『泣けない魚たち』 阿部夏丸/作
マーガレットさんの紹介記事を読んで 探し 読んでみた本です。
本の感想は 完全なる個人の趣味になってしまうとは思いますが
とてもよい本でした。珍しくちょっと涙をにじませながら読みました。
少年の心に思いを馳せて 切なくなるけれど
行き詰った切なさではなく、きっと彼はたくましく立派な大人に成長しただろう
ことが予感でき、さわやかな読後感でした。
愛知県の矢作川周辺に住む子どもたちが、昔懐かしい(というほど昔でもないけれど)
遊びの中でたくましく優しく成長する様を綴った 3編のお話が入っています。
秘密の基地を作ったり、川に入って魚を採ったり、魚やザリガニを河原で焼いて食べたり
必要なものは他所様から失敬してきてあえてきちんと叱られたり・・・。
そんな毎日の生活の中で、友情・探究心・冒険・やさしさ・たくましさ・信頼する心など、
誰も教えてはくれない 人として生きる為に必要なことが、彼らのからだと心を満たして
成長していることを、半ば羨ましい気持ちで見ていました。
私自身の幼少の頃を思い出し、ぼんやり覚えている当時を懐かしんでみたりもしました。
私は3姉妹の末っ子ですが、長女より年長のみっちゃん(当時中学生)がボス的な存在で
年齢もいろいろ男も女も入り混じって遊んでいました。
みっちゃんからつけられたあだ名は「はなた れーこ」 印象強すぎて忘れられません(笑)
隣のちふみちゃんは「おしゃ れーこ」なのにね・・・。
姉たちだってすごいんです。「きん たまよ」に「ほねかわすじえもん」・・・うへっ
(注:どちらも姉ですから・・・)
そのころは、田んぼに持ち主があるなんて、思ってもみませんでした。
れんげに埋もれたり、しろつめくさで花輪を作ったり
ケンケン遊びのかかしの駒にするためのビッタ(と呼んでいましたが小さなタイル
だったようです)を探していて川に落ちたり 防空壕を基地にしたり・・・。
今ではコウルサイ母になった私も
そういえばいろんな悪さをしたし 親にも心配かけていたなぁって思うのです。
今の時代“良い子”に育てたいと思うあまり、子ども自らが学ぶ前に、“正しいこと”を
言い聞かせ・教え込み・強要してしまっているのかもしれません。
作者のあとがきに 興味深いお話がありました。その一部です。
利権がらみで山や川を食いつぶす大人たちはともかく、子どもたちには、もっともっと、
野に出て虫や草花や魚やたくさんの小さな生命に触れてほしい。虫を見たら取っち
ゃえ。花を見たら摘んじゃえ。そんなことで自然も地球もぐらぐらしないはずなの
だ。でもこれは乱暴になれってことじゃないから、まちがえないでほしい。
小学生のころ、矢作川の土手に生えていたユリの花を、友だち四人で残らず摘んで
しまったことがある。花の部分だけ何百も摘んで、布団にして昼寝したのだ。ひど
く叱られた。「もうこのユリは全滅だ」といわれて、ワルガキたちがわんわん泣い
た。でも、あのときのユリの鮮烈な香りは今でも忘れていないし、大人になった今、
もう一度それをしようとも思わない。なにより驚いたのは、その翌年だ。同じ土手
に、もっとたくさんのユリの花が平然と咲き乱れたのだ。
この作品は 作者のデビュー作です。
他の作品も ぜひ読んでみたいと思います。
マーガレットさんの紹介記事を読んで 探し 読んでみた本です。
本の感想は 完全なる個人の趣味になってしまうとは思いますが
とてもよい本でした。珍しくちょっと涙をにじませながら読みました。
少年の心に思いを馳せて 切なくなるけれど
行き詰った切なさではなく、きっと彼はたくましく立派な大人に成長しただろう
ことが予感でき、さわやかな読後感でした。
愛知県の矢作川周辺に住む子どもたちが、昔懐かしい(というほど昔でもないけれど)
遊びの中でたくましく優しく成長する様を綴った 3編のお話が入っています。
