脳のミステリー

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誕生と逝去

2008-10-04 17:08:27 | Weblog
生と死を考える人は少なくはない。
生、即ち生きているという時間、そして死という瞬間、生と死を取り上げると私は先ずその時間を考える。長い闘病生活の末天国へという死もあれば、あっけない死というものもこの世の中にはいっぱいある。だが、生は悲喜交々、上り坂あり下り坂ありが人生である。だが「まさか」という坂が魔の坂で予期して迎える者もいれば突如出くわす者もいる。

それでは「誕生と逝去」はどうだろう。
人間の場合は受精後平均266日、胎児が約3,000g内外にまで育ったところで出産に至る訳だが、我らが愛する犬族の場合は排卵日から約63日だという。 何れにせよ、誕生は時間をかけて待たれるものであり、誕生の瞬間には誰もが喜びを感じるのが普通である。
逝去はというと、その瞬間に出会うまでの時間は夫々で、故に感じ方が様々という事になるかも知れない。。

最も身近な人間の誕生は自分の子供であり、最も身近な逝去は自分の両親と、私の場合は豪州の父と母の別れだった。母の逝去は予期せぬ出来事だった。考える時間も悲しんでいる時間もなかったと記憶している。父は老計をしっかり立てて慌てず急がず昇天の刻を迎えたと言える。留学先の豪州の父と母の逝去はあまりに劇的なものだったので「グエンとケン」と題してエッセイにしてしたためてある。
何れにしても時間というものがかかわってくる。

愛犬家を自認する私は歴代の犬の生と死、更にその誕生と逝去を考えてみる事にした。マイミクのkittyさんではないから、実は歴代の犬殆どの誕生の瞬間を私は知らない。ゴルのドックだけは娘の高校の先生の家と後にある先生の実家の犬との交配で生まれたので比較的よく知っている。しかし愛犬個々の犬生は幼い頃から見てきている。まあ、それが私のハイパーグラフィア(書きたがる脳)のせいで「マイ・ラブ、マイ・ドッグ」として出版された訳であるが、実に夫々が個性ある犬生を送ってきているのに気付く。そして、その逝去もまちまちである。

武者小路実篤の「友情」に次ぐ代表作「愛と死」を読んだ人は多々いらっしゃると思う。
小学生高学年の頃、後者を読んで初めて自分の祖父が若くしてスペイン風邪という流行り病に襲われて命を落としたと知った。「愛と死」は小説の最終章に来るまで「死」の影すら感じさせない恋愛小説である。海外に出向いている婚約者の帰国を待ってカレンダーにマークを付けていた女性は最後を残して突然他界してしまう。私は涙しながら読んだ記憶がある。主人公の女性を襲った病魔はスペイン風邪だった。
これは小学生の頃読んだ本の中で最も印象に残っている小説である。愛をテーマに長い至福の時を綴っているこの小説は突然の「死」という瞬間で終わっている。

著書「マイ・ラブ、マイ・ドッグ」ではハイパーグラフィアに任せてタップリ綴っているが、迷い犬のシェパード、ぺぺを除いて我が家歴代のワンコの「死」をチョッと取り上げてみる事にする。

☆黒光りしたアメリカンコッカースパニエルは父行きつけのバーで貰って来た。バーのママの友人に素敵な女優さんがいて、その家で生まれたと聞いている。女優さんは未だに元気で時折TVの画面でお目にかかる。ルルという名のこの女の子は避妊手術も行わず、生涯少女で昭和30年代には珍しく、10年以上も長生きして当時の神奈川県長洲知事から「長寿を祝う表彰状」を貰った。
★体内に癌細胞があったようだが、知らずにそれに打ち勝って死因は「癌は認められたが老衰」だった。

☆次に我が家のアイドル犬になった二代目コッカースパニエルは見事な金髪の持ち主だった。血統のかなりいい犬だったが赤ちゃんの頃から膀胱炎とかで「商品」にはならなかったという事だった。お陰で獣医さんに説得されて我が家のペットになったという因縁付きの犬だった。
自由奔放、天真爛漫 男女共通の名前だろうという事でこの子もルル(平和)と名付けた。体重オーバー、自分勝手、無芸、でもこの犬ほど器量良しのワンコは見た事がない。写真をアップしたいが、逗子マリーナに行かないと・・・ 
★このルルちゃんほど「大往生!」という言葉が似つかわしい犬はいない。

