・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

行き交う

2011年08月08日 | つぶやきの壺焼

知恵袋の日本語カテゴリーを覗くと、言葉の意味を尋ねる人が多い。
日本語カテゴリーだから日本語の質問があって当たり前なのだが、熟語あるいは文字の意味を、むやみに尋ねるだけなのである。
辞書代わりに使うつもりでいるらしいのだが、それなら辞書を引いたほうがよほど早い。辞書を持っていなければネット辞書というのもあり、それも面倒なら熟語で直接検索する方法もあるのに、わざわざ質問して回答を待つ。

すぐわかることになぜ遠回りをするのか不思議に思っていたが、何度か見ているうちに想像がついてきた。
質問者は、それを聞くことが言葉の学習であると思っているらしいのである。

学校の授業で、質問を数多くする生徒は、学習熱心と見られやすい。いくらかでもヤル気の表明にはなる。いわゆるアピールという、サッカー選手の看板文句のような行為である。
プロのスポーツ選手の場合は、観客に見てもらって、人気を集めることも仕事のうちだから、競技と併行してアピールに努めるのもだいじだろう。
しかし、言葉を学ぶ上では、読み書きお話がしっかりできればよいので、質問競争など全く意味はない。

質問者の身分は明かされないから、どういう人たちなのかはっきりはわからないが、他国の人たちが日本語を勉強する副次課業として質問箱を使っているのではないかと思われる節もある。
そういう意図でこのサイトが使われるのならば、もっと効果を高める方法もあるだろう。

教育に当たる側の案内があってのことか、教育を受ける側の口コミの効果なのか、あるいはWeb利用者の偶然の出会いによるものか、これは確かめようもなく確かめても仕方のないことだが、なにか行き違いがあるように思えるのだ。

さて、その行き違いは何だろう、日本語学習初期の「言葉の意味をよく調べなさい。それが理解への近道です」という罪な刷り込みではないのか。

ある文章を読む。それには、言葉の意味を徹底理解しなければならない。徹底理解には、文章に組み込まれた言葉一つひとつを取り出して、よく調べなければならない。

そこで、熟語や文字をぽつんと出し、この意味は何ですかと問う。これが日本語の学習にはおよそ効果の薄そうな質問群になっているのである。
素直に答える親切な人もいる。しかし、そういう人が、いろいろな意味を並べ立てたところで、質問者が読もうとしている文章には、数ある意味のうちどれを当てはめてよいのやら見当もつかない。

これでは、質問ごっこ、回答ごっこが繰り返されるだけで、この知恵袋は、数寄屋橋屋ハチ公前のスクランブル交差点のように、ただ大勢の人が行き交うだけのものでしかない。

ミンミン蝉の声と一緒に、空虚感が、夏の朝を右往左往するのである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