すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

加害者をおりる。

2015-02-17 11:50:14 | 育児・母稼業
息子にイライラする場面というのは多々あれど、一番イライラ感が強いのがこんな場面。

「お母さん、トミカのアルファードがないんだよ!!
どこ行ったんだよ。もうっ、どこにもないんだよ。探してくれよ」

「ん?朝はあったのに?ちゃんと探したの?」

「だからぁ、ずっと探しているのにないんだってば」


この、「だからぁ」の「おかあさん、あんたも、もうわからん人だな」的な言い方がすごく癇に障ってさらにイライラします。少なくとも「ずっと」なんてのは、絶対ウソ。物がなくなると父や母が探すのが当然と思っています、こやつは。


「自分でなくしといて、探してくれよって言い方はないんじゃない?そこは、『探してください』ってお願いすることなんじゃない?」

「もう、わかってるって。探してよ、早く」


とまあ、こんなやりとりが年がら年中繰り広げられ、結局私が探す羽目になっていました。そして、私のなかに常に「もう、なんで私がっ」というモヤモヤが残ります。おもちゃは見つかるも、息子はほどなく違うおもちゃをなくし、またこの不毛なサイクルが繰り返される、という。


育児本だと、

「じゃあ、お母さんと一緒に探そうか」

みたいな感じになるんでしょうか。お母さんは、子供の気持ちに共感してまずは子供の気持ちを落ち着かせ、一緒に探し方も教える。さらには、物が簡単になくならないように生理整頓の仕方も徐々に伝えていく、みたいな。

私には、そんなまどろっこしいことはとうてい無理なので、最近新しい作戦を思いつきました。でもって、かなりの効果を上げています。その作戦とは…



加害者をおりる。


もっといえば、

息子を加害者にして、私が被害者になる。



「えーっ、お母さんがこの前買ってあげたアルファード、もうなくしちゃったの?ちょっとそれはないんじゃない」

(せっかく買ってあげたのに、どうしてくれるんだい、私、被害者ですけど、というニュアンスを込めて。)

「あっ、あー、わざとじゃないんんだよ」

「わざとじゃなくてもさー。失くすってどういうことよ」

「あー、ご、ごめんなさい」


母の思わぬ反撃にびっくりした息子の顔が引きつります。「ま、まずい。おもちゃ探してる場合じゃない」と思っているのか、どうかはわかりませんが、明らかに形勢逆転。

そして、加害者らしく殊勝な顔になって、静かに違うおもちゃで遊び始めます。で、何日かして失くしたおもちゃが出てきて、

「おあかさん、あったよ、あった。ボク、なくしてなかったよ」

と息子の歓喜の声。加害者から抜け出せて、すっきりした様子です。私は、「へえ」と薄い反応(イヤな母ですね)。

もちろん毎回このパターンがうまくいくわけではありませんが、でも勝率はかなりのもの。なにより私の中のモヤモヤ感は少ないのがいいです。

だって、どちらかというと、これが本来の姿ですよねー。そもそも息子は被害者ではなくて、私も加害者ではなかったのだから。逆なんだから。

これまでのやりとりは、おもちゃをなくしたという過失を犯した息子が被害者になりすまし、過失のない私が加害者にされていたんです。

親子という慣れ合いの構造から、息子の中には「自分のやったことの責任は親がとるもの」という意識が勝手に根付いていたからですよね。

こういう甘えの心理は、赤ちゃんの時期にはむしろ大切なコミュニケーションです。赤ちゃんが泣いたらお母さんがあやすというのは、お母さんが赤ちゃんの感情に全面的に責任を負ってそれを解消しようとする行為ですから。それが、親しい人間関係を構築していくんですものね。

でも、息子も5歳。いつまでも赤ちゃんコミュニケーションは通用しません。少しずつ少しずつ「自分のやらかしたことの尻拭いは自分でやる意識」と、「自分がしでかしたことで人の力を借りる時にはそれなりの『お願い』の作法がある」ことを学んでもらわなくちゃ。

おそらく幼稚園などではそれなりにできているんでしょうが、家のなかだって「親しき仲にも礼儀あり」というルールは最低限必要ですからね。

高尚な考えがあるわけではなく、私は、自分には非がないのに、文句を言われながらおもちゃを探さなくちゃいけないことが、どうにもこうにも我慢ならなったわけです。

で、そうか、と気付きました。私の中にあったのは、他人がとるべき責任を自分が取らされていることへのモヤモヤだったんだな、と。つまり、私のモヤモヤは自分への不当行為に対するまっとうな反応ですよね(少々大げさですが)。


大人になっても、こういう子供の甘えを引きずる人は少なくないです。自分のしでかしたことや、自分の感情の責任を親しい人に取らせようとする人。赤ちゃんコミュニケーションで親しい人と関わろうとする人。

妻と一緒にいる時だけ不機嫌な夫というのは、まさにそのタイプ。こういう人のことを「甘えられるのは妻だけだから」と擁護する向きもありますが、こうした意見は本当に嫌いです。

私の友だちでも、そういう夫に悩まされている人が結構います。優しい彼女たちは、「なんで、私が」と思いつつ、不機嫌な夫に反論できず、苦しんでいます。悪いのは相手なのに、被害者はむしろ自分なのに、まるで自分が相手に何か悪いことをした加害者みたいな位置づけにされています。で、そこから抜けられない。加害者からおりられない。

こういう場合の「なんで、私が」は、ものすごくまっとうですから、この気持ちを大事にしてほしい、相手の都合「疲れてる」とか「仕事が忙しい」なんて真に受けちゃだめ、っていつも話したりします。

だって、自分の責任をちゃんと自分でとらせてあげるのって、相手を大人として認めることだし、実は愛情なんですよね。

不機嫌な人はほっておく、相手にしない、というのが一番いい方法だと思いますが、優しい人はこれがなかなかね。

そっけない人には自分もそっけなく、と前に書きましたが、不機嫌な夫にはそれ以上に自分も不機嫌に。私だったら絶対にそうするんですけどね。

何はさておき、息子の将来の奥さんには、こんな思いをさせたくないな、ってつくづく思います。


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