すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

自分が知らないことを知っている人は、語らない

2008-06-11 18:01:21 | 世の中のこと

ニュースを見れば、どのチャンネルも秋葉原通り魔事件。
事件直後の映像やインタビューの点綴。
そして加害者の両親の会見の模様まで出てきた。

どこの局も似たり寄ったりだが、共通しているのは、伝える内容が<センセーショナル>である点に力が注がれていること。

そして、締めくくりにニュースのコメンテーターや、どこぞの専門家がいかめしい顔で出てきて、一刀両断する。

いったい誰に向けられたメッセージなのだろう、と思ってしまう。こんな陰惨な映像と事件現場にいた人たちのコメントを、まっとうな大人が何時間も何回も見たいと思うのだろうか。

もう、うんざりしてくる。
気持ち悪くなってくる。
事実を伝えるのが本分といいながら、ひたすらセンセーショナルに走り、知らないことを知っているように伝えるニュース。

前の仕事の周辺にいた、心の専門家とよばれる人たちだったら、なんというだろう、と思いはせてみた。わかりきったことを言う人の顔を思い浮かばない。

「どうしてこんなことが起こるんだろうね」
「信じられないことだね」
「痛ましいことだね」
「心の病を持っていたり、彼と似たよう境遇にある人たちが、偏見の目にさらされないようにしたいね」

おそらくは、そんな言葉が聞かれたと思う。

幸いなことに、私が一緒に仕事をさせていただいた方たちは、心や精神疾患について、一般の人たちに比べればはるかに知識は多かったが、でも、知らないことをさも知っているかのように、語らない謙虚さがあったと思う。

今回の事件は簡単に語れない。簡単に語れるならば、は今の世の中にこんなすさんだ事件がこれほどたくさん起きていないはずだから。

食い止める方法、どうしていたらよかったのか・・・、
そんな難しいテーマを、短いニュースの中で、すぐ次の事件を追いかける人たちに、語ってほしくない。


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