京大植物園TODAY

京都市左京区の京都大学北部キャンパス内にひっそり佇む現代の杜、京都大学理学研究科附属植物園の日々の風景を紹介します。

歌を忘れたカナリヤは、どうすれば忘れた歌を思い出すか?(五木寛之、1976「戒厳令の夜(下)」より)

2007年11月10日 08時00分57秒 | Weblog
以下は、五木寛之の長編小説、「戒厳令の夜」(1976年、新潮社)の下巻に出てくる、水沼隠志というシャーマンと秋沢冴子といううら若い女性との会話です。カッパが沼の中でこの本を読んだ10年近く前からの疑問なのですが、はたして〈学〉と〈歌〉は、両立できないものなのでしょうか?

[「理屈や知識が語られるのを聞いているような気はいたしません。そうです、なにか美しい〈歌〉を聞いている時のように、血が沸(さわ)ぐのを感じるんですの」

「ほう、〈歌〉、をのう…(中略)…冴子さんとやら、おぬしは、西条八十の、歌をわすれたカナリヤは―という童謡を知っておるかな」

冴子はうなずいて、こういう歌でしょうか、と、小声でその一節を口ずさんだ。

「それそれ。ところで、歌を忘れた小鳥は、どうすれば忘れた歌を思い出すことになっておるかの」

歌をわすれたカナリヤは、うしろの山に捨てましょか、いえ、いえ、それはなりませぬ、と冴子は口の中でつぶやくと、

「象牙の船に銀の櫂をあたえて、月夜の海に浮かべなさい、そうすれば忘れた歌を思い出すだろう、という詞でしたね」

「わしは前に一度、松田から一通の葉書をもろうたことがある。それには一行、こう書いてあった。〈カナリヤが歌を思いだすのは、うしろの山に捨てられた時です〉と、な。あれは〈学〉をたてて〈歌〉をわすれたと気づいた男の苦い自嘲であろうか。それと反対に、わしは〈学〉をわすれて〈歌〉をおぽえた片輪者と言えるのかもしれぬ」

水沼隠志は、顔をそむけると、しかし事を為すのは歌であって学ではない、と独り言のようにつぶやいた。…]

(五木寛之、1976「戒厳令の夜(下)」p.66.より)

岩倉はいま(続)

2007年11月07日 18時14分56秒 | Weblog
岩倉はいま大騒動。10月30日に手入れをした場所から1本を発見(写真:上の左)、11月6日に別の山から2本目(写真:上の右)、3本目(写真:下の左)、4本目(写真:下の右)と相次いで発見。「マツタケ十字軍運動」の面目躍如といった感じ。当方、現認できず。ちょっと寂しい。 ムカイノカッパ