れんらくちょう
癒し系事務員を目指すアラフィフ藤子が綴る!子供たちの成長とか 藤井フミヤ・斉藤和義・ギターについて。
 



これからMANNISHのZEPPライブに向かうのですが
その前にUPしておかなければ!

MANNISHのライブ遠征で2/9~2/11、仙台に行って来ました。
せっかくの連休なので、ライブ翌日には南三陸まで脚を伸ばして来ました。

今回は逸ちゃんとronちゃんと三人旅。

すごい寒波で関東は大雪の恐れ という予報の連休でしたが、
雪は大したことなく、積もらずに済んでほんと良かった。
2泊するので、ワコの世話はデコに頼んでおきました。
デコ彼も一緒に世話をしてくれたらしく、簡単に懐くワコ。





仙台はほとんど晴れてました。厚着し過ぎた。
行きの新幹線、ronちゃんとは別に手配したのですが、なんと偶然にも前後の席でした。
前にせっちゃんのライブで横一列知り合いだったことあったよねー なんて
思い出しながらお昼過ぎに仙台到着。
今回はronちゃんが10番台という神チケットだったので遅刻は厳禁!
とりあえずホテルに荷物を預けてホテル近くのお店で牛タン食べて



後は会場近くでウロウロお散歩して過ごしました。
牛タンはちょっと奮発して分厚くて柔らかいの食べたんだけど
とても美味しかったです(^ ^)

休憩した甘味どころでは、ずんだあんみつ。
仙台満喫。

会場のRENSA、私は初めてでしたがビルの7階にあり、
入場列は階段に並びます。一階からひたすら階段を上ります。
番号が良くても途中までエレベーターで行って途中から階段、ということは出来ません。
私と逸ちゃんは120番台で、キャパは700とかだったかな。
並びながらゼイゼイ上ってくる人達を見るのはなかなか楽しかった。
中には一段抜かしの元気な若者も居ましたが。
ロッカーは事前に入れておくことは出来ず、入場してから。
予想通り偶然会えた友達のアキさんは、向かいにあった三越のロッカーに荷物を入れてきたとのこと。
次回の参考にしよう。
入場してから荷物をロッカーに入れて、アキさんを見つけたのでその後ろにスタンバイ。
逸ちゃんは一番後ろに寄っかかって観てました。
私の居たのはせっちゃん側の前から6人目くらい。
始まったらぎゅーぎゅー押されるかなーと覚悟してましたが、
全く押されることはなく。
せっちゃんが前に出てきても、全く押されることはなく。
信じられないくらい平和に視界良好に、至近距離でせっちゃんを堪能することができました。
斜め前にやたら激しく飛び跳ねる男子は居ましたが。
ライブは横浜同様ほぼMCもなく、ダーっと進み、2時間足らずで終了でした。
終わってronちゃんと合流したら、ピック持ってた!
ronちゃんはチケットの番号が良くて、せっちゃんの真ん前最前列だったそうです。
良かった~。
投げたピックではなく、ぽろっと落としたピックだったらしい。

セトリは横浜とはちょっと変わってて入れ替わったのか増えたのかはわからなかったけど、
あれ?これ、横浜ではやってないよね?っていうのは気づきました。私にしてはめずらしく。

もすこし喋ってくれてもいいのになぁ。

それからちょっと歩いてご飯を食べて、
ちょうどそのときファンクラブからせっちゃんがファッション雑誌の表紙を飾ったというメールが来たので見てみたら



こんなんだったので
「あはは、へんなの~」と盛り上がり。一生懸命目を開けてるせっちゃん。
その後本屋さんで見つけたから立ち読みしたけど買いませんでした。

帰り道に仙台駅を撮ったけど、「仙台駅」の文字が私の視力くらいボケている。



今回泊まったアパホテルには大浴場があって、ウキウキと向かったら混んでたな~。
みんな夜遅くまで遊んでたのね。

翌日は午前中は仙台を観光。前回も乗った観光バスに乗りました。



瑞鳳殿、前回も行った気がするんだけどronちゃんは来たことないって。
あれ?じゃあ、あたし誰と来たの?ミハラ先生??
どっちにしても前回来たときはそれが何なのかはわかってなくて見てました。
おそらく「きれいなお寺だな~」って思ってたと思う。
瑞鳳殿は政宗のお墓。昭和20年に戦争で焼失してしまったけど昭和54年に再建されたのだそうで
前はもっと、ここが細かかったんだ的なことをボランティアのガイドさんが言ってました。
つくづく戦争は愚かです。







