満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

第18章洞窟章第46節

2005-03-17 | 聖クルアーン
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

第18章は聖クル’アーンのちょうど真ん中にあります。第19節のワ=ルヤタラッタフ(慎重に振る舞わせて、話させて)が真ん中に当たります。

第18章は迫害者から逃れ洞窟でアッラーの恩恵により309年もの長きに渡り眠り続けた人々の話が章題になりました。

その第46節です。

الْمَالُ وَالْبَنُونَ زِينَةُالْحَيَوةِالدُّنيَا وَالْبَاقِيَاتُ

الصَّالِحَاتُ خَيْرٌ عِندَ رَبِّكَ ثَوَابًا وَِ خَيْرٌ أَمَلاً

ー『富と子女はこの世の生活の装飾である。だが永遠に残る善行こそは、主の御許では報奨において最も優れ、また希望(の基礎)としても最も優れたものである。』

同様な内容の節はほかにも見られます。

ー『様々な欲望の追求は、人間の目には美しく見える。婦女、息子、莫大な金銀財宝、(血統の正しい)焼印を押した馬、家畜や田畑。これらは、現世の生活の楽しみである。だがアッラーの御側こそは、最高の安息所である。 』(3:14)

ー『あなたがたの富や子女は、一つの試みに過ぎない。アッラー、かれの御許に(だけ)偉大な報奨はある。 』(64:15)

「永遠に残る善行」とは何か。

イブン・アッバース、サイード・ビン・ジュバイルや他のサラーフの解釈では
「善行とは5回の義務の礼拝である。」
(アッタバリー)

アター・ビン・アビーラバーとサイード・ビン・ジュバイリがイブン・アッバースの語ったことを聞いたところでは
「『スブハーナッラー』『アル=ハムドリッラー』『ラー イラーハ イッラッラー』『アッラーフ アクバル』である。」
(アッタバリー)

ウスマーン・ビン・アッファーンが「永遠に残る善行は何かと問われた時に、彼はこう答えた。
「それは『ラー イラーハ イッラッラー』「スブハーナッラー』『アル=ハムドリッラー』『アッラーフ アクバル』『ラー ハウラ ワ ラー クウワタ イッラー ビッラー』である」
(アハマド)

アリー・ビン・アビータルハーがイブン・アッバースの語ったことを聞いたところでは
「これは『ラー イラーハ イッラッラー』『アッラーフ アクバル』『スブハナッラー』『アル=ハムドリッラー』『タバーラカッラー』『ラー ハウラ ワ ラー クウワタ イッラー ビッラー』『アスタグフィルッラー』『サッラッラーフ アラー ラスールッラー』と唱えてアッラーの思い出す集まりや、斎戒、礼拝、巡礼、喜捨(サダカ)、奴隷の解放、ジハード、血縁者と仲良くすること、他の全て善行で、これらの善行は、天と地がある限り、永遠に楽園で残り続けるだろう」
(アッタバリー)

アル=アウィーがイブン・アッバースの語ったことを聞いたところでは
「永遠に残る善行とは良い言葉である」
(アッタバリー)

アブドルラフマーン・ビン・ザイード・アスラムが言うには
「全ての善行である」
(アッタバリー)
イブン・ジャリールもこの見解を採っています。

ムハンマド・タキーウ=ッ=ディーン・アル=ヒラール博士とムハンマド・ムフシン・カーン博士共著のタフスィールでは
「善行」とは
「5回の義務の礼拝、アッラーへの服従行為、善き優しい言葉、讃美と称賛と感謝を込めてアッラーを思いおこすこと。」

アブーフライラ(رضي الله عنه)によるとアッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。

「人が死んだとき彼の行為は(次の)三つの事柄を除いてそこで中断される。それらは繰り返し行われるサダカ(例えば、孤児のための家や飲料用の井戸など)と役に立つ知識と彼(両親)ために祈りを捧げる品行方正な子供である。」(サヒーフムスリムⅡ672p)


アブーフライラ(رضي الله عنه)によるとアッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。

「『ラー イラーハ イラッラー ワハダフ ラー シャリーカ ラフ、ラフ=ル=ムルク ワ ラフ=ル=ハムド ワ フワ アラー クッリ シャイイン カディール』と百回唱える者は、十人の奴隷を解放したと同じ功徳を与えられ、彼のために百の善行が記録される一方、百の悪行が抹消され、その一日、夜になるまでシャイターンの誘惑から護られる。『ラー イラーハ イッラッラー・・・』と百回以上唱える者のほか、誰もこれ以上の功徳を与えられることは決してないだろう」(サヒーフ アル=ブハーリーⅤ436p)

アブーフライラ(رضي الله عنه)によるとアッラーの御使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。
「舌には軽いが、秤は重く、慈悲深いアッラーに愛される二つの句は『アッラーフ アクバル』と『スブハーナッラー』である」
(サヒーフ アル=ブハーリーⅤ437p)

「善行」のアラビア語「الصالحات」が女性形の複数であるのも、物の複数が女性形であるという考え方と女性そのものの複数とも考えられ、子女の善行のことであるとも解釈できるそうです。
(アッラーフ アアラム)

ある男が審判の日にアッラーから「地獄行き」と宣告されるが、彼の娘が、「父は良い人でした」とアッラーに訴えるのに応えて、アッラーは慈悲を賜われ、男は地獄行きが間逃れたという話もあります。(これはウルドゥー語で書かれていました。ウルドゥー語を解せるシスターが訳してくれました。ジャザーハッラーフ ハイラン)

このことから親は娘を大切に育て、娘から「いいムスリム」であると評価されるよう親は奮闘努力すべきだということではないでしょうか。

感情に任せて、子供を怒っていませんか。(「叱る」ことと「怒る」は違います)
気分によって昨日は「ダメ」今日は「いいよ」と朝令暮改のような指示をしていませんか。
子供は「親が子供に言うこと」は聞かず、「親のすること」を見ています。
子供にとって私たち自身が「ウスワトゥン ハサナ(トゥン)(模範)」になるように日々努力して行きましょう。これは私自身への訓戒でもあります。アスタグフィルッラー


私たちの次世代は「私たちの所有物」ではなく「アッラーからのアマーナ(預かりもの)」です。
次世代はイスラームの将来を左右する私たちが共有する大切なものでもあります。

どうかアッラーが私たちを私たちの家族を正しく導いてくださいますように

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


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