TVドラマに出てきた平凡な山の写真に、「浅間山」と説明文字が入った。
低く、小さく見えたその風景は、違う山に見えた。
浅間山の姿は、田淵行雄の「初冬の浅間」という写真でしか頭に入っていない。
何十年か前に、その形に近い、ただ黒く見えるだけの浅間を眺める機会はあったが、山の姿としての印象は薄い。
ドラマの風景に、なぜ話と無関係な文字を入れるのか。
おまけに山の名が違うではないか、と思った直後に、滝の画像が出てきた。
「白糸」かと思って見ていると文字は「軽井沢」。
山の姿、滝の趣きも、見る位置、撮られた角度によって変わるから、実際の真偽は見定めにくい。
らしくないから文字を加えたのかもしれない。
しかし、あそこに二度にわたってそれぞれ出てきた三文字は、間違いなくドラマの格の引き下げを手伝っていた。
入れとけ風景、付けとけ名前、ただ忙しいだけの製作現場、「えぇい間に合わねぇ、これでいいや」こんな想像をしながら見たドラマは、筋も役者の顔も、三日も経てば忘れてしまう。
スポーツカメラマンも偽写真を提供することがある。
試合中にシャッターチャンスを逃し、古い写真を引っ張り出して載せたらすぐバレたという話もある。
サブリミナルにその極を見るような、ゆっくり見させない画像づくりは、違景偽画のたぐいをなんとも思わない、ギャグめいたウソを常用する習癖をじわじわと拡げている。
他民族への襲撃理由にさえウソがまかり通る。
地球は温暖化中と言われながら、人々の心は寒くなっていく。
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