秘密の基地を作ったり、川に入って魚を採ったり、魚やザリガニを河原で焼いて食べたり
必要なものは他所様から失敬してきてあえてきちんと叱られたり・・・。
そんな毎日の生活の中で、友情・探究心・冒険・やさしさ・たくましさ・信頼する心など、
誰も教えてはくれない 人として生きる為に必要なことが、彼らのからだと心を満たして
成長していることを、半ば羨ましい気持ちで見ていました。
私自身の幼少の頃を思い出し、ぼんやり覚えている当時を懐かしんでみたりもしました。
私は3姉妹の末っ子ですが、長女より年長のみっちゃん(当時中学生)がボス的な存在で
年齢もいろいろ男も女も入り混じって遊んでいました。
みっちゃんからつけられたあだ名は「はなた れーこ」 印象強すぎて忘れられません(笑)
隣のちふみちゃんは「おしゃ れーこ」なのにね・・・。
姉たちだってすごいんです。「きん たまよ」に「ほねかわすじえもん」・・・うへっ
(注:どちらも姉ですから・・・)
そのころは、田んぼに持ち主があるなんて、思ってもみませんでした。
れんげに埋もれたり、しろつめくさで花輪を作ったり
ケンケン遊びのかかしの駒にするためのビッタ(と呼んでいましたが小さなタイル
だったようです)を探していて川に落ちたり 防空壕を基地にしたり・・・。
今ではコウルサイ母になった私も
そういえばいろんな悪さをしたし 親にも心配かけていたなぁって思うのです。
今の時代“良い子”に育てたいと思うあまり、子ども自らが学ぶ前に、“正しいこと”を
言い聞かせ・教え込み・強要してしまっているのかもしれません。
作者のあとがきに 興味深いお話がありました。その一部です。
利権がらみで山や川を食いつぶす大人たちはともかく、子どもたちには、もっともっと、
野に出て虫や草花や魚やたくさんの小さな生命に触れてほしい。虫を見たら取っち
ゃえ。花を見たら摘んじゃえ。そんなことで自然も地球もぐらぐらしないはずなの
だ。でもこれは乱暴になれってことじゃないから、まちがえないでほしい。
小学生のころ、矢作川の土手に生えていたユリの花を、友だち四人で残らず摘んで
しまったことがある。花の部分だけ何百も摘んで、布団にして昼寝したのだ。ひど
く叱られた。「もうこのユリは全滅だ」といわれて、ワルガキたちがわんわん泣い
た。でも、あのときのユリの鮮烈な香りは今でも忘れていないし、大人になった今、
もう一度それをしようとも思わない。なにより驚いたのは、その翌年だ。同じ土手
に、もっとたくさんのユリの花が平然と咲き乱れたのだ。
この作品は 作者のデビュー作です。
他の作品も ぜひ読んでみたいと思います。
今、この力強い言葉を「ちゃんと言える大人」が何人いることでしょうか?
「大切に愛しみ、守り育てる」ことと「採る・捕る・獲る」がちゃんと両立することを大人が本当に解っていないのではないのか?
大人たちが大きなパワーで自然たちから「盗る」事とはまったく違う「とる」の意味を。。。。
長らくの間、そういう想いが積り続けているバイアリーです。
「環境保護・自然保護」という言葉のもつ「奥深さ」に今一度大人たちは目を向ける必要があると痛切に思うバイアリーでございます。
言葉で、とても響いたあとがきでした。
バイアリーさんのように、自然に囲まれ四季を感じながら
お過ごしの方には、私なんかよりずっとずっと実感がおあ
りでしょうね。
息子さんが潮干狩りで美味しい貝を採っていることは、地球
から綺麗な海を奪っていることと両極にあることだと、
ちょっとバイアリーさん一家の暮らしぶりを思い出したり
していたんですよ。
虫を採る子どもを「子どもはある意味残酷だから」という
こともありますが、そうじゃないよなーってしっかりと思える
ようになりました。
小さな命に触れること・本当の自然と関わること、まだまだ
遅くはないって思いたいです。
どうもありがとうございました。