すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

川上未映子「きみは赤ちゃん」を読む。

2015-02-05 18:07:23 | 本・映画・音楽
『きみは赤ちゃん』川上未映子

芥川賞作家・川上未映子さんの出産・育児エッセイ「きみは赤ちゃん」を読みました。このお方、私の好きな池田晶子さんの名が冠せられた賞を最初に受賞した女流作家で、ずっと気になる人でした。

純文学系の作家ですが、小説は読んでないので、私にとっては、このエッセイ本が初・川上未映子本です。

この手の話は、赤ちゃんと縁遠くなった私にはすでに今さら感があったのだけれど、「新しい命の幸せ&感動物語」に収斂されない、むしろネガティヴてんこ盛りの「ほんとう」が書いてありそうな雰囲気にがぜん興味を惹かれたのです。

読んで、さすが人気作家の筆力を見せつけられました。やはり優先したいテーマの本でもなく、しばらくは他の本たちの山に埋もれていたのですが、ある時エイヤと読み始めてみると、もう、ホント、あれよあれよと一気読みです。

いやぁ、面白かった。圧倒された。面白すぎて、圧倒されすぎて、まず感じたのは、これ、出産前の女性が読んだらやばいかも。私だったら、恐れおののいてたかも。

だってそれくらいに、妊娠、出産、新生児育児の赤裸々が書いてあります。それもネガティヴ面が包み隠されることなく。事実も心の動きもあまりに生々しいです。

妊婦検診、出生前診断、つわり、マタニティーブルー、パートナーへの激しい感情、無痛分娩への風当たり、陣痛、帝王切開の痛み、産後クライシス、授乳、不眠、3歳児神話、成長曲線、仕事か育児かの選択と罪悪感等々。

うわあ、お腹いっぱい。
痛い、怖い、辛い、がいっぱい。

赤ちゃんに注がれる奇跡的な愛情の発露についてもふんだんに書かれてはいるけれど、でも、痛い、怖い、辛いの方が実感として想像しやすいって気がします。

川上未映子さんという作家個人の主観の筆致ではあるし、川上さんのような表現者特有の繊細すぎる感受性をフィルターにした内容だから、あらゆることが確かに過剰ではあります。でもそれを10倍に薄めたような実感しか体験していない人でも、「そうだった、そうだった。うんうん、そうだった」と涙混じりに頷かせてしまう迫力があります。

川上さんが悲鳴をあげた出産・新生児育児に関するネガティブポイントが10あるとして、私も少なくとも6か7くらいは共有している感じですが、残りの3とか4もまるで自分も体験したかのような錯覚に陥りました。

経産婦からすると、この本のおかげで、私って壮絶な体験をしたんだなー、すごい頑張ったんだなー、という感慨を持つことができました。ついつい育児日記を引っ張り出してきて、追体験しながら、「ここ!ほら、ここ読んでみて!」とダンナに読ませたい衝動にかられたりね。

でも、あんなに過酷な痛みや体力的、心理的消耗を味わっても、それが直接的に自分をドラスティックに成長させるわけでも変えるわけでもないんだなーというのが実は驚きです。

陣痛を経験したからといって特段痛みに平気になったわけでもないし、3時間授乳の日々をクリアできたからといって、体力的な苦痛に強くなったわけでもありません。

体だけでなくて、心も同じでしょうね。あの体験をして忍耐強くなったとも言えないし、それだけで人格者になれたわけでもないんですよね。

じゃあ、あの体験って何だろう。どんな意味があるんだろう。

あの壮絶体験と引き換えに、可愛いわが子を手に入れた、というのが一番座りのいい話なのでしょうが、それもねー、なんか私としてはしっくりこない。例えば、痛みの強さと可愛さは全く相関関係ないんですよね。

あんなに過酷でなくても、もっと言えば、自分から生まれたんじゃなくても、私、ちゃんと息子を可愛がれたと思うなー。養子とか代理母にお願いする、とかっていう意味ではなくて。命懸けで産んだから母と子の絆ができるってわけではないんですよね。

自分を忍耐強い人格者に変えるわけでもないし、わが子への愛情の引き換えという実感もない。

となると、あの体験はなんでしょうね。

あえて言えば、貴重な「思い出」にはなってくれました。強い痛覚と強い感情が通り過ぎた分、鮮明で強烈な「思い出」です。

それは、すでにわが子も介在できない「思い出」で、誰かに誇るものでも、自慢するものでもない、ましてや「あんな思いをして産んであげたのに」と子どもに恩を着せる材料にできるものでもない、ただの、でも、とてつもなく大きな「思い出」なんでしょうね。

久々に、あの「思い出」に再会させてくれた一冊でした。


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