☆次は迷い犬・・・ビーグル犬のエミー・・・実は注射だ健康診断だで、獣医さんの処に連れて行ったらすぐに飼い主が見つかった。ヤレヤレと思っていると、即、飼い主さんと電話で話をしている獣医さんの様子が可笑しい、挙句の果て相手は私に電話口に出て欲しいと願い出たのである。迷子の届けをして約一か月も見つからず、もう既に新しい犬を飼っているとの事で結局我が家で飼う事にした。このビーグル犬は訓練を受けた事があるらしく実に賢く、色々な芸が出来た。女性を護るレディーズドッグの名もあった。運動神経は抜群でゴールデンコッカーがビックリしている目の前で池を横断して飛び越え池の中の鯉も驚かせていた。欠点は犬小屋が大嫌いで真新しいピンクの屋根の犬小屋は無駄買いだった。ビーグルはスヌーピーがそうであるように犬小屋の屋根の上で寝るのが好きなのだろうか?
ゴールデンコッカーが逝ってから暫くして、ビーグル犬は壮絶な死を遂げた。庭遊びが大好きだったビーグルはトンボを追いかけたり蝶を追いかえたり・・・捉える事はなかった。池に放した泥鰌が意外なほどの大きさ成長し、時折水面に顔を出してはビーグルとご対面していた。そんなある日、私はドブネズミの死骸を庭に見つけ、小学生の息子に片づけを頼んだ。そんな事を忘れた頃にビーグル犬が食事をなったく受け付けなくなった事に気づいた。毎日獣医さんに往診して貰い栄養を点滴に頼り、時折喀血する愛犬にどうする事も出来ず、ビーグルは発病一か月足らずで昇天の刻を迎えた。
★病名はレプトスピラ感染症だった。野生のどぶ鼠が持っている事があるとの事だった。恐らく、庭で遭遇したどぶ鼠を遊び半分で仕留め、自分に感染してしまったのだろう。


ここまでの愛犬達はみな家の庭で放し飼い状態で遊び、暑けりゃ軒下に更に暑いと土に穴を掘って身体の火照りに対処し、雨降りや夜は台所の土間で蹲っていたものである。

その後我が家にやってきた犬は所謂「マンション犬」として飼われる事になったのである。それでもゴールデンのドックは海辺のリゾートマンションで内は駆けまわれる芝生の中庭があったし、マンションの周りは当時格好のドッグランだったので彼女は典型的なマンション住まいでもなかった。凡そ5年はそんな快適な海辺の生活をしていたが人間の都合で突然排気ガスが充満する都会に連れて来られた。私が脳出血で倒れたからである。それでも犬は健気な動物で、文句も言わず東京の狭いマンションに住まう事になった。しかも散歩は車椅子の横でまるで介護犬の生活を強いられた。もう数か月で晴れて10歳という頃にゴールデンは不調を訴え出した。食欲はあったが、歩きたがらない。怒りっぽくなり、部屋の中でも動かない。とうとう入院という事になり2日間のドック入り! 薬をいっぱい貰い「癌の疑い」を宣告されたが、即どうのこうのではないと言われた。
だが、11月末、私が尊敬する留学時代の豪兄が目前の誕生日を待たずして他界し、涙を止める事の出来ない私を悲しい目で見つめていたゴールデンは、翌月豪兄の後を追うように、やはり10歳の誕生日を待たずして逝去したのである。
★ゴールデン、素直な犬ドックの病名は急性悪性リンパ腫瘍だった。

誕生以上に、昇天の刻を迎える生き物にはそれぞれ違ったドラマがあり、それを捉える心も様々という事である。

今年に入って、子犬の面倒見がよかった猟犬の老犬の死、犬嫌いで有名だった近所の超大型ゴールデンの死、ミクシイでひょんな事で知った若過ぎる英ゴルの死、そして先月末あっけなく「さよなら」も言わずに旅立ってしまったマイミクのメグちゃん! あまりにも立て続けに天空に送るのはとても辛い。

文豪トルストイ曰く
「幸福な家庭は互いに似通っているが、不幸な家庭はどれもその不幸が違っている」
そこで私は言いたい
「嬉しい誕生の喜びはどれも似通っているが、哀しい逝去はどれもその辛さが違っている」


写真は逝去して小さくなったけれどみんなの心に残るメグちゃんは大きくなる一方ですよ