寺の人が気を利かせて椅子を用意してくれた。楽ちんだが、座ることができない老人みたいである。朝食後、直ぐに去るのももったいない気がして、もう一度、地獄や極楽を参拝した。
午前9時半に出発して、大間崎に向かう。むつ市の大湊に出てからは、ほぼ海岸に沿って時計回りにまわる。途中に仏ヶ浦(ほとけがうら)がある。かなり山の中を走っていると、仏ヶ浦駐車場の矢印があるので、海岸に降りるのかと思ったら直ぐに駐車場があった。そこから15分ほど急な階段を降ったところが仏ヶ浦である。有名な観光地と思ったが、売店はなくトイレがあるだけである。階段を降りる人は少ないが、観光客はかなりいた。しかし、2隻の船が出ると、ほとんどの観光客がいなくなってしまった。緑色凝灰岩の白っぽい巨岩・奇岩が連なり圧巻である。岩には、浄土のイメージを重ねて、仏に関係する名称がつけられているようであるが、現場にはそのような名称は書いてないので、自分でいろいろ勝手に想像ができる。全体に白っぽい大地と岩は、恐山の極楽浜と同じように、浄土を連想させる。
下北半島の道は良く整備されていて、家の両側には割と新しい家が立ち並ぶ。田畑は見えないが、漁業だけでもないようである。下北半島といえば、水上勉の「飢餓海峡」を思い出すが、一つの舞台はむつ市の大湊である。しかし、戦後の貧しい時期は終わり、大した産業のない地域にも、富みは分配されたようである。バブル崩壊の時期までは、浄土を創造したようである。
やがて、大間崎に着く。45年前に大間崎から函館にフェリーで渡ったが、フェリーターミナルに着いた時は、午後の便が出た後で、大間崎に来て無料のキャンプ場で泊まった覚えがある。再び来てみると、「本州最北端」の碑には覚えがあるのだが、すっかり変わってしまったようだ。経済の発展加え、NHKドラマで田畑智子主演の「私の青空」や緒形拳主演の「魚影の群れ」の舞台、それに「まぐろの一本釣り」のドキュメンタリなどで、単なる本州最北端から有名な観光地に変身したようである。ただ、無料のキャンプ場はあり、設備も整っているので、多くの人がキャンプしている。私もキャンプだ。

仏ヶ浦