Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

7月26日(日) 雨に降り込められて

2020-07-26 20:51:37 | 日記

こんなに長い間雨が止まなかったことは、これまで経験したことがありません。

丸3日畑に出かけられないでほとんど閉じこもり。多分、キュウリは巨大化し、ひょっとしたらスイカが腐り始めているんじゃないだろうか。ピーマンも、もうほとんどダメになり、元気なのは雑草だけ。

天気予報によれば、長野の梅雨明けは8月に入ってからとなるらしいので、まだ一週間も雨が続くことになる。作物への影響は計り知れず、全国的にますます野菜などの高騰が続くのではないかと心配です。東京の飲食店では、外出自粛による客の減少に加え、葉物野菜がひと頃の3倍くらいに跳ね上がり悲鳴が上がっているという報道も。キャベツ一個400円なんて聞いたことがない。

梅雨明けのあと、気になるのは台風の襲来。海水温の高さは変わっていないので、東海から首都圏を直撃するような大型台風が来れば、風水害だけではなく、稲作や夏から秋にかけての野菜などに致命的な打撃を与えることになる。

記録的な長雨、大型台風の襲来など自然災害の大型化、長期化にどう備えるのか。コロナ対策に無策な政府が、こうした事態に的確に対応出来るとは到底思えませんね。農業をつぶし続けてきた歴代自民党政権なのですから、やはり政府を変えなきゃ未来はありません。

      *   *   *

先週土曜日は子ども塾。入塾希望者が増えて、この日は中高生が多かった。新しく来た生徒は、県内でも有数の進学校に通う子で、これまでネットでオンライン授業を受けてきたが、数学が全く分からなくなってきたのだという。学校と同じように一斉に配信して、それを聞いた生徒が質問もできず、ポイントもつかめないのは無理もないこと。とくに、中学から高校に変わった生徒が、高校での学習の仕方についてまともな手ほどきも受けずに、問題を解けと言われても無理というものでしょう。

ずっと学校に通えず、子ども塾だけが頼りだったという子もこの日来ており、その子のためだけに詳しい教材を作成し、順に学ぶように指示しています。これは私が担当しなくても、教材をもとに大学生が受け持ってくれるので助かっている。

中2の子にも教材をつくって渡してはいるものの、この子は小学校のレベルから問題があるので、今度はその対策のためのプリントを作成しなければなりません。

こんな調子で、生徒が増えれば増えた分、矛盾も増えてくるわけでなかなか困難な局面を迎えているのですが、頼って来てくれる子たちがいる以上、最大限の努力を尽くさなければ。


7月25日(土) 映画&DVD

2020-07-26 00:01:31 | 日記

昨日は、妻と久しぶりに映画館を訪れて、その日封切りの「時の行路」を観賞しました。
これは、静岡の大手自動車メーカーで働く派遣労働者の五味洋介を主人公に、現在の日本で起こっている派遣切りの実態を徹底して労働者の立場から描ききった話題作。ふと、昔観た「ドレイ工場」を思い出してしまいました。

この映画は、まさしくタイムリーな企画で、多くの人に観てもらいたい映画です。全体としては亀裂を深めてる家族の描き方も、苦しい派遣工の描き方も、会社の描き方も、最後には敗訴で終わる今日の裁判の矛盾も、今日の問題点を深く掘り下げていて、細心の注意を払って描かれているように思われました。

一般に、こうした派遣労働者への理不尽な人減らしと労働争議を描く場合に、何となく話がわかるというか、筋書きが見えるというか、ありのままを描けば描くほど、今日の理不尽さに直接切り込まなければならないために、描き方がストレートになってしまいます。その意味では、この種の映画ほど難しい演出が求められることになる。
プロパガンダにしないためにも、もう一工夫ほしかったなというのが率直な印象でした。
その点は「新聞記者」は演出の凄みが感じられて、また観たいという気にさせてくれる。この国の深部で起こっている「根腐れ」の度合いをくさびのように打ち込む映画がもっと作られていい。
人々は、単に待つだけではなく、映画人を応援し、問題をつかみ出し、闘いによってそれを支え深める、そのように行動しなければならないのでしょう。

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そして、これまで探していたDVDがメルカリを通してようやく今日届きました。ちょっと高かったけれど、絶盤なのでやむを得ない。
その映画はエルマンノ・オルミ監督による「ポー川のひかり」。公式サイトはこちら

自分の勤める大学の図書館にある大量の古書に釘を打ち込み、姿を消した若き大学教授。すべてを捨ててポー川のほとりの廃屋に住み着き、そこではじまる地域の老人や近くの店で働く若者たちとの交流。しかし警察の追及から逃れることはできず、破局へ向かうように見えるが・・・

あなたの人生は、このままの延長線上でいいのか。もう一度始めに戻る必要があるのではないのか。
古都ボローニャの図書館で古書に釘を打ち込むなどという蛮行が許されるハズがないではないのか。人類の英知に対する最大の冒涜ではないのか・・・いろいろな見方があってもさしつかえない。
この映画はどんな解答も用意していないのですから、よけいに人間の生きる原点を考えさせてくれます。

というのは、1つの言い訳で、実はこの映画の全編にわたって、あるイタリアのカンツォーネがちりばめられているのです。それが聞きたかった。それは、かつて触れたこともある「Non ti Scordar di me」(Forget-me-not)。それもそのはず、高校一年生で観た映画「わすれな草」の主題歌でしたものね。忘れがたい旋律だったからです(もっともイタリアっぽく声を張り上げるのは好きじゃない)。
歌でいえばタリアビーニや、旋律だけではAndre Rieuのように、もうちょっと甘美な歌やメロディーかと思ったら、ほとんどアコだけの実に素朴なワルツ。しかし、イタリア人はこの曲が本当に好きなんだなあと実感させられたという意味では無駄ではありませんでした。