すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

気がすむまで。

2015-01-15 09:54:24 | My メソッド
前回の記事で触れた「人生のやり残し」という言葉から改めて思うことがありました。

いてもたってもいられず焦りまくり、つんのめり、これが達成できなかったら、これを失ったら、自分はおかしくなってしまうんではという切迫する思いで、30代の私が手に入れたものが二つあります。

それは、夫との問題多き(今考えるとそうでもないかな)結婚と、30代後半の崖っぷちの妊娠。

その焦りは自分自身や自分の人生への不信感でしょ?プロセスをじっくり味わう余裕のなさでしょ?って、今なら突っ込みを入れられますが、あのときは、もうどうにもこうにも、自分の衝動を、焦燥を、うまくなだめることができなかった。

結果的に二つとも手に入ってから思っていたのは、自分が必死になったから二つともが手に入ったのだということ。

でも、最近になってその考えは違ったのかな、勘違いだったのかなと思うようになりました。

自分自身と距離をとって、自分の人生を俯瞰してみれば、あんなふうにしなくても、あんなに悲壮感を漂わせなくても、多分その二つは手に入った。のんびり構えられる私だったら、もっとスムーズに手に入ったのかもな、とも思うのです。

夫と息子は、どの道私のところに来てくれた。手垢のついた言い方をすれば、それが縁というか運命のようなものに思えるのです。

どうしても手に入れなくちゃならないもの、なんて、人生には多分ないのです。その「どうしても」がすでにあやしい。本当に必要なものは、そんな風にしなくても手に入るはずのものをいう気がします。

じゃあ、私があのとき手に入れようとしたものはなんだったのだろう。私の必死さはなんだったのだろう、と。

それはもしかして「気がすむ」ということ。私は「気がすむ」ということを手に入れたかったのかな、と思うのです。

「結婚」と「妊娠」をどこか過剰に幻想化していた自分が、必死になって、自分が納得する形で、それらを手に入れたいと思った。そして手にいれた。そして気がすんだ。

そのプロセスをどうしても踏みたかったのかな、と。

幻想が幻想だとわかって、気がすんではじめて、結婚も妊娠も客観化できるようになれたような気がします。結婚も妊娠も、それはいいものでも悪いものでもなく、自分にとって好ましいものかそうでないものでしかなくなったということです。

だから、結婚や子育てを謳歌している人たちが独身の人にいう「絶対結婚した方がいいよ」「子どもはいいよ。もつべきだよ」という少々お節介な言い草を聞くと、なんだか気恥ずかしいというか、居心地の悪い気分になります。

結婚も妊娠も、「どうしても」という類のものではないのになー、と。

でも、そういったことも、必死にあがいて、手にいれて、気がすむという着地をしなかったらわからなかっただろうな。そういう意味で、あがいた私も必要なあり方ではありました。


文芸評論家の小林秀雄が、何かの本で確かこんなことを書いていました。

東大に入ってわかったのは東大なんて大したことがない、ってこと。ただ、自分が東大に入っていなかったら、そんな気持ちになれただろうか。東大に入ったからこそ言えることなんだ。

身も蓋もない話ではありますが、昭和を代表する稀代の評論家も、日本の最高学府である東大に対してある種の幻想を抱いていたのかもしれません。そして、自分が東大に入って気がすんだから、幻想が解けた。「こんなものか」と手放せたのです。


じゃあ、手に入らなかったら、願望が叶えられなかったら、その闘いに終わりはないのか、という問いが残ります。

たとえば子どもがほしいという願いは、叶わない人も少なくありません。でも叶わなかった人の多くがその闘いを卒業しています。もちろん、その悲しさが胸の底でくすぶっている人もいるでしょう。でも、本当にすがすがしく卒業する人がいるのも事実です。

うまく卒業できた人は、どうやってそれができたのか。

おそらく諦めた、ではないの思うのです。手に入れるという方法以外で、自分の気のすむところまで、必死にあがききって、自分の落としどころを見つけた、自分との折り合いをつけた、「ここだ」という地点にたどりついたということだと思うのです。

もう、いいや。やるだけやったし。気がすんだから。

そんな境地です。

妊娠でいえば、不妊治療を納得するところまでやったということかもしれないし、養子縁組という道を選ぶことかもしれないし、心を病むほど嫉妬に苦しんだり、死にたくなるほど悩むことだったかもしれません。

手に入らない事実は、大きな失意が伴うものではあります。望んだものは手にできたほうが気持ちいいに決まっている。

ただたとえ手に入らなくても、「気がすむ」方法は見つかる。自分の気持ちととことん付き合ってやることができれば、そうした自分を自分自身が心から許可できれば、望んだものを手に入れたこととはまた違った「気がすむ」地点、深遠な境地を手にいれることができると思うのです。

こんなケースもあります。たとえば、親の助言や世間体であきらめた夢も、結婚してもひきずっている若い頃の初恋も、人生の後半になって突然ぶり返して、はたからから見たら「とんでもない行動」にでる人たち。

本人の深いところで気がすんでないまま持ち越されてしまった場合が多いと思います。

とんでもない行動によって、夢が少し形を変えて実現する場合があったり、年老いた初恋の人に再会してやっと幻想から覚める場合なんかもあるはずです。

たとえ寄り道になっても、結局は元の場所に戻ることになっても、他人から見たら無駄なことだって、それで本人が心の深いところで納得する。だから、身軽になれる、次に行けるのかもしれません。

つんのめったり、絶望したり、焦ったり、いじけたり。そうやって時間と手間をかけて気がすむまでやるって、実はものすごく価値のあることだと思うのです。


photo by pakutaso.com





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8 コメント

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今日も共感! (ふみにゃん)
2015-01-15 10:38:30
私が大学時代(もう20年以上前ですが)、恩師の口癖は「人生は、自分の気を済ませることの連続だ」でした。

