すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

明日できることは今日するな~小田嶋隆を読む。

2015-01-18 18:59:32 | 本・映画・音楽
コラムニストという物書きのカテゴリーがありますが、私はあまり、このコラムニストという人たちの文章を真面目に読んだことがありませんでした。

随分前に、年上の友人から誘われてナンシー関さんの消しゴム版画展に出掛けたことがありますが、ナンシー関という名前は知っていても、ナンシーさんがコラムニストとしてどんな仕事をしている人かも知らなかった。

そもそもコラムニストってなんだっけ。ジャーナリストでなく、エッセイストでもなく、コラムニストって?!定義としては、雑誌や新聞に時事などを材料にコラム記事を書く人らしいけれど、イメージとしては、取材もなく現場も知らず、斜に構えて毒を吐いてる人?!

そんな胡散臭さを勝手にイメージして、コラムニストにアンテナを張ってなかったのかな、あたし。無知って怖い。食わず嫌いってもったいない。

少し前にNHKのBSで放送していたナンシー関のドラマ「ナンシー関のいた17年」の再放送を見て、ナンシー関ってすごく面白い人なんだーと衝動を受けました。コラムニストという肩書きの人たちも玉石混淆、こんなに素晴らしい仕事をしている人もいるんだーと、遅まきながら理解した次第です。


と、前書きが長くなりましたか、今回は伝説のコラムニスト、ナンシー関さんについて書きたいわけではありませんのであしからず。ナンシー関さん以上のインパクトでコラムニストのイメージを私の中で一変させた引きこもり系コラムニスト、小田嶋隆さんの話です。ひきこもり系という枕詞がまたなんとも怪しいのですが。

最初に出会ったのはツイッターです(最近の私のネタ元は非常にツイッターが多いです)。私がフォローしている内田樹さんが多分小田嶋さんのツイートをリツイートしたものがタイムラインにのっかってきたのがきっかけ。

どんな内容だったのかは覚えてないのですが、たぶん「おおっ、このツイートすごっ…」と思わせられるなにかがあったのでしょう。さっそくホローしました。

それから流れてくるツイート一つ一つの、その本質をとらえている眼差しの確かさといったらなくて、いちいち共感の唸り声をあげましたよ。ジョークやユーモアを織り混ぜながら軽妙なノリで核心をつく、みたいな感じも好きでねぇ。

「健康で文化的な最低限度の生活」には「愚かな使い道に金を消費する自由」が含まれている


などと、生活保護の現物支給の意見に異を唱える少々リスキーなツイートを繰り返すこともありましたが、私はなるほどーと膝を打ちました。

週一で連載コラムを載せている日経オンラインの「ピース・オブ・警句」では、安藤美姫さんの出産騒動に物申して安藤さんを擁護したり、生活保護不正受給の件で某お笑い芸人を徹底的に糾弾した国会議員にかみついたり、最近ではフランスのテロに端を発した風刺画の「ユーモア」の違和感について意見を展開したりして、毎回物議を醸しているようです。

小田嶋さんの書くものはネット上でよく炎上するそうなのですが、まあそうでしょうね。取り上げるネタが相当際どいですから。でも、きっとそれすらも楽しんでるんですよ、このお方は。

ガンバ大阪についてのツイートをしたところ、ガンバのサポーターからなのかよくわかりませんが、「ボケ」だの「バカ」だの「消えろ」だのずいぶんなことを言われるんですが、こんなのにも無視しないで返しちゃうんですよ。「バカってもしかしてわたしのことですか?」みたいなとぼけた感じで。

私が惹かれるのは、このおとぼけ感もそうなんですが、ゆらぎの賛美とでもいうかな。政治イデオロギーとしての右も左も言わない感じ、権力反権力でもない。人間の矛盾と葛藤をそのまんま不格好な姿として体現している文章で、そんな中にも「弱さ」の受容と肯定、「自由」だけは踏みにじられてたまるかという負けん気、この二つの芯は全然ぶれない。絶対譲らない。このなんというか、アルデンデみたいなところに魅力を感じてしまいます。

