何か新しいことをしたいとき、"提案"と言うと横を向く人も、"ピッチ"と呼んでみると何だろうと顔を向けてくる、カタカナにはそんな奇妙な力があります。
こちらを向いた人のなかには、ピッチって何だろうと、これまでその言葉に付き合いのなかった人も含まれ、人数を増やす効果はそこでまた増えるでしょう。
ピッチは"売り込み"ですから、提案より軽い感じがしますが、軽いから乗りやすいとも言えます。
中身の同じことを、漢字言葉で表すのと、カタカナ言葉で表すのとでは、どこか次元がずれてくるものです。
自分の名前にピッチをつけて懇談会の名前にし、人を集める閣僚もいます。
その懇談会は、将来の科学・技術の進め方を考えていくための意見交換の場といわれていますが、閣僚がこの種の会を牽引しなければならないというのもおかしな話です。
こういうだいじなことを所管するはずの文部科学省が機能不全に陥っているので、仕方なくということなのでしょうか。
交通機関に例えてみると、運行指令を出す役目をもった人が機関車の運転手をしているようなもので、これでは全体の運行に目が届きません。
運転を嫌う人がそれをせずに給料だけ受け取っているとすれば、世も末です。
どさくさにまぎれてうっかり潰されてしまった元科学技術省のみなさんも、20年も経てばもうすねている時ではありません。
こんなところにも、内閣の仕事と中央官庁の仕事が、それぞれの次元を取り違えている実態があらわれています。
走らせている列車が、どの路線をどちらに向かっているのかをしっかり見極め、海の向こう隣で駄々をこねているバカ息子の相手はいい加減にして、先々のことをよく考えてほしいものです。