京大植物園TODAY

京都市左京区の京都大学北部キャンパス内にひっそり佇む現代の杜、京都大学理学研究科附属植物園の日々の風景を紹介します。

セイタカアワダチソウ侵入(湿地)。

2007年11月03日 17時45分27秒 | Weblog
湿地部分に、東の縁からじわじわとセイタカアワダチソウ(Solidago altissima; COMPOSITAE キク科)が侵入してきている。湿地の乾燥化が進んでいるせいか、外からの人間の出入りのせいか、あるいは管理の仕方のためか。気をつけないと、数年で植物園の湿地区はセイタカアワダチソウに占拠されてしまうかもしれない。

植物学園と公園のあいだ。(村田源、1992「ケニア・ナイロビ樹木園」プランタ19)

2007年11月03日 01時14分05秒 | Weblog
京大植物園と長い時間関わられてきた村田源先生(植物分類学・元京大植物学教室講師)が、1992年の「植物の自然誌:プランタ」(研成社)誌上で、アフリカ大陸の植物園の代表として、ケニアのナイロビ樹木園(The Nairobi Arboretum)について紹介されています。結びの「植物園についての私見」という文章の中で、日本の植物園の状況について、「公園」化を指摘されています。その現状は今も変わらないと思われ、大変示唆に富む内容ですので、ご紹介します。

(以下、村田源、1992「シリーズ植物園と植物学:アフリカ大陸、ケニア・ナイロビ樹木園」プランタ19:pp.43-52.より部分的に引用抜粋。)

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【ケニア・ナイロビ樹木園】

「日本の植物園はどこもショー的な花壇や植込みに主力が注がれ、ラベルはプラスチック製の美しくて読みやすいスマートなものになっています。ところがそこに書かれていることは、後で図鑑や図書から転記したと思われる学名、和名、分布、原産地などで、その木をいつ、誰が、どこから持ってきて植えたか、あるいは種子から育てたかなど、ラベルの記載事項としてもっとも重要と思われるその個体の来歴にまつわるデータはどこへ行っても見られないのが普通になっています。」(pp.45-46.)

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【植物園についての私見】


「日本に植物園と名のつく施設はかなりの数にのぼっています。そのどこを見ても木が植わっていて、花壇があり、池があり、温室があっていろいろと美しいあるいは珍しい植物が植えられています。」

「これが日本人の植物園のイメージのようですが、英語ではBotanical GardenあるいはBotanic Gardenと訳されています。日本の法律では、博物館法に『自然系博物館のうち、生きた植物を扱う博物館で、その栽培する植物が1500種以上のものをいう』と定められています。」

「こうした事実から判断しても、日本の植物園というのは欧米のそれとは少しイメージがちがうようです。最近フラワーセンターや、植物公園と名のる施設もできてきていますが、日本の植物園はほとんど植物の植わっている公園です。」

「日本の植物園は明治維新以後欧米の施設をまねて導入されたと思われますが、外見だけをまねして名実ともに〔学〕が落ちてしまったといえるのではないでしょうか。Botanical Gardenは日本語にすると植物学園と訳すべきで、欧米では植物学(植物に関する調査研究)をする中心なのです。Botanyというのは植物学で決して植物(Plant)のことではありません。」

「日本が初期に学んだはずの欧米の植物園は、標本館や図書館、研究室をそろえた植物学研究の中心としての役割を果たし、その中の世界各地から生きた植物を集めて植栽したガーデン(あるいは実験園の一部)が温室をも含めて、一般の人々に公開され、いこいの場としても利用できるよう通路なども公園風に整備されているのであって、植物園のごく一部であるというのが本当の姿であると思います。」

「学問的な研究、教育は全部大学だけにまかせて、あとは採算と人気にばかりに気を配っている日本のあり方は、すべてそろそろ考え直すときにきているのではないでしょうか。」
(pp.51-52.)