●〔75〕川西蘭『坊主のぼやき』新潮社 2008(2008.08.21読了)
○内容紹介
著者の川西蘭はさわやかな青春小説の書き手というイメージがあります。大昔に『春一番が吹くまで』を読んだことがあります。この本の著者近影を見て、ちょっとショックを受けました(笑)。
軽妙な中にも真面目な中身を含んだ本でした。正座で苦労するところなど、実にリアルで笑えました。
○真宗の教えは難しい
○死体になれる
○内容紹介
作家稼業に疲れはてて、俗世間を離れた暮らしに憧れて出家―。仏教で人生にリセットかけてみたものの、坊主稼業は甘くなかった…。新米坊主のトホホな日々を描く笑劇のエッセイ。
著者の川西蘭はさわやかな青春小説の書き手というイメージがあります。大昔に『春一番が吹くまで』を読んだことがあります。この本の著者近影を見て、ちょっとショックを受けました(笑)。
軽妙な中にも真面目な中身を含んだ本でした。正座で苦労するところなど、実にリアルで笑えました。
○真宗の教えは難しい
こういうことは冗談ではなく、本気でおこなわれていました。
法然聖人ですら、臨終時に弟子に「臨終行儀をなさいますか?」と訊かれています。
もちろん、法然聖人は断るのですが、その時の心中は察してあまりあるものです。法然聖人の念仏は(『選択本願念仏集』に書かれていますが)、臨終時の来迎(如来のお迎え)を期待しないものです。来迎がなくても浄土に往生できる、とずっと言い続けてきたのに、臨終時に弟子から「お迎えの準備をしますか」と訊かれるのですから、そりゃ、がっかりするでしょう。
法然聖人は学徳兼備の清僧ですから、平然とされていたでしょうが、私なら無茶苦茶がっかりします。死んでも死にきれませんから、起き上がって弟子を叱りつけるでしょう。
まあ、その逸話が本当かどうかはわかりませんから、興奮しても仕方がないのですが、それほど臨終行儀は当時の社会には浸透していたということです。
今でも「お迎え」という言い方は残っていますしね。
うっかりすると、浄土真宗の坊さんでも「お迎え」と口を滑らせたりします。親鸞聖人は法然聖人よりももっと尖鋭化していますから、来迎を待つ必要などないと言い切っています。親鸞聖人の場合は、「即得往生住不退転」の立場、つまり、生きている間に[不退転]に住すること(仏になる身に定まること)をメインに置きます。
死ぬ時に、称名ができるかどうかは、その時になってみないと、わかりません。そういう、曖昧で不確かなことに、往生が左右されることなどあってはならない、という理屈です。
たしかなのは、如来の本願力だけだから、本願力に乗じて往生浄土しなさい、とお勧めになっています。(pp.146~147)
○死体になれる
初めて葬儀をつとめる時、心配だったのは、死んだ人を前にして気分が悪くならないだろうか、ということでした。
長い間、テレビや映画でしか、死者を見ていなかったからです。
現実に死んだ人のすぐそばに身を置いた時、自分がどう反応するのか、想像がつかない、そんな不安がありました。
いきなり嘔吐したり、失神寸前になって、その場にうずくまって動けなくなったりしたら、どうしよう?
不安です。葬儀にやってきた坊さんがそんな状態になったら、遺族はいい気分はしないでしょう。怒り始めるかもしれません。
大切な人の死にショックを受け、悲しみに沈んでいる遺族に、自らの失態で不愉快な思いをさせるのは、いかにダメな新米坊主であっても許されることではありません。
耐性がないだけだ、慣れれば平気だ、と自分に言い聞かせ、死相図などを見たり、あまり残酷ではない死体の写真を眺めたりして、訓練をしました。死体は写真や絵でも正視がためらわれます。おそろしいのは事実ですが、ためらいは禁忌から来ているようにも思いました。死体をじろじろと見てはいけない、という決まりが自分の中には根強くあるようです。
死相図で有名なのは、「小野小町九指図」と呼ばれる九枚の絵です。
九相死絵巻、九相詩絵巻とも呼ばれます。
鎌倉時代の成立だそうですが、美しい女性が死を迎え、膨張し、腐敗し、厭に肉を喰らわれ、最後には骨になる様子がカラーで描かれています。(pp.184~185)