●〔78〕森健『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?-情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方-』アスペクト 2005(2008.08.22読了)
○内容紹介
わかりやすく、要領よくまとめてありました。
○内容紹介
IT革命がもたらした「利便性」と引き換えに、私たちはいま多くの「何か」を無意識のうちに失おうとしている。それは「プライバシー」「自由」「民主主義」「多様性」「主体性」…。気鋭のジャーナリストがネット社会の光と影に迫ったノンフィクション。
わかりやすく、要領よくまとめてありました。
「果たして本当に業務の効率化に役立っているのか、僕には疑問だね」
新宿南口のレストラン。JRの電車がうるさく行き交う風景を背に、IT系企業に勤める友人は語った。
「ちょっと見てよ」と左手に取った携帯電話をおもむろにかざす。画面に映し出されていたのは、メールの一覧画面。だが、彼個人のメールではない。会社のサーバーにつないだ会社宛ての受信メールだ。軽くスクロールして十数通。そのすべてが「CC」で送られる「回報メール」だという。
「自分が関連しているプロジェクトだけならまだいい。しかし、実際には自分が関係していない案件のほうが多く、客先とのやりとりまで全部入ってくる。すべてに目を通すかと言えば、仕方ないから通す。でも、僕の印象を言えば……」
と携帯電話を自分の手に戻しながら続ける。
「むしろ業務を阻害し、生産性を低下させているように思う」
そう語る口調には、どこか諦めたような様子が漂う。彼が一日に受け取るメールはおよそ三〇〇通。その五分の四ほどが同報メールだ。自分の下に三つの部署をもち、一八人の部下がいるが、その全員のメールが自動的に彼のもとに送られるようになっている。彼の指示ではなく、社内の体制でそうなっているのだ。さらに会社全体の連絡事項などもある。そして、月水金と週に三回行われるミーティングの際、すべての内容を把握していないと中間管理職として非難を浴びてしまう。
友人はそうした社内の連絡体制に疑問を感じていた。これだけ多くのメールを読んで理解するなんて非効率ではないか。同報メールをすべて読んでいる暇があるなら、もっと個別の案件を動かせるのではないか。そもそもメールが来るたびに読んでいては、思考が阻害されてしまう。思考が中断された際、元の思考に戻るには一五分かかるという説もある、云々。
「以前であれば、組織の命令系統は、少なくとも直属の部下が上げてくる報告のいくつかに目を通しさえすればよかった。いまは違う。部下のミスを防ぐためのリスクヘッジというのが建前で、回報メールもすべて読まなければならない」(pp.18-19)