美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

旅 ハワイ

2024-02-13 12:16:49 | 

初めていった外国はハワイでした。母と2人で40代の初めに行きました。

母と暮らすようになって、母が海外旅行をしたことがないので行きたいといったからです。

私は、その頃は、海外に行くことなど考えていませんでした。人はどこの人も同じだと思っていたのです。わざわざ出かけていくことなどないじゃないかと思っていました。

でも、母がどうしても外国に行きたいというし、飛行機にも乗りたいといったので、旅行代理店に行き、相談しました。

初めての海外ならハワイがいいでしょう、といわれ、日本語が通じるし、たくさんの日本人が行きますから。

私は、英語なら、中学校から大学1年までやったのだから、きっと大丈夫と思い、ハワイに行くことにしました。

どこの人も同じだという思いは、ハワイですっかりなくしてしまいました。人は、住む国にも、住む環境にも、仕事にも、いろいろなことによって、まるで違うのだということ。

人間としての根本的なところは、良心とか、情緒や、権利も普遍的なものはあると思いますが、そのあらわれ方は、国によって全然変わるのだと思いました。

ハワイで会った人たちは、ガイドや観光にかかわる人だけでしたが、多くの人たちは、日本人に対して、好感を持っていないと思いました。

多くの日系のアメリカ人は、どうしてそこにいるのかということを考えるだけでも、日本を好まず、大挙して訪れる日本人を嫌っているように見えました。

私は、英会話などほとんどできないまま、ホテルのフロントに単語だけを並べて四苦八苦したのでした。その時のフロントの日系アメリカ女性の軽蔑の目つきを忘れることができません。

私は帰国して、英会話の教室に通い、英語を勉強しました。単語や文法などは分かっても、どういう風にしゃべるのかを全然理解していませんでした。そして、観光旅行に行くくらいの英会話なら何とかしゃべれるようになったのです。

人は、どこに住んでいるかということは、どうしてなのかを考えなくてはならないのだろうと思います。同じ東アジア系の顔ですが、あまり同じ人種とは思えなかったのでした。

外国に行くことで、知らない人の思いを見ることができるような気がしました。

この絵は、ハワイに着いて、ホテルに行く時間を待った公園でのものです。風景画はほとんど描いたことがないので、バックはなんとも言えない出来ですが。

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チャーリーと暮らす日々

2023-12-12 14:43:10 | 

ローリーが死んで2年、犬のいない生活をしました。家族3人で旅行も行けたし、気楽な生活をしたように思います。犬がいるとやはりほかの命のことを考えなくてはならないからです。

ローリーの温かさを、少しずつ過去のこととして考えられるようになったのは、2年経った頃でした。

夫に犬が欲しい、というと、「もう犬は飼わないんじゃなかったの?」と笑いながら言い、「犬を飼うのなら、早い方がいい。もう僕たちは犬を飼う年齢のぎりぎりだろうから」といいました。

ミニチュアダックスフントは、メリーとローリーだけでいいし、他の犬種を飼うことにしました。そしてやってきたのがヨークシャーテリアのチャーリーです。

チャーリーは、小さいころから活発で、怖れを知らず、私たちのほうが怖れてしまうほどの子でした (危ないことをするので)。やんちゃで、あまり素直ではなかったですが、でも本当にかわいらしくわが家の一員になりました。

チャーリーはいつも夫に遊んでもらい、ボール投げをしたり、一緒に走ったりしていました。その夫が倒れ、私も病気になり、急に家の中の2人がいなくなったのです。きっとチャーリーは、そのことを今も、心にとどめていると思います。

今も私には距離を取っていたりすることもありますし、でも、だんだん病院から家に帰ったときよりは、近づいているようです。何か安心できない人だと思われているのでしょう。いついなくなるかわからない、と思われているような気がします。

犬と人間は、お互いの命を感じあって生きています。その存在は、とても大切なものだと思って生きています。

この頃、チャーリーはとても年を取って弱ってきました。目もあまり見えません。それでも、おもちゃを持ってきて投げてといいます。投げるとどこにあるかが分からず、取りに行けません。それでも毎日おもちゃ投げをしたいのです。(私がおもちゃのところまで歩いて教えます)

耳も聞こえなくなりました。とても大きな声を出すと、聞こえますが、自分が呼ばれたこともあまり分かりません。

ベッドの上に上がるのも降りるのも、まだ何とかできますが、とても難しそうです。もう14才になり、3か月過ぎました。

これから、どういう風にチャーリーと暮らそうか、考えています。できるだけ、チャーリーの楽なようにと思っています。

メリーとローリーとピーターの最後はとてもつらいことでした。チャーリーともそういう別れがいつかやってくるでしょう。それでも、最後まで一緒に生きて、よく頑張ったねと言いながら送ってやりたいと思っています。

この絵は、2010年4月、大崎下島に行った時の写真を見て描きました。チャーリーはまだ1才になっていないころ、私は60才のころです。

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ローリーとピーター

2023-12-06 13:33:02 | 

ピーターは、ローリーと一緒に生まれたお兄ちゃんです。妹のところで育ちました。

メリーが元気な時は、去勢してなかったピーターが追いかけるので、あまり連れてこられませんでした。

ローリーがメリーの死後、元気をなくしたので、妹がピーターを連れてくるようになりました。

2匹はとても仲良しで、元気のなかったローリーも少しずつピーターのおかげで、元気になりました。

年を取ってからは寒がるので、おそろいの洋服を着ていました。この時は、色違いで、オレンジがローリー、ピーターはブルーグレイの洋服を着ています。

2006年の4月に津和野や山口に行った時の写真を見て描きました。ローリーとピーターは14才。顔の白いのは白髪です。私は、56才。乳がんの手術後、少し髪が伸びてきたころです。