ちなみに ↑ 左に写ってるのはronちゃんですが、二泊三日の旅行でこの荷物です。
(私たちは駅のロッカーに荷物預けました。)
見習いたい、旅行上手です。





お昼にラーメンを食べてから無料送迎バスに乗って南三陸のホテルに向かいました。
南三陸 ホテル観洋。

もう少しで岩手県、という場所にある海沿いの、景色も素晴らしいとても良いホテルでした。

震災以来、被災地に来たのは今回が初めてでしたが
海に近い場所は今も道などの工事をしていて、建物はほぼありませんでした。
ここ一帯が街だったとは。
このホテルは入り口が5階で、ロビーも5階なんだけど2階まで津波が来たそうです。
震災後は近所の被災者も受け入れたとのこと。男前なホテルです。

到着してすぐ温泉に行って、その後着こんで屋上に行きました。
ちょうどその日、国際宇宙ステーションがホテルの上空を通過するのが肉眼で見えるということで
その鑑賞会が開かれていたのです。
国際宇宙ステーションは普段も結構通ってるらしいのですが、昼間は見えないし
月と同じで太陽にうまく照らされないと肉眼では見えないのだそうです。自らは光ってないのですね。そりゃそうですね。

あそこら辺からあっちへ、もう少しで現れます、ということで上を見てたら
ちょっとずれた場所を、ぴゅー!って光るものが移動しました。
流れ星だった!宇宙ステーション早!と思ったら流れ星だった!

その後、宇宙ステーションがゆっくり現れ、消えていきました。飛行機みたいでした。

お天気良くて良かったね~と話しながらご飯会場へ。
大広間で、舞台もあって
大昔の社員旅行を思い出しました。

うちの会社は社員旅行がなくてつまんない。むかーしはあったらしいですけど。
コンサルなんか要らないから社員旅行連れてってくれればいいのに。



翌日はホテルの語り部バスに乗りました。
ホテルの周りをバスで巡って、震災の時の話を聞きます。



学校の時計は震災後、ちょっと時間が経ってから止まっています。
校庭は今はもう何もなくなっていますが、仮設住宅があったそうです。





全体的に盛り土をしています。



木がなくなってる所まで水が来たそうです。
バスの窓に携帯が写って見づらい写真になってしまった。




 ↑ この建物の屋上に上がってもギリギリだったそうです。テレビで見た気がします。

近くの小学校では震災前の別の地震の後、避難場所の見直し会議があったそうです。
絶対津波は来る。来たとき、避難場所は屋上で良いのか??
もっと高台へ避難した方が良いのではないか。
結局結論は出ず、高台か屋上か、その時に校長が判断する。と決めて、避難訓練をしたのが3月10日。
そして翌日の震災の日、校長先生は高台への避難を即決し、犠牲者は出なかったのだそうです。
津波は小学校の屋上を余裕で飲み込んだそうです。

話を聞いて鳥肌が立ちました。

語ってくれたホテルの方も家が完全に流されてしまったそうです。
家族は無事でしたが、何日も連絡が取れなかったそうです。

被災地はまだまだ工事中で、電車もきっと元通りにはなりません。
忘れてはいけないんだと思いました。

関東にだってきっと来る。
車のガソリンはなるべく常に満タンに、携帯の充電もしておいてとアドバイスをもらいました。

ホテル観洋のblogはこちら

語り部バスを降りてすぐに送迎バスで再び仙台へ。
仙台の駅でお昼を食べて、早めに家路につきました。

盛沢山の仙台ライブ遠征。
せっちゃんのおかげで日本全国色々行けます。
次は長野、そして沖縄です~♬




















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