脳のミステリー

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72.ウーマンリブって?

2006-08-28 06:08:18 | Weblog
 今週で8月も終わり。私の『八月に想う』も今週いっぱい。音楽セラピーでいつも歌っている井上陽水の少年時代にもさよならかと思うとちょっと寂しい。
 「時の過ぎ行くままに・・・」とは音楽の世界で歌詞によく使われる表現だが、私はちょっと首を傾げる。流れ進むのは私達自身であって、時ではない。だが、今の時代、時は激流の如く流れ去っていくのは確かな事である。そんな急流の中にいて、大切な事は自分のしたい事を自分がよく知っている事で、正に、他人を知る者は賢いが自分自身を知る者は更に賢いと言いたい。
 戦後かなり経ってから、巷に流行ったカタカナ言葉にウーマンリブというのがある。今では、当たり前のようになったこの言葉を強いて使う事もないようだ。Women’s Liberationの短縮形、和製英語に近いウーマンリブは60年代後半から欧米中心に盛んになった女性解放運動の事である。女性であるが故に受ける差別と、それを支えている社会の意識改革を目指した運動である。
 幼い頃の私の記憶では近所に主婦会館というのが四ッ谷駅近くにあって、そこで、奥むめおという女性の名を知った。つい先頃の1997年に他界したこの女性は参議院議員であり、主婦連合会会長だった覚えがある。小学生の私の記憶に残るのだから、女性指導者としてかなりのインパクトがあったに違いない。
 ウーマンリブ、ウーマンパワー、レディーファースト、それにファーストレディー、女性に関するカタカナ言葉を間違った意味に捉える人間がいる。その名は女性自身である。各分野で第一線に立つ女性が結束して行う様々な活動を間違った解釈の元に、女性を優先させる欧米の習慣や礼儀をレディーファーストとして社会に横暴させたりする女どもは決してファーストレディーに成り得ないだろう。いや、なれる筈が無い。
 先ず、レディーファーストの習慣を受けるに相応しい女性でなければならない。男性ばかりでなく、すべての人からレディーファーストの礼儀を払いたくなってしまうような女性が好ましい。ウーマンリブを掲げずとも、改めて女性という差別を付けたくならないような人が望ましい。この世に、女性がいなくなったら子孫繁栄は望めないのだから、女性は自分の性に自信を持って、新世紀も闊歩して欲しい。勿論、男性は素晴しい縁の下の力持ち、花になり得る女性をよいしょして、花は日影でも咲くと自らの功績に自信満々で生きて欲しい。神様がこの世にアダムとイブという男女を置かれた意味をしっかり理解しよう。
 差別や解放を大きく掲げずとも、敬いたくなるような庇いたくなるような人間であるべきなのが女性たる女性だと思う。
 芯は強くても、自然と何となく庇ってあげたくなるような女性になりたい。今からでも遅くは無い、と自分に言い聞かせている!