●〔80〕阿部謹也『読書力をつける』日本経済新聞社 1997 (2006.10.18読了)〈1997024〉
○内容紹介
「読書」とは、ただ単に「書物を読む」ということにとどまらず、「人を読み、世界を読む」こととつながっている。読書という行為を通して、教養・哲学・歴史というものの考え方について語る。
10年ほど前に買って、未読のままでした。阿部謹也追悼ということで読みました。
阿部謹也の書く読書論だけあって、単なるハウツーではなく、学問をする意味は何か、読書をする意味は何か、といった本質に迫る問いに貫かれていました。そして他の書物と同様、通奏低音のように、「世間論」についても述べられていました。
○学問をする意味は何か。
文章を書くときに「この文章を書かなければならないかどうか」と自らに問うということです。「それを書かなくてもいい」ということがわかれば、書かないほうがよいし、書いてはいけないのだということです。そういうことをリルケのこの本によって知ったのは大学一年生か二年生の頃ですが、その後の自分にとって、決定的だったと思います。(p.10)
(上原専禄『ドイツ中世史研究』について)
この序文に「生を捉ふるに学問の業を以つてせんとする、もとより迂遠ならずとは言ひがたいのである」という表現ではじまる一連の文章があります。
「迂遠」とは、「遠回し」という意味です。つまり、「学問をする」ということは、先生によっては、「生をとらえる」ということであり、「自分が生きているということはどういうことなのか」「生きている意味は何か」ということをとらえたいと思う、しかしそれを学問を通じてやるということは、遠まわしでないとはいえない、と言っているのです。(p.12)
当時、私は「もともとドイツ史をやらなければならない義理などない」と考えていたのですが、当時私がもっていた課題があって、「たまたまドイツ史をやっているに過ぎない」と自分に言い聞かせていました。それは「いかに生きるべきか」という問いで、当時も今もこの問いが私の研究の基礎にあるのです。ドイツの歴史学者たちもそういう問いはもっていたかもしれませんが、それが彼らのドイツ史研究と直接に結びついているとは考えていなかったように見えました。彼らはもっと単純に「自分の国の歴史であり、自分が選んだ研究だ。だから当然、意味があることだ」と考えていたように見えます。
ところが私にしてみれば、極東の地にいる日本人でありながら、ドイツ中世の一部分の地域の歴史を勉強することにはいくつもの壁がありました。「なぜ?」と常に自分に問いかけながら、それを秘めて勉強をしていたわけです。ドイツ人に話しても、理解してもらえませんから。(p.161)
○古典とは。
ただ、本を読むとか、読書ということを考えるときに、今でも日本では、この「古典的教養」が常に重視されています。教師はすぐに「古典を読め」と言うのです。
ところが古典は大変読みにくいものです。古典が書かれた時代は数百年以上も前ですから、その時代の社会や文化のあり方を知っていないと理解しにくいのです。そのため、古典を読み、理解できるようになるにはかなり時間がかかります。私自身も若い頃、古典を読まずに、解説書を読んでいた時期がありました。後ろめたい思いをしながら、解説書を読みましたが、そういうものを読んでも、古典が自分のなかで生きてこないのです。(p.94)
マーク・トウェインも次のように言っています。
「古典とは、だれもが読んでいたら、と願いながら、だれもが読みたいと思わぬところの本である。」
"A classic": something that everybody wants to have read and nobody wants to read.
○弘法も筆の…。
パピルスは漉いていませんから、紙とはいえないようなものでしたが、やがて中国で六世紀に漉かれた紙が生まれる。(p.51)
紙は、一般的には、紀元後2世紀に中国の蔡倫が発明されたと言われています(本当はそれ以前からあったらしい)。西洋史の碩学も東洋史には弱かったのでしょうか。それとも蔡倫の紙は漉かれたものではなかったのでしょうか。
○上原専禄について
私は大学院に進んで、教職課程をとった関係で、その校長に「どこかに職がないか」と相談しに行ったのです。
ところがそのときに校長は、次のようなことを言いました。私が師事していたのは前にも紹介した上原専禄という先生でしたが、「その先生にいるのはやめなさい。そういう先生についていたら就職なんてないよ」と彼は言ったのです。「それはどうしてですか」と聞いたら、「あの人は日教組の教師だ。そういう人のところにいてはいけないよ」と。卒業式で話したこととは全く違うことを言ったわけです。(p.113)
○その他
あるいは飲み屋に行けば、にこにこしながら、そばにやって来て、「お前は日本人か。今度の戦争では非情に申し訳なかった。我々の方が先に負けた。この次は頑張ろう」とか、「日本人はパール・ハーバーで云々」などと言う。つまり、「日本人ならば、富士山、芸者」とか、型にはまったような言い方があるわけです。(p.130)
「今度はイタ公抜きでやろう」ということでしょうか(笑)。本当にこういうことを言う人がいるんですね。