・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

冷観・暖感ノート:20

2017年11月01日 | つぶやきの壺焼

公私の別がうやむやになると、世のなか全体にしまりがなくなります。
お互いにあまりうるさく言わない、けれども付けなければいけないところのけじめはしっかり付いている、という状態が望ましいものと思っていますが、放っておけばずるずるになるというのは、熱力学の第二法則どおりです。

公私の別は、"行い"だけではなく、"話すこと"にもわきまえが求められます。
言葉のわきまえにしくじった結果は、よくある失言という形で責めの材料にされます。

管理用語に近いのであまり使いたくない公私混同という言葉がありますが、本来の意味らしい"行い"のだらしなさのほかに、言葉の問題にもそれがありそうに思います。

始末の悪いのは、私ごとの話であったものを、公の発言とごちゃまぜにしてしまうことです。
発言データの、拡張子の変更です。
酒席の話題ならその混同も面白そうですが、公の場にそれを持ち出して人を責める材料にする、その民族の醜さを宣伝しているようなことが最近目立ちます。
言論の自由、報道の自由、ありのままがよいなどと言って、言論とも報道とも言えない与太話を大声で喚き散らす人もいれば、それをまた切り刻んでうまくつなげていくことが、うまみのある仕事と思いこんでいる人もいます。

これでは、よく働くアリさんに失礼ではないでしょうか。

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