すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

ユマニチュード入門

2014-11-17 20:32:14 | 本・映画・音楽
『ユマニチュード入門』


久しぶりに社会福祉従事者として、心ゆさぶられる良書に出会いました。

専門書を読んで泣いたのっていつ以来かな。読み進めながら胸が熱くなりました。

簡単にいえば、見つめる、話しかける、触れる、立つ。この4つを基本にした認知症ケアの新しい技法を紹介した本です。

この4点にとことんこだわる技法は、ともすれば患者のための、患者の立場に立ったスペシャルケアとも定義づけられそうですが、ユマニチュードは決して患者のためだけに編み出された一方通行のケアではありません。

ケアする側とされる側「人と人との関係性」「絆」に着目したケアは、ケアする側にとってもスペシャルケアなのです。

なぜか。

清拭や入浴の場面で、嫌がる患者さんを無理やり誘導して職務を遂行するとき、「仕事だから。患者さんのためだから」といくら自分に言い聞かせても、ケアする側には真の満足はなく、そこはなかとない罪悪感が残ります。

しかし、ユマニチュードは、ケアする側のこうした罪悪感を排除するものでもあります。患者さんへの強制と義務を排除して患者さんの嫌がることをしない、患者さんの喜ぶ関わりをする。それが患者さんに快をもたらし、患者さんの快に共感することでケアする側にも快をもたらします。

私がしてほしいことをあなたにしてあげて、私がしてほしくないことはあなたにもしない。

あなたが嬉しいと私も嬉しい。


本当は当たり前のこと。でも、そんな当たり前の実践が難しくなっている介護の現場に、当たり前を持ち込んだ。ユマニチュードは、それが革命的なのです。


もう一つ感心するのは、患者さんを「立たせる」ことへのこだわりです。日本の多くの病院や介護施設では、患者さんを積極的に立たせたり歩かせたりはしません。職員の数が足りない状況で、転倒の心配があるからです。

このユマニチュードを編み出したフランス人のイヴ・ジネスト氏はいいます。

「転倒のリスクはあります。医療訴訟の不安はあります。しかし、ケアの専門家として、ケアを受ける人が得るものと失うものを本当にきちんと天秤にかけて考えているでしょうか…」

「よりよい健康状態を保つためには、転倒もそのなかで起こりうることのひとつである」

それを社会に訴えるべきだと。

理想論とは、思えません。

自分だったら、自分の親だったら、どちらを望むか。リスクのない無難を取るか、リスクのある快を取るか。

私なら後者です。私にとって生きているとはそういうことだからです。

それが私の答えだし、私のように考える人は多いはずです。

フランスや北欧は、リスクを負うことや失敗に対する徹底した寛容さがある国なんでしょうね。だから、こんな思想が認知症の介護ケアにも生まれるのでしょう。

ユマニチュードはケアする側もケアされる側も誰も犠牲者にしない、人間としての尊厳を持って最後まで遇し遇されることに妥協しないという強い意思による哲学が流れている気がします。

哲学が貫かれた技法は、決して魔法ではなく、時間をかけてケースを読み解き洗練されたものですから、本来はどこでも実践可能です。

あとは、勇気。

病院や施設のトップ、そして援助職一人ひとりにリスクを引き受ける勇気さえあれば、ユマニチュードは実践できます。

私は、身体介助をする援助職ではありませんが、ユマニチュードの哲学は私の現場でも適用可能。

きっと、教育場面でも活かせるはずですよ。



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