脳のミステリー

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177.平和ぼけ

2007-06-18 08:30:35 | Weblog
 先週6月14日頃に無理やり梅雨入り宣言を出した関東地方は真夏日の週末を迎えた。ある所では湿度10%以下という恐ろしい数字を出していた。東京の気温は30度以上にも昇り、湘南の水温は22度を超えた。昨今の世界的な異常気象を考えれば、日本人だけが季節の移り変わりに風情を求めるのは贅沢、否、無理なのかもしれない。自然破壊はグローバルな現象であって、日本人だけがノホホーンとしていていいのだろうか、と思ってしまう。
 On the beach という本をどれほどの人が知っているだろう。私の亡き父が好んで何度も読んでいたのを覚えている。外国の本って分厚くて紙質が悪いな、と冗談抜きで思ったものだ。映画化は過去二回で、私は最初の映画を見ている。先ず、1959年の邦題は「渚にて」、そして2000年の映画は「エンド・オブ・ザ・ワールド」という邦題が付いている。
 1956年のメルボルンオリンピックから3年後という事は、私がオーストラリアに大いに興味を持っていた頃である。
 核戦争によって人類が死滅する直前までの数ヶ月を描いた映画だったので、恐らく父は一番下の私を日比谷の映画館に連れて行ったのだろう。第三次世界大戦が勃発して核爆弾によって放射能が北半球を汚染して何と全滅するのだが、辛うじて南半球の豪州大陸が残されたかに思えたのである。そこへアメリカからモールス信号が発信されてくる。生き残った米海軍の原子力潜水艦がメルボルンに寄港して、直ちに調査に向かうが虚しい現実に驚愕する。何と、無人の中で風に吹かれた空き瓶が揺れて電鍵を叩いていたのだ。やがて、メルボルンにも放射線に侵された患者が出始めて市民は最早、更に南下する事を選択せず、自宅で薬物による死を選ぶ。米海軍の潜水艦々長は豪州での死を望まず、あくまでも米海軍の軍人としての死を望んで、同じ様な選択をした乗組員と共に潜水艦を豪州領海外で沈没させる事を選ぶ。
 映画は1959年、私はそれから5年後にメルボルンに留学したわけである。米映画は全般をメルボルンロケだったと知った私はアンソニー・パーキンスが横断していたフリンダース駅前の通りを確かめるように歩き、エヴァ・ガードナーが佇むフランクストンの海を食い入るように見た。フリンダース・ストリートは数えられないほど何度も歩いたし、フランクストンは私の歯医者がいたので通ったし、それ以上にそれから20年近く経った時、私は歯医者に行く豪州のグエンママと一緒にフランクストンを訪れた。私の二人の子供もケンも一緒だった。診療が終わるのを待つ間、私達は海辺の公園で遊んだ。まさか、それが私達日豪親子!?にとって最初にして最後の遠出になるとは誰も予想していなかった。だが、悲劇は来るべくしてやってきてしまうのが世の常というものだろう。この時の事故というか事件というか人間の世界だからこそ起きた惨劇は他に書き綴っている。
 On the beachのテーマである第三次世界大戦は人類が引き起こした最悪の罪と罰だったのである。私は子供を連れて幾度となくあの駅では乗り降りしている。何も考えずに、何事もなかったかのように。英作家シュートは私の留学前にメルボルンで亡くなっている。シュートは逝去一年前の映画製作に関しては原作から大幅に変更されてとても嫌がっていたと言う。小説では、ソ連製爆撃機によるエジプトのアメリカ爆撃が発端として書かれている。第二次中東戦争、即ち、スエズ動乱である。私の亡き父は原作を好んで読んだ理由が分かる。
 私は最近の異常気象も人類による自然への破壊戦争だと思う。飛躍しすぎるかも知れないが、一部の脳神経破壊も私という迂闊な人間の自己管理の不備という事で始まったが幸い、自分自身で食い止める事が出来ている、と思っている。