池田町の平野部の一軒家を借りて住み始めて程なく、同じ敷地にあったかなりボロい農機具小屋の屋根裏に一匹の子猫が住み始めたらしいことがわかりました。というのも、夜、私がタバコを吸いに縁側に出る物音を聞くと、決まって物置の上から真っ暗な中を急いで降りてきて私に近づいてくる。エサをやったりしているうちにすっかり私に懐いてしまったのでした。
そのうち、昼に庭先に出てきて、小枝と戯れたり走り回ったりするように。その当時は、母の介護をしていたこともあり、更に富山から通っていた妻が大のネコ嫌いということもあって、物置に住んでエサの時間に一緒にいるという程度でした。しかし、頑なに家の中に入れることを拒んでいた妻も、時間が経つにつれて愛着が湧いてきたのか、ついに家の中に入れることを許してくれ、それからは私たち2人に介護中の母、それにハルの生活が始まりました。
現在の家に引っ越すとき、果たして居ついてくれるか不安だったのですが、周りは山林であることも幸いしたのか、すぐに慣れてあちこち遊び回って、必ずエサの時間になると帰ってくる。そのうちに次第に愛着が湧いてきたのか、妻もついに家の中に入れることを許してくれました。新しい家にはネコの出入り口も初めからつけてあり、外で思う存分遊べる(狩りができる)環境は、ハルにとって最高の環境だったでしょう。
母が存命中は、いつの間にか母と寝るようになっていましたが、その母も認知症の度合いが進んでモノを噛むようになり、ある日のこと、とうとうハルの足に噛みついたのです。ギャーと鳴いて飛び上がって以来、母には近づかなくなったようす。人間がネコに噛みつくなんて前代未聞です。その母も、新しい家でわずか一年を過ごしただけで他界。
夜は、ベッドの上で、私と妻との間に枕をして寝ていることも多くなったハル。いつの間にかカレンダーもネコの絵が多くなる程に、妻はネコが好きになっていきました。一時期は、昼は私と一緒に、夜は妻の横に潜り込んで寝ていたこともあったほどです。
「手で戸を開けて入ってくるのが気持ち悪い」というのがネゴ嫌いの理由だといつも話していたが、まだハル以外のネコには警戒心を持っている様子。それを察知しているのか、飼ってもらった恩義を感じているのか、膝の上に飛び乗ってくるのはこのところずっといつも私。これには、妻も、「膝の座り心地が違うのかねえ」とときどきは嫉妬混じりのため息をついていましたっけ。
ネズミを捕ってはドヤ顔で家に持ち帰ったり、2,3日家出をして心配させたり、私とかくれんぼをしてじゃれ合ったり・・・ひょっとしたら人間よりも我慢強く、マイペースであるだけに、人間の気持ちを掴むのかも知れません。ここ何年間も夜は私の横で、いっしょに布団にもぐって寝ていたのですから、ハルのぬくもりもまだ消えていない。ちょっとした機会に一緒に過ごしたシーンが強烈によみがえって熱いものがこみ上げてきます。利害関係もなく、ただ私・妻とハルという純粋な関係ゆえ、結びつきはそれだけ強いのでしょう。
別れというのは世の常とはいえ、やはり辛く悲しいものです。
MNEMOさんが、自らのブログに「ハルちゃん逝く」と、ハルの死を悼む一文を載せてくださいました。ほんの少し前の記事で、過去にご自身の愛猫の死があり、そのことについて触れていらっしゃったMNEMOさんですから、共に暮らした存在がなくなってしまうことの意味は、私より遙かに深く胸に刻まれ、反すうされたことでしょう。有難うございました。
幼少の頃から、動物との出会いと別れ(惨めな別れも多かった)を繰り返してきた私でしたが、これほど長く、また濃密に関わった動物はいませんでしたから、自分でもまだ彼がいなくなったことの意味は捉え切れていないのかもしれません。あの世のハルちゃんが、猫パンチを繰り出すように、私の頭をたたいて(何度もやられた)、これから教えてくれるのかもしれませんね。
明日は、午前10時半から大町市の北アルプス広域葬祭場で火葬。遺骨は持ち帰って、いずれ私や妻といっしょに散骨してもらうことにしますか。息子、娘に頼んでおきましょう。