書いていることのほとんどが取材や研究によっているというよりも、自らの人生を土台にした生き方あり方感じ方によって表現されている印象で、それが間違いなく優しくて温かい。

といっても、「置かれた場所で咲きなさい」とか、「人間だもの」みたいなわかりやすい優しさや温かさではないですよ。毒も吐くし、笑いも幼稚性も漂わせているんですが、多勢に無勢の考え方には取り込まれないぞっていう気迫は伝わってきて、特に理不尽に叩かれる側への援護射撃は破壊的ですらあります。

ただ固定化された弱者を応援する感じでもなくて、社会的には強者と呼ばれる人だって、あまりにもひどい叩かれ方をしていたら、さりげなくホローにまわったりしてね。たとえば信条や生き方的は真逆?な大阪の橋下知事について、とある週刊誌が悪意のある記事を載せようとした時の顛末については「下品」と週刊誌の記事を断罪してますからね。こうしたゆらぎのバランス感覚も好きです。


でね、私が初めて手にとった小田嶋さんの書籍がこれなんですよ。


『場末の文体論』小田嶋隆


「場末の文体論」なんてタイトルで、あれっ、内田樹さん?って一瞬なるわけですが、違いまーす。タイトルつける時に参考にはしたみたいですけどね。 「ピース・オブ・警句」のコラムをまとめたものの書籍化第四弾。ご本人も解説してますが、この本に限っては時評の要素の強い記事は少なく、少年時代のあれこれを綴った懐古的な雰囲気をもつ記事を中心に集めたようです。だからかな、かなり読みやすいです。

頑張ることも、それを期待されることにも疲れていた中学時代、「怠ける」ことにひたすら憧れた小田嶋少年が好んで読んだのは北杜夫の「どくとるマンボーシリーズ」と狐狸庵先生こと遠藤周作の本。そして小田嶋少年が求めてやまない怠惰イズムを後押しした言葉が、これですって。

「明日できることは今日するな」


遠藤周作の著書の中で紹介されたトルコの有名なことわざだとか。

ほー!と感心しつつも、おーい!中学生が、こんな言葉にトキメいてどうする!ってつっこみたくもなりますが、すでに中学生にして人生の本質を見抜いてしまうほどに老成してたのかな。お勉強はできたみたいですから、頑張る経験も努力もしたでしょうし、ただの怠け者ではなかったはずなんですよね。

さらに言えば、自分の弱さに素直で、自由を希求する心の感度はきわめて強かった小田嶋少年。その気性というか生き方を持ったまま大人になりコラムニストになったということなんですかね。頑張らない、頑張れない人を追い詰めないのも、マジョリティとは違う行動にでる人を庇うのも、それらを恐らくはご自分にも認めているからなんでしょう。だから、こんな感じの文章になるんだろうなー、というのがわかります。

まあ、そんな私の感想はこの際どうでもいんですが、この本かなり面白いです。昭和の名残とメンタリティをあらゆる生活シーンでひきづってる方々、少年少女時代のノスタルジーに浸りたい方々、必読です。笑いあり、涙ありの一冊。ついでに自分の10代に読んだ本とか音楽とか趣味とか、振り返って辿りたくなること請け合いです。

小田嶋さんと同世代ではなくても、少年少女を過ごしたのが「ザ・昭和」の人には、相当シンクロてきる代物ではないでしょうか。多分アラフォーより下の世代には、よくわからかない世界かなって気もします。

ちなみに、私が読んでいた小田嶋本を最初はなんとなくチラ見していた夫も、案の定はまり中です。夫のお気に入りはコレ↓で、読みながら、ずっとクスクス、ニヤニヤ、時に声をあげて笑っておりましたよ。こちらもオススメです。

『人生2割がちょうどいい』岡康道・小田嶋隆














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