・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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微分感覚と積分感覚~いまさらながらの違い探し:6

2014年06月24日 | つぶやきの壺焼

もっと積極的に、という言葉が余り聞かれなくなりました。
「的」が「動的」な意味から遠のいて使われるようになり、「・・・・の」と状態を決定づける使われ方や、「的な」とか、「・・・的には」という、ひねった、もっと言えばひねくれた、元来の意味から的の外れた使い方をされるようになっていることと、どこかつながっている気がします。

積極的と、微動だにしないという二つの言葉を並べて、どちらが能動的かと問えば、「そりゃぁ積極的だろう」と即答がありそうですが、おかしなことに、これが逆ではないかとも思えるのです。

積極的に気をとられ過ぎると、することが空回りになりがちです。効き目が薄いのでは積極的とは言えません。
微動だにしないという状態は、頃合いをはかって動き出しそうな気配を含んでいます。

せっせと積み上げてきたつもりの実績が、言わないほうがよいのについ口走ってしまう微かな口の動きから水泡に帰すことは、議会にもよく見られます。
積分感覚的熱中によって、微分感覚的注意力がおろそかになる例でしょう。


ボクサーが、拳の打撲症を起こすことがあるそうです。
パンチを利かすときの一瞬の躊躇から、筋力エネルギー集中の「とき」がずれてしまうのでしょう。
これも微分感覚の鈍化と言えるかもしれません。


票の積み上げや数ばかりを気にして、ひとびとの心の動きをとらえ損なえば、政治も失敗します。
通した法案の数で、政治活動の成績を評価することなど、愚の下のことですから、あとで困ったことが起きるような法律を、どさくさまぎれに一度にたくさん作ってしまうような積み上げ偏重は、固く戒められなければなりません。

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