今から8年前。
私は、人生の大きな転機をむかえていて、でもそれは、自分の力だけではどうにもならないことで。
今思えば、それこそ、縁物だったとも言えるのだけど。

真っ只中にいた私は、もちろん状況を俯瞰する力も、余裕もなく。

先の恩師に相談した私に「考えてもどうにもならない。お前が気の済むようにしろ。それでいいんだ。それで大丈夫だ」と。

でも、何が自分の気が済むことかもわからず、とにかく「がむしゃらに頑張って」時を過ごしたのですが、結果的には、ずーっと、ずーっと引きずってしまいました。30代のほとんどを重たい日々で過ごしてしまった感じです。

それが、最近になり「あの時思うようにはできなかったけど、それでも、あの時の自分の精一杯のことはやれたのではないだろうか」と、少しずつ思えるようになってきました。

今日の記事を読み、この件については私は気が済むのに8年という時間が必要だったんだなと気づきました。
同時に、恩師の言葉の意味も少しはわかってきてる自分にも気づきました。

早かれ遅かれ、気というものは、済んでいくものなのかもしれません。でも、できればその時々に、自分の気を済ませる選択をしたいものです。

今日も素敵なエントリー、ありがとうございました。
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なかなか深いですね~ (みーこ)
2015-01-15 23:41:12
初めてコメします!
40代半ば、表立ってはいないものの、まさに心の中にはもがきがあります。
父親のモラルハラスメントで、いつも否定されて来て、頼ったり甘えたり相談したり、普通に出来ませんでした。

そんな気持ちは、男性って怖いんだ!みたいになっていた気がします。
もっと楽しく恋愛して若い頃を過ごしたかったなぁ~と今思います。
自分がそうしなかったのでしょうね。

いろんな人がいるのだから、これからの自分にとって一緒に未来を歩ける男性とご縁があって結ばれるよう、今年は顔晴ってみようと思います☆

やりきってみる、じたばたしてみる、そんな事も人生で大事かも知れないですね~
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「気がすむまで」の捉え方が変わりました♪ (よしよし。)
2015-01-16 09:36:08
うーん。(感心する声 笑)深いです。
「気がすむまで」って、自分勝手、ワガママ、そんなワードがよぎる、私にとってはあまり良い印象の言葉ではありませんでした。(心屋さんのブログを読みはじめて、自分勝手、ワガママになってやれ~と思うこのごろですけど^^;)


自分の好きを大切にしたい、そんな気持ちから、やめたほうがいいのかなと迷いながらも気持ちが外せないことや、したくてもできなかったけど、やってみようかな。と思うことがいくつかあります。
過程や結果はどうであれ、気がすむまでやってみることは価値がある!と捉えると、とっても気持ちがラク~になりました。
そして、「気がすむまで」って自分に優しいことなんだなぁ。と、感じて…あれ?もしかして、自分勝手やワガママもみる角度によっては自分に優しいことなのかな?なんてことも思いました^ ^

すごく後悔していた過去のことも、いろんな経験を重ねながら、ずいぶん肯定できるようにはなっていましたが、
うん。気がすむまでやったよねアタシ。
と、これで良かったんだ感が強くなりました。

なんてタイムリーなんだ~。すごい。と一人で静かに興奮(笑)
素敵な記事を本当にありがとうございました♪♪♪
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Re:今日も共感! (ayase_9)
2015-01-16 13:34:51
ふみにゃんさん
素敵なコメントありがとうございます。
ふみにゃんさんには、すばらしい恩師がいらっしゃったんですね。人生の節目や、岐路にたたされたときに会いに行ける恩師がいるって、それだけで羨ましい!

気がすむまでに8年かかった、というのも、それはそれは大事な何かが、ふみにゃんさんの心に中にあったということですよね。尊いと思います。
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Re:なかなか深いですね~ (ayase_9)
2015-01-16 13:39:14
みーこさん

初コメントありがとうございます(*^-^)
そうです、そうです。やりきって、じたばたしてくださーい!大きな荷物を背負ってきたみーこさんだからこそ、気がすんだときに見える風景は美しく、格別だと思います。
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Re:「気がすむまで」の捉え方が変わりました♪ (ayase_9)
2015-01-16 13:48:58
よしよし。さん

コメントありがとうございます(*´∀`)♪
「これでよかったんだ」とか、「あの苦しんだ時間も必要だったんだ」とか、そんな風に「気がすむ」まで費やした時間や浮沈した感情を肯定できると、過去はすべて肯定できてしまいますよね。

過去が肯定できれば、未来もまた肯定的に見通せることができると私は思っています。
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お久しぶりです! (sen-nagi)
2015-01-18 03:53:02
覚えておられるか判りませんが
二度目のコメントです(^^)

時々、ブログ読ませてもらってます!
いつも素敵な文章に加え、
やはり同年代と、私生活も似てたりで
(私も30後半に、バタバタ結婚、妊娠しました^^;)
同感することばかりです!!

うちは、家の中の神、旦那が
「あなたの気がすむように」と、いつも
言ってくれます。
今回のブログを読んで、改めて感謝です。

今、迷ってる問題も、一度とことんしてみるかなぁ。
長々、失礼しましたm(_ _)m
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Re:お久しぶりです! (ayase_9)
2015-01-18 19:49:34
sen-nagi さん
もちろん覚えてますよ(*^-^)
私も時々ブログにお邪魔して、優しい文章に癒されています。
素敵なダンナさんですね。sen-nagi さんのこと、本当に大切に思っていらっしゃる感じがします。
迷っていること、いい結果に繋がるといいですね。祈ってます。
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