ピーターは、生まれてすぐのころは、とても穏やかで、のんびりしていたのですが、妹のところに行って、幼稚園児2人とその友達にもみくちゃにされ、かなりのタフマンになりました。環境で変わるとは、よく言ったものです。

2匹は、わが家に来ると、顔を突き合わせて、挨拶をし、そのあとは一緒に何か探しては遊んでいました。疲れると、2匹で、コロンと横になり、お互いくっついてお昼寝をしていたものです。今もその姿を思い出すと、かわいかったなあと、ちょっと涙腺が緩みます。 

ローリーは16才になって1か月ほどで、ピーターは4か月ほどでかわいらしかった命を終えました。ローリーは、老衰のような感じで、ピーターは癌になって死にました。

命を終えるのは、犬もまたとても壮絶で、周りのものは何をしてあげたらよいか、わからないまま見ているだけという感じでいました。誰の命もずっと私の心に強い印象を残しています。

メリーとローリー、ピーター、みんなとても可愛い印象的な犬でしたから、もう次は飼えないねと、思っていたのですが、チャーリーがやってくるのです。犬は、私の人生の中で切っても切れない存在なのだと痛感しています。

犬のことを書くと、自分の生きてきた姿が少し見えるかと絵を描きました。あと1匹、チャーリーのことを書きますね。

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ローリーのいた日々

2023-12-04 14:16:49 | 

犬のいる日々は、自分の周りに、少し暖かい空気が流れているような気がします。犬は人に気持ちをつたえ、人も犬に気持ちを伝えて、お互いに分かり合えるように思います。

私が一番愛した犬は、ミニチュア・ダックスフントのローリーです。ローリーはメリーの生んだ犬の1匹でした。メリーのように賢さがピンピン伝わる犬ではありませんでしたが、その代わり温かな空気がふんわりと周りに流れているような犬でした。

なんでもメリーの真似をして、それで納得しているようでした。自分が自分がという感じは全然ありませんでした。自分の興味のあるところでは、やりたいことをやるという感じでしたが、周りを気にして何かをするという感じはありませんでした。

家族が大好きで、メリーも大好きでした。メリーが一度動物病院へ入院たことがありましたが、その時は帰ってきたメリーを見て、家じゅうを走り回って喜びを表現しました。

私が近所の赤ちゃんを抱っこしていると、私の周りを走り回って、ワンワンと吠えました。僕のお母さんが、誰か抱っこしているのを許せないという感じで。

ローリーは私にとっては、自分で取り上げた犬でしたし、ずっと一緒に生きてきたという感じがするのです。

ローリーは16才まで生きて、自分の命を生き切ったという感じで亡くなりました。最後のころは、体が弱く、しょっちゅう病院へ通いましたが、私は、できるだけローリーの楽なようにといろいろ工夫して過ごしました。

いろいろなことを感じるローリーとの生活でしたが、人と犬が一緒に生きるということが分かったと思います。

この絵は、1992年、私は43才、ローリーは1才になる年の写真を見て描きました。春にドライブして、ローリーと一緒に遊んだ時の様子です。一緒にいろいろなところに遊びに行ったなあと思い出します。実際のローリーは絵よりもずっとかわいいです。

このころは、とても元気で、走り回っていたローリーです。出かけても、メリーはおばあちゃんに抱っこされていたことが多く、ローリーは、夫や私と走り回っていました。若いころの犬は、走り回るのが特技のように走ります。そんなころの愛しいローリーの姿です。

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メリーのいた日々

2023-11-25 14:05:49 | 

メリーとは、私が母と暮らすようになっった時に、一緒に暮らすようになりました。2才のミニチュアダックスフントでした。女の子で、とても賢い犬でした。

夫と私には、すぐに慣れましたが、芯から好きという感じではありませんでした。

私は、間違った情報を信じて、女の子は、出産すると癌にならないと思い、メリーはおかげで2回子供を産みました。

そして、2回目に産んだ子犬を1匹一緒に育てることにしました。それがローリーです。ローリーがいるようになって、メリーはちょっと変わりました。

ローリーへ対抗心を持ち、いつも争っています。一度は、ローリーの耳にかみついて、ちょっと出血したりしました。びっくりした私たちは、メリーの心を想像して、元からいたメリーを大切に考えていることを伝えるようにしました。

それからメリーは少しずつ変わって、私たちにも心から懐いてくれました。今も、メリーと呼ぶと、じっと見てから、とんとんと歩いてくる姿が目に浮かぶようです。

メリーは14才まで生きました。最後のころは、私にとても親愛の情を見せて、抱いて抱いてというようにもなりました。

赤ちゃんの時から育てたら、メリーはもっとのんびりと生きられたように思います。途中で飼い主が変わるような経験は、やはり辛いだろうなと思うのです。

この絵は、2003年8月に撮った写真を見て描きました。メリーは14才。この年の12月に亡くなりました。私は、53才。私もメリーもあまり似ていません。メリーはもっとかわいかったです。絵はなかなか思うように描けなくて、情けないと思います。

メリーはこのころは、もうよろよろと歩き、目も耳も不自由でしたが、若いころから、ずっと女の子らしく可愛らしい様子は変わりませんでした。メリーが歩く姿を見て、みんなモンローウオークだねと、笑ったものでした。

私は小さいころから、犬や猫のいる家で育ちましたから、一緒に生きるということを知っています。特にメリーとは、お産も一緒に経験し、初めて老いとも戦った同士のような気がしています。

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