体の具合がちょっとと言われると、熱はないのかとたずねます。
自分の体も、おかしそうだと思うと熱をはかり、出ていなければ安心します。
熱力学には、法則があって、第一から第三まであるそうですが、その手前というか根っこのところに第零法則まであるときくと、この法則の適用範囲のとてつもない広さが想像できます。
熱心、熱意、情熱、温度差と、人間の感覚まで熱で言い表されることが多いのは、熱で説明されると、およそ何でも納得させられてしまうからでしょう。
この法則の一部分に「エントロピーは増大する」ということがあって、これが何にでもあてはまりやすいのが納得への効き目の根源になっていそうです。
「でたらめさの尺度」とされるエントロピーは、増大を妨げる行為を仕掛けなければ必ず増大に向かいます。
人間の常識の世界も、この法則の例外ではありません。
人間の生活で、いちばん付き合いやすく馴染みやすいのは「でたらめ」です。
相変わらず頻発する乗り物事故、作業過失、製品故障に、智恵のなさやでたらめさを絵に描いたようなことが多いのは、企画者、設計者、作業者の常識弱体化によるものと思います。
ある場合には、失敗すれば疲れがたまってと言い、その前に自分で疲れ過ぎを制御できなくなっていることに気付きません。
またある場合には、失敗すればやり方を知らなかったと言い、実は言われたとおりかどうかさえそっちのけで、でたらめのことをやっているのに気付きません。
早くて便利が幅を利かせすぎ、安価な労働力集めとフールプルーフの効果がいきわたりすぎて、非常識が作業服を着て仕事をしているような現場があちこちにできれば、とんちんかんな事故が起きるのはあたりまえなのです。
こういう仕事のさせ方、工夫する力の育たない製造工程を、世界にばらまくのは、罪深い仕業ではないかと、グローバルさんたちは考えたことがあるでしょうか。
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