持ち物には、その場限りの楽しみのお相手のようなものもあれば、永い年月にわたって付き合うものもある。
永く持つものにも、道具として使うものや、趣向品、装飾品として楽しむものがあるが、持ち物としての寿命は、やはり道具がいちばん長いだろう。
道具には、自分の一部としていとおしく思う持ち主の感情が染み付いてくる。
もし、人が自らの手で何もしなければ、道具という言葉すら忘れてしまうだろう。
現代人には、その言葉を知らずに育っている人もいる。
話をしたこともない人の名を覚え難いのと同様に、使わないものの名前は覚えない。
浜辺にやや大型の木が寝ている。近くを歩いても、足を止めて見るのは犬だけ。
何年か前までは、海に出て行く舟を送り出したり、帰ってきた舟を迎え入れたりする道具として働いた物だと思う。
こういう物にも名前はあったはずだが、使う人がいなくなれば、名前も一緒に消えていく。
変わり果てた姿は残っても、役目を終われば名前が先になくなる。
何かの間違いで大役についてしまった人が、そこで名前を残そうと躍起になっても、国の勢いを盛りたてるような仕事は容易ではない。
あちらがだめならこちらと突付きまわっているうちに、国の未来を損ねてしまうような大間違いを仕出かすこともある。
自分が国民の道具でなければならないことに気づかず、反対に国民を道具に使いたがる。
道具ならまだしも、そんな人のその場限りの趣向品や装飾品代わりにされてはたまったものではない。
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