あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

命を救う住民の付き合い

2010-08-19 23:36:58 | 日記
7月30日大阪市西区のマンションの一室で幼児が、裸のまま腐乱死体で発見されたニュースを聞いて考えたこと。
母親の下村早苗容疑者23歳は非難されて当然だが、ワンルームマンションにおける入居者同士の付き合いがなかった事が悲劇を招いたと思う。
核家族化が進んで育児の相談をする相手がいない若い母親が増えていることだろう。
親と離れて暮らすことが一人前と思われるご次世ではますます増える一方である。
親からの指図(アドバイス)をもうるさいと感じ、プライバシーを守るために、都会に住むことで解決する人も多いだろう。しかし、誰にも干渉されないことを望むのは、病気や事故や悩みに苦しむ時に相談する相手を拒否することでもある。
この下村容疑者の育児放棄した経緯を知ると、精神の未熟さもあるが人間関係をうまく作れなかったようである。
我が町内では、班長が毎月各家庭を訪問するし、回覧板のやり取りもあるから、少しの煩わしさを我慢すれば、このような悲劇は避けられるはずである。
しかし、自治会に入らず付き合いも拒否している家はどこの町内にも数件ある。人間は社会的な動物だから、お互い不可侵条約を結ぶような生活はどこかで破綻するものである。
誰の世話にもならないと言い張っているが、結構迷惑をかけたり世話にもなっているのだ。例えば、下水、草取り、ゴミ出し、騒音、匂いなどである。また防犯や防災など互いに助け合って成立するものもある。これらを無視すれば迷惑をかけた我がままな生き方をしていることになる。
付き合いが消極的な人もいるだろう。このような人には積極的な働きかけをすれば、なんとか安全を確保できるだろう。しかし、積極的に拒否する人はどうしょうもない。
昔は村八分の手段があったが、その村八分を望むのならば効き目がない。
唯一、子供がいれば壁をぶち破ってくれる可能性もあるが、子供がいない家で拒否されれば、異臭で気がつく孤独死が待っている。
我が町内で孤独死が出たら不名誉なことである。
お付き合いを軽く考えないようにしたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする