すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

死のうとする人の、その勢い

2008-05-30 19:31:42 | 世の中のこと

女性アナウンサーの自殺のニュースを見ていて、ある人の話していたことを思い出した。

精神を病み、自殺未遂を繰り返した彼女が、ようやく社会復帰できたころだったろうか。

「うつで死にたい時って言うのは、もう、それしか頭にない。とにかくどうにかして死ななくちゃ、それをやりとげねばって、それしかないの。

だからね、そんな人に向かって説得なんかしたって無駄だよ。死に向かっている人間の、その勢いってすざまじいんだから。やっぱり、病気ってことだよ。

だから、もしこの人やばいって思ったら、その確信があったのなら、とにかくどうにかして、入院させるしかない。

でも、その判断って本当に難しいよね。相手が自殺未遂を繰り返していたり、完全にうつ状態だったりする場合は別だけど、そんなのプロの精神科医でもわからないんだから」

マクロの自殺対策は必要だと思う。自殺者3万人という数字を重く受け止め、改善策を打ち出すことも。

でも、安易に、

「どうして周りは助けてあげられなかったのか?」

って、言わないほうがいい。兆候はあった。そりゃそうだろう。

でも、家族や友人がそれに気づけていたとして、彼女の、その、すさまじい勢いで死に突進していった心を、止められたかどうかはわからない。

「どうして助けてあげられなかったのか?」

周りの人たちは、ただでさえその疑問を自分にぶつけてしまうもの。自分たちの非力さを責めてしまうもの。

周りの親しい人以外の第三者が安易に言うべきことでない。

周りの人は十分に傷ついている。特に家族や、彼女の身近にいた人たちは、ずっと、ずっと、なぜ今、どうして彼女が・・・、そんな「なぜ」と直面していかなければならない。

疑問は湧き上がっても、回答はない。
もしかして、自殺した本人もわからなくなっていたのかもしれない。

彼女の不幸は、崩れていくプロセスで、
完全に心が壊れきることができなかったこと。仕事に行けるほどに、体が動いてしまっていたこと。

前日にもテレビに出ていた。か細い声ではあっただろうけど、ちゃんとしゃべっている。ちゃんと原稿を読めている。悲劇だ。

でも、私たちはあんなふうに教育されてきたよな。弱音をはかない。涙を見せない。つらいときも笑顔を。そんな風に教え込まされたよ。

自殺対策の原点て、「教育」なのかもしれないな、って、そんな風にも思う。



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